酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇」中村計

雪国の野球を変えた名将・香田誉士史の栄光と挫折

 夏の甲子園で3年連続決勝に進出し、現代高校野球では前代未聞の三連覇に王手をかけた駒大苫小牧高校。
 北海道のみならず全国的にフィーバーを巻き起こした一方、相次いだ不祥事。
 その舞台裏では何が起こっていたのか。
 雪国野球に革命を起こした香田誉士史監督の熱闘の軌跡とその功罪を振り返る傑作スポーツノンフィクション。

 面白かった。
 高校野球ファンのみならず、色んな方が読んで勉強になる本だと思います。
 内容を端的に言うと、香田監督が大学を卒業して駒大苫小牧高校に赴任するときにお母さんが言ったという、
 「なんで、おまえに先生ができるか!」
 と、常総学院の木内監督が言ったという、
 「甲子園は3年に1度出ればいいの! そうでないと、ねたまれっから!」
 というふたつの言葉に集約されると思います。
 非常に難しい世界です、高校野球は。

 かくいう私も、2004年夏に駒苫が春夏合わせ161回目優勝がなかった北海道勢初めての優勝を成し遂げ、ナインを乗せた凱旋の飛行機内でCAが「深紅の優勝旗がいま初めて津軽海峡を渡ります」とアナウンスしたというニュースを観たときは、非常に微笑ましいものを感じましたし、その夏の大会の日大三高、横浜、済美といった強豪校を奇跡的に撃破していった駒苫の戦いぶりには非常に感動したクチです。
 ですが、次の年ですね、駒苫が連覇したときの2005年夏のベスト8で私の地元の高校が終盤5点差をひっくり返されて負けたときから苦々しいものを感じていました。
 2006年に57年ぶりとなる夏の大会三連覇をかけた決勝で、駒苫はハンカチ王子擁する早稲田実業に引き分け再試合の末破れますが、そのときにはすっとしたように思います。妬んでいたのです。あまりのわけのわからぬ強さに。
 生半可なことで、甲子園で3年連続決勝には行けません。そら運もあったでしょう。
 香田監督自身が「なぜ勝てたんですか?」と聞かれたら、わかりませんが結論と言ったように、駒大苫小牧の勝負強さは異常でした。ずば抜けて試合に強いチームでした。本書を読んで、その謎の一端が理解できたように思います。
 技術もさることながら、チーム内のシンクロといいますか、応援の吹奏楽部を合わせて、それこそ文字通りの一丸となった野球をやっていたわけで、そこには猛練習によって裏付けられた走塁や守備のスキのなさという土台がありました。目に見えにくいんですけど、走塁や守備の連携がここ一番で効いたわけです。もちろん、香田監督の真骨頂である意表をついた選手起用や田中将大という絶対的なエースの存在があったことは言うまでもありませんが、それは案外オマケかもしれません。
 
 駒沢大を卒業した香田監督が恩師の紹介で駒苫の野球部監督に就任したのは、1994年のこと。
 ちなみに彼は佐賀商業出身でそのときに3回甲子園に行っています。
 当時、雪国といいますか気温の低い地域の野球は相当なハンディキャップを背負っていました。
 冬場のグラウンド練習ができないのです。有力校は冬場は室内練習場を使用していました。
 その常識を壊して積雪で寒風吹きすさぶ外のグラウンドで練習をしたのが、香田監督でした。
 これには、2010年に春夏連覇し、現在している夏の甲子園(2017)にも出場していた沖縄興南の我喜屋優監督の助言があったようです。我喜屋監督は、当時社会人野球で北海道にいたのです。
 ひょっとしたら我喜屋をさんがいなければ、香田誉士史という名監督は誕生していなかったかもしれません。
 雪上の練習が逆に選手のバランスとフィジカルを鍛えました。ハンディをアドバンテージに変えたのです。
 もちろん、町おこしに必要な三者、体力があり動ける若者、常識を打ち破れるバカ者、土地の価値観に染まってないよそ者の三者を香田監督が持っていたからこそ、常識を打ち破るチャレンジが可能であったのでしょう。

 この本を読んだおかげで、香田誉士史という人間が好きになりました。
 読んでいなければ、私の人生で彼は「駒苫のデブでうざい監督」という印象しか残らなかったと思います。
 偉業を達成した後、彼は度重なる部内の不祥事で精神を病み、2008年3月に駒大苫小牧高校職員を辞職しました。
 現在はすっかり健康になり、九州の実業団チームでコーチをされているようです。
 いつの日かまた、甲子園に戻ってこられることを切に願っています。再び「香田ウザ」と思わせてください。


 
 

 
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