第二級活字中毒者の遊読記

酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「楽園のしっぽ」村山由佳

 2005年に刊行された直木賞作家・村山由佳のエッセイ。
 あらゆる動物たちに彩られた房総鴨川での自給自足的な営農生活の日々を綴ったもの。
 本当にイメージが違う、この方。
 今ではどちらかというと、官能的な女流恋愛小説家というイメージが世間一般的だと思うのですが、こんな野性的というかワイルドな生活をしていた方だとは夢にも知りませんでした。、つい最近までは。
 まるで肝っ玉かあさんですよ。
 まあ、それはおいといて、どうして私がこんな昔のエッセイを読んだかというと、村山さんの愛猫もみじの影響がモロ、です。
 「猫がいなけりゃ息もできない」でその存在を知ると同時に永遠の別れも経験し、泣き、Eテレのドキュメンタリー「軽井沢の日々よ永遠に 村山由佳ともみじ」を観て感動、これほどまでに強い絆で結ばれた人間と猫のことをもっと知りたくなって、「晴れ ときどき猫背」を読んで、もみじの母猫やおばあさん猫のことまで知ることができました。
 しかしそこでは、もみじはまだ、子猫でした。
 ですので時系列的に続編となる本書を読んで、元気なもみじの姿を見たかったのです。

 ところがですよ・・・
 結論からいうと、もみじのことはほんのわずかしか出てきません(*^^*)
 前作が猫にスポットを当てていたのに比べ、本作は動物の話題こそ多いものの営農田舎暮らしを核とした、文句ない正統派のエッセイに仕上がっています。
 もみじのミッシングリンクを知りたかったこっちとしては残念なんですけど、これはこれでさすが村山由佳、面白かったですね。愛馬のジャックやシューティーのこと、キャラバンを組んだモンゴルロケ、太り気味の村山先生のダイエット体験、居候していたという開高健ノンフィクション賞受賞の冒険家・廣川まさき嬢のこと、はてはゆとり教育考まで視点が斬新で多彩なエッセイでした。
 わずかですが、10頭近くいたと思う猫のなかで、もみじだけが犬を怖がって完全室内飼いになったというエピソードは、もみじが終生村山さんの友となった理由の一因として興味深かったですね。
 前作がM氏との結婚8年目だったと思うので、本作は結婚13年目ということはもみじは5~6歳だと思います。
 ちなみに、あとがきではさも幸せそうな村山さんですが、このあと数年でM氏とは離婚し、房総鴨川を飛び出すことになります。そして都内でペット可の物件を見つけ、もみじを連れてくることになるのです。
 この辺のことは「猫がいなけりゃ~」で触れられているのですがね。
 もみじの母である真珠や、他の姉妹猫がどうなったのか、まったくわかりませんねえ。
 真珠は初産でもみじらを産んでいるので、そう年は変わらないはずですから、M氏のもとで生きていたのだと思うんですけど、なんだか寂しいですね。
 永遠に続くことはなかった房総鴨川生活ですが・・・
 週刊誌での連載が止まったのも、未来への不安を感じ取った村山さんの判断だったかもしれません。
 M氏についても、なんだかこう、偏屈というかそぐわないところが文間に滲んでいたような気もします。
 難しいですね、男と女は。
 ただし、普通の猫なら未来はないものですが、もみじには未来があった・・・ということでしょうか。
 いつか村山さんには、このもみじのミッシングリンクの期間を明かしていただきたいと思います。
 同じ愛猫家として、村山さんの言うことは心に響きます。


 
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「山怪 弐」田中康弘

 異例のベストセラーとなったらしい前作「山怪」に続く第二弾。
 前作と同じように、日本中の山に関わっている人々、林業であったり猟師、宿泊業、そして修験道の方々に実体験としてインタビューした“山で経験した怪異”が、なんの作為も感じさせず淡々と書き留められています。
 それは心霊現象と呼ばれるモノであったり、独特の風俗、動物の生態、謎の生命体やまったく不可思議で説明できない事柄だったりするのですが・・・

