酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「陰陽師 付喪神ノ巻」夢枕獏

 ご存知人気伝奇小説のシリーズ第三巻。
 漫画も映画も有名。私は今更ながらに読んでる。
 正直、第一巻を読んだときは失望しましたが、ここにきて形も整い俄然面白くなってきました。
 連作の短編なんですけどね、ストーリー以外の情趣の描き方もあんがい気に入っています。
 晴明が式神に使いそうな草花もさることながら、今とは全く違う1千年以上前の平安時代の風俗を偲べば楽しいです。
 考えてみればハッと気付く、ということが多くて。
 もちろんなんですけど、娯楽の形が全然アナログなんですよね。
 晴明のパートナーである博雅も管弦の名手ですが、音楽を楽しむのもすべて生演奏なんですよ。
 これすごいことですよね、おそらく当時の人びとは今の我々よりも耳が音に敏感だったはずです。
 ですから、名手の手による笛だとか琴の音を聴けば、さぞかし幸せな気分になれたのではないでしょうか。
 これはある意味、うらやましいなあと思う。
 文明が遅れているほうが幸せな部分もあるということです。芸術なんて特にそうかもしれない。
 堀川の橋にあたりで博雅が夜中に笛を吹いて歩けば、やんごとなき姫君が牛車に乗って建物の陰に控えながら聞き惚れているかもしれない。今と違って真っ暗だから音がなければ見つからない。
 光が少ないということは、闇に対して人が敏感であるということです。
 だから本作が参考にしているような、闇の世界と人の世界が共存している今昔物語みたいなのが創造されたのかもしれませんねえ。見えないからこそ、見てしまうんだろうねえ、心で。
 そういえば、本作ではあらためて「呪(しゅ)」がこれでもかと説明されていました。
 呪とは、それに相対するものの心によって作られる縛りのことだと私は理解しています。たとえば自分が好きな女性を友達に知られたとするとそれだけである程度縛られています。また、言葉はそれ自体が呪になるのではなくて呪を盛るための器だとも書かれています。やはり呪とは心の世界なのです。そして、現(うつつ)の物事が現代より極めて少なかった当時にこそ、恋愛はもちろん社会における呪(しゅ)の占める幅が大きかったのではないかと思うのですね。
 もっとも、私だってまだまだ博雅が「わからん」と言っているのと同じようなレベルなのですが。
 これから巻次が進むにしたがって、理解も進んでいくことを愉しみにしています。「呪」こそこの小説の核だと思うのでね。

「瓜仙人」
 天皇の用事で長谷寺に赴いた帰り、源博雅は奇妙な翁に出会った。翁は自らを堀川の爺と名乗り、奈良から京へ瓜を運んでいた人足から瓜の種だけもらい、博雅から水だけもらって、瞬く間に熟した瓜の実へと育てる妖かしを披露してみせた。実はこの爺、晴明の師であった賀茂忠行の友人で方士の丹蟲先生という。晴明と丹蟲は、何やら妖物が出るという噂の五条堀川の旧三善清行邸で邂逅する。
「鉄輪」
 京の北、貴船神社に毎夜丑の刻参りをしている女がいた。宮の者が迷惑がって「そなたの願いが聞き入れられた」と嘘を言うと、頭に鉄輪(かなわ。鍋の土台)を逆さにして蝋を立てた気味の悪い女は喜んで帰っていった。女の呪っていた男は藤原為良といい、女は為良に捨てられたのだ。請われて騒動解決に出張った晴明と博雅の前に、生成(女が鬼になったものを般若というが、生成はその前の段階で鬼でもなく人でもないもの)になった女が現れる。
「這う鬼」
 神無月の頃。四条堀川のさる屋敷に貴子という女主人が住んでいた。この屋敷の長宿直をしている遠助という男が出張の帰り、鴨川の橋のたもとで見知らぬ女から包まれた文箱のようなものを渡された。この箱を貴子に届けてほしいという。そのまま自宅に帰った遠助だが、浮気を疑った妻女がその箱を開けてしまう。すると驚いたことに中にはくりぬかれた目玉と陰茎、そして何やら動くものが飛び出してきて・・・
「迷神」
 清明のライバルともいえる播磨の陰陽師・蘆屋道満がシリーズ初登場。昔から播磨は陰陽師や方士を産出する国であった。亡き夫にひと目逢いたい女に施した反魂の術を巡って、清明と技くらべをする。
「ものや思ふと・・・」
 宮廷人たちが左右に分かれて用意してきた和歌の優劣を競う歌合(うたあわせ)。300年の歴史で500回催されたという歌合だが、天徳4年(960)3月30日に村上天皇が催した内裏歌合がもっとも規模、品格とも抜きん出ていたという。当時の平安京を代表する貴族、教養人、芸術家が一堂に会したのである。この歌合ではふたつの事件が起こった。歌を吟じる講師だった源博雅が詠む歌を間違えたこと、もうひとつは惜しくも勝負に敗れた壬生忠見がそれを気に病んで亡くなったことである。忠見はそのまま鬼になって和歌を吟じながら京の街をさまよい、内裏にまで出没するようになった。そう、この話はシリーズ第一巻巻頭の話の続編ともいえる作品で、事件の裏側が明らかにされる。我らが博雅の失態の謎も・・・
「打臥の巫女」
 藤原道長の父である藤原兼家は異例の出世街道を爆進中で、ついには兄の兼通の官位を抜いてしまった。その裏には、ある女予言師の宣託があり、夜な夜な兼家はその女の元へ通っているという。ある日、女の口から「今日買った瓜に気をつけよ」と言葉が出、「私には手に負えぬから安倍晴明に相談せい」と兼家は言われた。清明が兼家の買った瓜を割ると、中から真っ黒な蛇が這い出てきた。何者かが兼家を妬んで呪いをかけたのである。これも久しぶりに八百比丘尼が再登場。
「血吸い女房」
 中納言藤原師尹から相談があるといって呼び出しを受けた清明。いつものように。博雅と酒を飲んでから「ゆくか」「うむ」「ゆこう」「ゆこう」と、ふたりで怪事件解決に赴く。師尹の屋敷では、寝ているうちに住み込みの女房たちが何者かに首から血を吸われるという気味の悪い事件が起きていた。武士が寝ずの番をしても効果がないのだという。


 
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