酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」村上春樹

 「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」の続編。
 結局、読んでしまったわけですよ、苦労して。
 あまり興味はなかったのですが、どうせ読むなら第1部を覚えているうちに、と思いまして。
 長いから大変ですよね。
 昔の村上春樹の作品なら、どれだけ長くても気にならないくらい楽しかったですけど、今はひたすら苦痛ですな。
 読んでるだけで1000キロカロリーくらい消費するんじゃないかな。脳が大変で。まあ、疲れました。
 
 あらすじとかいらんかな、意味ないし。
 答えのない小説ですからねえ。
 1部からの続きで簡単に言うと、主人公の肖像画家が、引っ越した小田原郊外の山頂の家の屋根裏で、前の住人だった著名な日本画家の絵画を発見するのです。この絵画のタイトルが「騎士団長殺し」といいます。
 ところが、この絵画を発見してから、主人公の周辺で奇妙なことが起こり始めます。
 まず、谷間を隔てた一軒家の住人である免色氏による接触。これがすべての始まりでした。
 いやすべての始まりは主人公の妻であるユズの浮気なのでしょうけどね。
 これがなければ、主人公はこの辺鄙な山頂のアトリエに住み始めることもなかったでしょうし。
 怪異をコントロールしていたのは免色(あるいは免色の中のもの)ではないかと疑っていますが、それはあくまでも主人公が広尾のマンションを抜け出て小田原にやってきてからだと思っていましたが、いまふと思い出すと、雨田政彦の仕事場の関係者がユズの浮気相手だったとすると、はたして、そこにまったく免色の影響力はなかったのでしょうかね。
 すべてのプログラマーが免色だったという可能性はアリかナシか?
 まあ、いいかそれは。
 主人公と免色が接触してまもなく、裏の雑木林の中にある3メートルの竪穴から、深夜に謎の鈴の音が鳴り始めます。
 私はひそかにこれを鳴らしていたのは(あくまでも最初の一回は)免色ではなかったかと思う。
 これによって、この謎の竪穴の存在が明らかにされ、掘り返すことにより地底の魔物が封印を解かれました。
 魔物という言い方はおかしいか。イデア。でもイデア(観念)は善でも悪でもあるわけでしょう。
 この実体のないモノたちは、騎士団長殺しという絵画を触媒として、形を具現化して顕れました。
 騎士団長殺しだけではありません、白いスバルフォレスターの男を介して不気味に現れようとしたモノもいます。
 第2部では、主人公が免色の依頼によって肖像画のモデルにしていた秋川まりえもまた、これら騎士団長殺しの絵画にまつわる怪異の中に取り込められようとしてしまいます、そしてそれを救出しようとする主人公は、自ら地下の世界へと冒険に乗り出すのです。

 結局、戦前にウィーンに絵画留学したときに事件に巻き込まれた雨田画伯の体験に踏み込んでいくことはありませんでした。つまり、騎士団長殺しという絵画が描かれた直接の背景に踏み込むことのないまま、物語は収束してしまいました。
 これがちょっと不満というか、なんやねんという感じ。
 物語のストーリー的には、まったく見せ場はなかったと思います。
 以前の村上春樹ならば、ストーリー意味をまったく感じられなくても、それこそイデアがあったように思う。
 こちらから面白いように考えるといいますか。
 しかし、本作は結局、「だからなんやねん」という首かしげ的な不満だけが残りました。
 昔のような不条理を前提にしながらでも一貫したなめらかさがない。ざらっとしている感じ、構成自体が。
 キャラクターも無理やりとってつけたみたいな。
 渡し場の顔なしとか。まるで違う人間が村上春樹の真似をして書いたかのような違和感が終始つきまといました。
 
 そんななか、さすがだなと思わせてくれたのは、「白いスバルフォレスターの男」と「顔なが」。
 この2体の圧倒的に不気味な存在感で、この物語はなんとか持ちこたえたと言っていいんじゃないですか。
 いずれも、村上春樹だからこそ具現化できた存在ではないでしょうかね。
 「白いスバルフォレスターの男」は、その時点で存在していませんね、主人公の中にあるモノじゃないですか。
 「顔なが」は雨田さんしかその正体はわからない。これこそ普遍的なイデアではないかとも思いますが。
 ちなみに、まりえがクローゼットに閉じ込められていたときに前にやってきたのは、免色の肖像画を乗っ取った地下のモノ(二重メタファー)であると思いますし、まりえの肖像画が完成していたならば別の何かがそれに取り憑いたかもしれないと思いました。
 まあ、適当に解釈すればいいよね。



 
 
 

 
関連記事
スポンサーサイト

0 Comments

まだコメントはありません

Leave a comment