 著者の田中氏は、怪しげな、ムー的な人ではありません。
 硬派の山仕事に関する本を刊行してきた“カタギ”です。
 長年、山に染まっているうちに、ボチボチとそういった類の怪異譚を聞く機会があったのでしょうね。
 それで「いっそ、集めてみるか」といった感じで、できた本のような気がします。
 この方自体は、それを信じているのか信じていないのかさえ定かでありません。
 ただ目の前の方が語った話を、漏らさず膨らまさず朴訥に記されているような感じです。
 ですから、なんのオチもなくて、怖くてたまらないといった話は少ないです。
 でもそれだけに、本物っぽいのですよね・・・

 その中でも私の印象に残ったもの。
 山仕事の合間に昼寝してたら、横にソフトボール大の頭をした蛇が寄ってきていた話。
 猟師に腹を撃たれて逃げるうちに、体に開いた穴から木々などで内臓を持っていかれて絶命したときには腹がカラになっていたクマの話。
 山間の集落で借りた家に置かれていたフランス人形の話。
 どんなに近くで狙いをつけても絶対に鉄砲が当たらないイノシシの話(同様の話は日本中にあり)。
 など、かな。
 お、と思って勉強になったのは、四国にキツネがいたこと!
 私、四国に住んでいますが今まで知りませんでした。キツネなんて見たことありませんから。
 タヌキはしょっちゅう見ますが、個体数は少ないけれどもキツネが山間部に生息しているそうです。
 日本全国共通してよくあったのは山で迷ってしまう話、火の玉の話。それに土葬や火葬の話。
 私も山間部で住んでいるので、よく聞いたことがあります。爺さんや婆さんにですね。
 私も山での不思議な経験が記憶にありますし。
 それでも最近、聞くことが少なくなったのはやはり山間部が過疎化して人が減っているからでしょうね。
 山との関わりが、現代社会では薄れていますから、“山怪”自体を体験する人が減っているでしょう。
 もちろん、猟師の方や林業の方など昔と変わらず山を生業にしている方でさえ、それを体験する感受性のない方は、一生“山怪”には巡り会えないようです。できることなら巡り会いたくないですけどね。
 山ってね、遠くから見た感じと実際に現地を登っているときでは感じ方が全然違います。
 そこにいかなければ見えないでしょ、木々が生い茂っていますから、地肌が見えない。
 外国の山を見ていると、日本の山々がなんと豊かなんだろうかと気付かされます。
 豊か、ということはそこにはたくさんの複雑なものが内包されているということです。動物や植物、鉱物など。
 でも我々の目に映るのは、あくまでも山の表面といいますか、一面しか見えないのですね。
 “山怪”とは、いつもは表面しか見えない山の内層を偶然に垣間見てしまった、ということではないでしょうか。
 山にしてみたら人間など山を制御する資格のないチンケな生命体なのでしょう。

「晴れ ときどき猫背」村山由佳

 村山由佳ともみじ エピソード・ゼロ

 直木賞作家・村山由佳と愛猫もみじの17年に渡る深い繋がりが描かれたエッセイ「猫がいなけりゃ息もできない」で非常に感動させられた私は、さらにEテレのネコメンタリー「村山由佳ともみじ 軽井沢の日々よ永遠に」で映像を観るに及び、これ以上魂の部分で密接に繋がった飼い主と猫は見たことがないと確信しました。
 本当に感動しました。何度も泣かされました。
 もみじが永遠に旅立つ場面の一刻一刻が辛いだろうのに美しい筆致で記録され、まさしく読むものの心にも永遠にその愛情の深さが銘されたのでした。同じ猫を愛する人間として、とても勉強になりました。
 同時に、私はこのふたりのことがもっと知りたいと思ったのです。
 そこで探し当てたのが、本書。
 村山由佳ともみじの出会いの物語。言うならば、もみじエピソード・ゼロです。

