酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「春山入り」青山文平

 「約定」(2014年8月刊行)の文庫本化にあたって改題されたものが本書「春山入り」。
 江戸時代中後期の武士の暮らしを題材にした人情味豊かな短編が、6篇。
 別の著作にも収録されている「半席」がそのまま入っており、不思議でしたが、作者あとがきによると、後に連作小説集となった「半席」の一作目が「約定」に元から入っていたためであるそうです。
 そういう作品が生まれた由縁を読者に知っておいてもらいたいということですね。
 ひとつの短編を作るのに、素材集め1ヶ月、構想1ヶ月、執筆1ヶ月の計3ヶ月も費やすそうで、それだからこんなに懇切丁寧というか、思いのこもった物語が生まれるのですね。
 短編ながらとても内容が濃く、それぞれに色合いも違うため、相当目先の変わる面白い作品集になっています。

「三筋界隈」
 三筋界隈とは、浅草阿部川町と書院番組屋敷、隣り合う大番組組屋敷と元鳥越町の一帯の俗称であり、水の都江戸のなかでもっとも水害の多い土地だったそうです。大雨が続けばすぐに床下浸水のような。そんな家賃の安い三筋界隈で剣術道場を開いてる主人公。44歳、田舎の藩の郡奉行を解任され江戸に出てきて5年。独断で洪水被害を受けた農民の年貢を免除したことを避難され、召し放ちになったのです。道場といっても、弟子はひとりも来ません。天明の飢饉で暴騰したコメを原因とする商家打ち壊しの日雇い用心棒くらいしか糊口をしのぐ手段はありません。ある大雨の日、急いで主人公が道場に帰る道すがら、ひとりの年老いた武士が行き倒れになっていました。自家製の薬湯で老武士を看病したのですが・・・

「春山入り」
 春山入りとは、冬の寒さ厳しい北国の藩民が、春の訪れを喜び里山の草花を愛でて遊ぶ風習のことだそうです。
 刀が腰の飾りとなりかけている天明の世。島守藩6万石で150石を食み剣の腕で鳴らす藩士・原田大輔は、馴染みの刀商をおとなうことを愉しみとしていました。ある日、主人に誘われるまま店に入った原田の目に止まったのは、業物の津田助広よりも長柄刀という、普通の刀より柄を二寸伸ばした実戦用の“卑しい”刀でした。後日、幼馴染で今や藩政を差配する若手重臣の川村直次郎から、新たに藩で雇用することになった儒者の警護を頼まれた原田は、実戦向きの長柄刀のことを思い出します。

「乳房」
 私的にはこれが一番好きです。
 百姓の次男坊で、陸奥国中川原村の幕府御領地の手代から一躍江戸に呼ばれて御家人となった立志伝中の人物が、那珂の養父・島村清蔵でした。今で言えば現地採用から実力で東京本社に栄転みたいなものでしょうか。
 しかし、一人息子を病で失くし、姪の那珂を養女として迎えた清蔵は、彼女に婿を取るのではなく、那珂を旗本に嫁がせることを選びました。西崎弘道という32歳の、200俵取り大番組番士が那珂の嫁ぎ先でした。いざ嫁いでみると、御家人とはいえ余録の大きい役職に就いていた島村家での生活と、旗本とはいえ爪に火を灯すような西村家での生活にとまどうことばかり。身分の差を突き崩そうとした清蔵と、ひたすら身分を守ろうとする弘道のふたりの男の差も感じていました。だから、弘道が大阪在番の役目が回ってきて1年間の単身赴任が決まったときは、これで明かりが贅沢に使えて好きな漢詩が読めると喜んでさえいたのです。しかし、夫の留守中に、中間にしては美丈夫すぎる辰三という男が屋敷に入るようになって・・・

「約定」
 これについては、色々と考えてみました。どうして間違ったのだろうと。どこかに真相のヒントは落ちていないかと。3年後と清志郎に勘違いさせたものの正体は何だったのかと。でも、真一郎と清志郎の言うことがどちらも本当ならば、清志郎の記憶違いということに落ち着くしかないのですね。ですから、作者の言わんとしていることは約定の行き違いうんぬんではなくて、約定が違ったときのそれぞれの武士としての生き方の違いなんだろうと思います。サムライとして自死を選んだ清志郎と藩政を預かる重臣として責任をおっていた真一郎の価値観の違いです。江戸中後期の財政破綻は、元々ひとつの生き方だった武家を、武士道と経世道に分かつ分岐点となったのです。

「夏の日」
 この作家は、飛び地といいますか、幕府御領地や知行地の話が好きですね。
 この話も、上野国西原郡久松村という700石の旗本西島平右衛門の知行地を舞台にした話です。
 久松村の名主である落合久兵衛は、飢饉の折に蔵を開いて無償で村民に食糧を分け与え、名主の鑑と言われていました。このことが幕府に懸賞され、同時に落合家は元はと言えば小田原北条家の家臣であることを由緒としているため、苗字帯刀が許されることになりました。平右衛門の子息であり書院番を務める西島雅之は家人とともに、このことを伝達するため久松村を訪れます。そこで殺人事件が起きるのです。被害者は、落合家の門屋(百姓に帰農した武士の家臣)筋で、田畑仕事ばかりでなく商いもしていた利助という男でした。
 この話は、「励み場」という作品のベースとなっているとみて間違いなさそうです。設定やミステリー調など似ています。
 今思えば、この作家が飛び地や遠隔知行地を舞台にしたがるのも、それがもつ閉鎖性や神秘性を好んでいるのかもしれません。


 
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