酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「里山奇談」COCO・日高トモキチ・玉川数

 舞台は深山の対義としての里山。
 人の暮らす地と、今なお不思議が色濃く残る山との境界である。
 動植物が多様な顔を見せてくれる里山ならではの景観同様、怪異多様性とでもいうべき物語が集まった。


 人の暮らす土地と人の暮らせない土地との境界で発生する怪異を収集した奇談集。
 ですから里山だけではなく浜辺の話もあります。
 街の暗渠の中とか、廃病院とかもある。
 そう聞けばさも気色悪いといいますかもろ怪談じゃねえかと思われるでしょうが、怪談ではありません。
 超怖いという話はありません。もちろんほのぼのできるような話でもないですけど。
 怖がりな方でも、夜に読んでてひとりでトイレに行けるレベルのお話です。
 ですから、秋の夜長にちょっと軽く本読みでもというときにいい本じゃないですかね。
 40篇の物語はいずれも気楽に目を通せる長さですから。

 ではまあ、私なりに印象に残った話を数珠つなぎ風に。
 湿地管理の防犯カメラに映った謎の白い影「白い人」、浜辺に打ち上げられた正体不明の生物の遺骸「浜辺にて」、草深い野道を歩いているといつも自分を呼び止めるおばさんがいる「誰向」、ダムに沈んだ集落に存在した禁断の温泉「カンヌケサマ」、それは草刈りの途中に藪の中を近づいてきた「笑うものが来る」、人里離れた古寺、秘仏のもとに住まう謎の古代生物「鉤虫」、子供時代、冒険した地下の暗渠にいたモノ「暗渠の中」、交通事故の多い危険な崖下から鳴る携帯電話の着信音「山間に鳴る音は」、六本指の村人たちが住まう集落に宿泊した夜「指」、ついてきていたはずの弟はいつのまにか何かに変わっていた「廃病院にて」、誰そ彼(たそがれ)どきに向こうからやってきたひとの正体「黄昏れ」、など。

 個人的には「黄昏れ」が好き。
 というのも、私毎夜に河原をジョギングしているのですが、つい最近、上の堤防の道でだれか人間がこちらを見下ろしているのを見ましてね。そうだな30メートルくらい離れてたんですかね。その人間の背後に月があるので、私からはその人間は真っ暗にしか見えないんですよ。逆に私の背後に月があればその人間のディティールは見えたと思うのですが、まったくこちらが月明かりに照らされて、その黒い人間が動かずじっとこちらを見下ろしているみたいな感じが続きましてね。私もじっとそちらを凝視しているんだけど向こうは動かない。すごい不気味でした。おそらくタバコでも吸いながら酔狂にジョギングしている奴を物珍しく見てたんだろうけど、見下されているのも動物感覚的に嫌だったし、怖気を振るいましたよ。いやタバコは吸ってなかったな、手が動かなかったから。まあ、そんなことがあって「黄昏れ」を読んで似たような感覚だと思ったんですね。誰そ彼(たそがれ)ですよまさに。
 あとは・・・滝山さんの「笑うものが来る」。これはそれ自体じゃなくておまけでついたツチノコのエピソードが妙にリアルっぽくてね。私は確実にツチノコは存在した(している)と思っているので。一番怖かったのは、「暗渠の中」か「廃病院にて」かな。どっちもありそうな怪談話ですけどね、他で読むのとはちょっと本書のは雰囲気が違った気がします。病原性アメーバ・ネグレリア・フォーレリに原因を求めた「カンヌケサマ」は衝撃的でインパクトがありました。

 タイトルは「里山奇談」となっていますが、里山とはこの世とあの世の境界線というメタファー的な意味で使われたと思っています。あの世というのは必ずしも霊的な意味だけではなくて人間の計り知れない異世界全般を含んでいます。たとえば未確認動物とかもそうだし、奇妙な風習とかもそうですね。昨今、どんどん里山が消えていっているせいで異世界も消えているかのように見えますが、境界にまばらな人さえいなくなったことで目撃談が減っただけではないかと思います。里山が復活すればまたそれを目撃するひとが現れるでしょうから。それは消えたわけではありません。ずっとそこに存在しているはずです。境界のちょっと向こうのほうに。


 
 
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