 本書は2002年に刊行されていますが、時系列は1999年から。
 村山由佳と旦那さん一号であるM氏が房総鴨川の山奥で山を切り開き無農薬の野菜を育てるなど、田舎の農家暮らしをしていた頃が舞台になっています。
 いずれ離婚することになるふたりなのですが、この頃は喧嘩しつつも仲が良いのかな?
 結婚13年目、房総鴨川に移り住んで10年目。
 25歳のときに結婚した村山さんですが、子供の頃から大の猫好きであるにかかわらず、M氏が大の猫嫌いだったために、結婚後は猫が飼えないでいました。
 ところが、ある日子猫が2匹迷い込んできたことをきっかけに、M氏の心境に変化が芽生え、再び猫が飼えるようになるのです。この子猫のうちの一匹が、もみじの祖母にあたる“こばん”という猫です。
 ちなみに、接触はありませんが、こばんの母猫も村山さんは目にしています。
 まさしく、もみじを巡る大河ドラマと言っていいですね。
 こばんはやがて“真珠”を産み、村山さん宅を娘の真珠の住処に譲る形で裏山のおばあさんの世話になります。
 そして真珠は初産で、“麦”“つらら”“かすみ”“もみじ”の4匹の子供を産みました。
 お父さんはわかりません(~_~;)・・・真珠は半外猫ですね。
 写真がたくさん載せられています(*^^*) もみじはすぐわかります。
 そして本書は、もみじがまだ大人になりきらぬうちに終わっています。
 未来への希望に満ちながら・・・
 正直、イメージからして村山由佳という作家はバリバリの都会育ち田舎嫌いと思っていたので、本書の生活は意外でしたね。

 この頃のもみじは田舎の農家の外猫といった風で、山を走り回っていたようです。
 それが村山さんがM氏と離婚してから、家猫になるわけですね。
 猫を飼ったことのある人ならわかるでしょうが、外猫を家猫にするのは非常に難しいです。
 ただの引っ越しですら、猫にとってはストレスなわけですから。
 それだけ、もみじの村山さんに対する愛情が深かったということです。
 この話は時系列はどうだか知りませんが。「楽園のしっぽ」という単行本に続いていくようなので、そこで母猫の真珠や他の姉妹猫がどうなったのかわかるかと思います。
 近いうちに読んでみます。


 
 

「極夜行」角幡唯介

 地球上には極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間がある

 今や押しも押されぬ日本冒険界の第一人者となった角幡唯介の冒険ノンフィクション。
 本屋大賞・ノンフィクション大賞受賞作となった力作です。
 今回の角幡さんのチャレンジは“極夜”。
 聞き慣れませんが、白夜という言葉は聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。
 白夜は極夜の反対で、太陽が24時間沈まない現象をいいます。
 ならば、極夜は・・・そう、24時間ずっと太陽が昇らない暗闇の天象ということです。
 角幡さんは、現代社会の我々の生活があまりにも光に溢れすぎ、光どころか太陽そのものががちっともありがたくさえ思えないことに違和感を覚え、真の暗闇での冒険を決行し、旅の果てに見る太陽に、人はいったいどのような感慨を抱くのかということをテーマに、素っ頓狂で危険極まりないながらもさすがの着眼点と思わせる旅を決意されたのです。
 もはや地球上に地図の空白点などあるとは思えませんから、なにをテーマに命をかけてまで旅をするのかという点がイコール冒険家のセンスに繋がっているように思います。冒険家だってお金がなければ生きていけませんから。
 光のない世界、極夜での冒険。
 人間というのは知覚機能の大半を視覚に頼っているわけですから、想像を絶する困難な旅行なわけですよ。
 しかも極夜となる北極圏はマイナス30~40度の世界なわけで、暗闇のなかで己の位置を見失えば即、それは死に直結するわけです。白熊や狼など危険な動物だっている。
 そんな日常からうんと遠くにかけ離れた世界を垣間見える期待感を抱かされる。それが角幡さんの冒険センスです。
 そこに本屋大賞を受賞した所以があると思います。

