酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「虎の夢見し」津本陽

 肥後54万石を領した豊臣秀吉麾下の豪傑・加藤虎之助清正の伝記小説。
 後半からエピソードが増えて面白くなりましたが、最初のほうは歴史の教科書を読んでいるみたいに退屈でした。
 逆にマイナーな播磨の三木城攻めや鳥取城攻めが、これでもかと詳しく書かれていたのは戦国好きにとってはかゆいところに手が届いたかもしれないですなあ。細川藤孝の水軍なんて知らなかったし。私はちょっと眠たかったけども。
 まあ、こういうのがこの作者のやり方でしょうね。
 面白いんだけど嘘ばっかりの歴史小説もやや冷めるところがありますからねえ。
 本作みたいに徹頭徹尾、清正が尾張弁を貫き通しているのは作者ならではのリアリティの見せ方なのでしょう。
 正直、慣れるまでは何を言っているのかわからないのですが(笑) これもまたよし。
 ただ、同じように秀吉恩顧の猛将であり、ドラマなど観ていると清正とペアで登場する印象のある福島正則を、エロキチガイのサイコパスのように描いてあるのですが、これは本当なのでしょうか。

 本書から抜粋した加藤清正の略譜を。
 幼少時夜叉若と呼ばれた清正ですが、母親は秀吉の母なかのいとこで実家は近所同士だったそうです。
 15歳くらいで、長浜12万石を領し信長麾下で目覚ましい出世を遂げつつあった秀吉の配下となります。
 まあ、縁故採用だわね。当時は当たり前です。この頃から身長はずば抜けて大きかったそうで、秀吉も親戚として将来が頼もしかったのではないでしょうか。ちなみに、福島正則も秀吉の親戚になります。
 天正8年(1580)に三木城陥落の功により千石を賜り、秀吉の中国大返しのとき20歳でした。
 清正は普段は温和で弱者に優しいのですが、いざ合戦になると命知らずの攻撃を敢行したそうです。
 宝蔵院流の槍の名手で、身長は6尺5寸(195センチ)あったそうですから、相当強かったでしょうね。
 秀吉が柴田勝家を倒した賤ヶ岳の戦いで、清正の身代は5千石になり、近習から物頭に昇進、与力二十騎に鉄砲五百挺を差配しました。
 そしてここから前例のない大抜擢なのですが、隈本城を要する肥後北部25万石の領主になります。
 これなぜかというと、その前に佐々成政が肥後54万石に封されていたのですが、地元の豪族と悶着を起こし、秀吉に解任される事態になりました。このとき、検分する横目役として肥後に滞在し、佐々成政の治政を見ていたのが清正だったのです。清正は肥後の実情を知り、佐々成政の失敗のありようを見ていたために、秀吉に「自分を肥後の太守に」と売り込んだわけです。
 結果、南肥後24万石は小西行長の領地になりましたが、北半分は清正の拝領するところとなりました。
 まだ30歳にもなっていないのに、5千石から25万石ですよ。まさに異例ですな。
 ちなみに、領地を接することになった小西行長との確執で中央官僚の石田三成がことごとく小西よりの判定をしたために、清正は大の石田嫌いになりました。このことは関ヶ原での清正の行動に直結します。
 朝鮮の役では、明・朝鮮連合軍から「鬼上官」と恐れられ、今の北朝鮮と中国の国境を北上して漢民族とは異なる騎馬民族と交戦したという記録も残る清正ですが、残念ながらそのことについては本作では触れられていません。
 秀吉死後、関ヶ原では九州を離れず、東軍が勝ったという情報を得てから、南肥後の小西領に攻め込みました。
 有名な熊本城築城は1601年から。人足の負担を軽くするために、6年の年月をかけてゆっくり築城されました。
 清正は言わずと知れた築城の名手で、江戸城の普請もしていますが、石垣に特別の工夫があります。熊本城はおそらく日本一の名城であり、それから約300年経った西南戦争のときに、西郷軍が熊本城を抜けませんでした。
 桐野利秋が「こんな城、ササラ棒で落ちるわ!」と調子に乗って自分が命を落とすことになったのは、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で有名な話です。
 どこで清正は土木の技術を身に着けたのでしょうか。まあ、天性のものがあったのでしょうけども、ひょっとしたら秀吉の麾下でいたときに、蜂須賀や前野などの川並衆から教えてもらった部分もあったのかもしれません。
 あるいは、水攻めなど戦闘に土木技術を多く用いた秀吉の下で、勉強するうちに目が出たのかもしれないですね。
 おそらく清正は、熊本城に秀頼を招いて、徳川と一戦を交えようとしていたのではないでしょうか。
 大軍を向こうにしての籠城戦は、朝鮮の役でみっちりと体験していますからね。
 家康にとっては、秀頼を擁護する清正はなにより厄介な存在だったことでしょう。
 清正は1611年に熊本城内で50歳の若さで亡くなっていますが、徳川による毒殺説も根強く提唱されており、本作も毒殺を匂わす下りがありました。

 もうちょっとエンタメで読みたかったのが本音ですが、読み終わってみれば、意外にこれもまた良かったかもと思っています。私はずっと清正は猪突猛進の典型的な武闘派だと思っており、それがどうやって築城の名人と結びつくのか謎だったのですが、本作を読んで少し納得した気がします。清正は外見こそ体軀長大でしたが、心は優しく頭が良かったに間違いありません。だからこそ合戦場では何も考えないようにして突き進むのが、はたから見れば危険な攻撃行動に見えたのではないでしょうか。
 

 
 
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