 実際は、4年かけて準備され、グリーンランド北西部の最北の村シオラバルクから4ヶ月の行程で北極海を臨むことが当初の計画だったそうですが、2016年12月に出発されたこの極夜行は行程途中で挫折し80日間で終わっています。
 いろいろ不運が重なったようでしてね。
 まあそのへんは、ネタバレになるので割愛させていただきますが、間違いないのは角幡さんも犬のウヤミリックも何度も死にかけながら無事に出発地点であるシオラバルクまで還ってきた、ということです。
 月さえなくなる極夜中の極夜も経験し、何十日ぶりかの太陽のかぐわしい曙光も無事拝むことが出来たようです。
 それは読んでいるこちら側も息をのみながら待望していたことでした。
 角幡さんはともかく、犬のウヤミリックはひょっとしたら還ってこれなかったんじゃないかと心配しながら読んでましたから。
 もうあの食料が尽きかけたときなんて、はやくなんか猟で仕留められないか犬が死んじゃうってページをめくる手が止まりませんでしたから。
 だいぶ飛ばしたてしまったかな笑
 今回の角幡さんの本は、いささか饒舌に過ぎたように思います。必要ない文字が多すぎましたね。
 写真がなかったのも非常に残念でした。暗闇の極夜だったからでしょうか?
 仕方なくネットで写真を探して拝見しました。ウヤミリックはほんと可愛かったです。

 なんとなく角幡さんは文筆のために冒険をしているような感じが否めないんですけど、
 でもまあ、本書が面白かったことに間違いありません。
 最近ではいつにないくらいのスピードで読み進むことができました。
 初めて知った驚きも多々ありました。
 海象(セイウチ)が非常に危険な動物であること、極地での謎の発光現象などなど・・・
 不惑を超えた角幡さんの次なるテーマと冒険を今からまた楽しみにしています。


 

「猫がいなけりゃ息もできない」村山由佳

すべてのネコ好きに贈る愛情あふれる必読の書

 直木賞作家村山由佳と永遠の恋人・三毛猫もみじの最期の日々が綴られたエッセイ。
 WEB連載の書籍化で、ちなみに村山さんともみじの軽井沢での日々は、NHKでもドキュメンタリー化されています。
 しかも、今週末の平成31年2月16日にEテレで再放送されるみたいです(*^^*)
 私はもう録画予約をしています。愛猫家ならば本書と相まって見逃せませんねえ。ちょっぴり悲しいだろけど・・・

 いや実際に読んでみれば、ちょっぴり悲しいどころではありません。
 特に後半は4ページごとくらいに号泣してしまいましたね。
 私はペットロスの経験があるので、その喪失感と痛みがよみがえってくる想いで胸が苦しくなりました。
 同時に、村山由佳という作家のプロ根性といいますか、底力を知らされました。
 文筆家の手にかかれば、悲しい物語もここまで美しくも切迫したリアルさに包まれるかという。
 ふつう、書けないと思いますよね。
 もみじは村山さんの激動の人生に常に寄り添った戦友であり、同士です。
 単なるペットと飼い主の関係ではありません。
 おそらく彼女が生まれ変わってでてこない限り、54歳の村山さんの人生にもみじ以上愛せる猫は現れないでしょうから。そんな絶対無二の存在との別れを、想像を絶する悲しみと切なさを乗り越えて筆の力で残すことができるというのは、素晴らしいといいますか感服しました。特にもみじの今生での最後の一息を文章にしているのはものすごく感動させてもらうと同時に。私も救われたような思いがしました。強くなければならない、残された者は生きていかなければならないのですから。私も“背の君”と同様に、いまだに亡くなったペットの動画や写真などは目にする度胸がないのです。
 また、本の見開きにもみじの赤ちゃんの頃の写真が載せられていて、本章を読む合間にそれらを見ていると思わず涙ぐんでしまうのですが、本の作りとしても良かったと思います。
 本当に愛のある本でしたね。まさにネコ好き必読の書であると思います。

 特にペットロスの経験者は是非とも読んでみるといいと思います。
 この本のさすがなところは、一箇所まるでミステリー小説のようなオチのあるところです。
 もみじが実は、“姫”であり“チコ”であったならば・・・
 ラストまで読んで見れば村山さんが必ずしもそう信じているわけではないこともうかがえますが、愛する動物の喪失によって苦しんだ者にとっては、これほど素敵な考え方はないと思います。
 あの子がまた還ってきてくれるならば・・・
 。・゚・(ノД`)・゚・。
 人間というのは、過去を踏みしめながら未来への希望に向かって歩いていくのが本来の姿なのでしょう。
 私は信じて待っていたいですね。