第二級活字中毒者の遊読記

酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「ルポ車上生活 駐車場の片隅で」NHKスペシャル取材班

 2019年11月のクローズアップ現代、2020年2月のNHKスペシャルで放送された番組の書籍化です。
 書籍化という言葉は語弊があるかもね、こちらの本のほうがよほど取材者の本音が表されていますから。
 特にこの企画は、すごくテレビの製作が難しかったみたいで、苦労の涙と汗が滲んでいます。
 テーマは「車上生活者」。この言葉まだ聞いたことも存在も知らない方が多いでしょう。
 取材班も、当初も途中も手探り状態が続いていたらしいです。
 ざっくり言えば、車でずっと生活している人のことです。道の駅の駐車場とかで。
 家がないの? ならホームレスと同じじゃん、と思うかもですが、ホームレスでもネットカフェ難民でもありません。
 確かに生活に困窮している方が多いですが、家のある方もいますし、楽しんでる方もいらっしゃいます。
 車を家代わりにして、荷物を詰め込み、道の駅などの駐車場を拠点にして、ひっそりと生活しています。
 誰にも迷惑をかけたくない、人間関係に疲れた、安心して暮らしたい、などと彼らは思っているそうです。
 みなさんは見たことありますでしょうか。
 私は、決まった駐車場ではありませんが、生活道具を車に詰め込んだ車が1週間くらいのあいだ近所の河原に夜だけ泊まっていたのを見たことがあります。今にして思えば、あの車は旅ではなく生活だったと思います。目張りの仕方とか。
 取材班は全国1160の道の駅に取材したそうですが、どうやら車上生活者、実は全国的に増えているそうです。
 平成31年度の生活保護受給者は約200万人いたそうですが、日本という経済大国で人知れずセーフティネットからこぼれ落ちていく人々ははどんどん増えているのが現実なようです。

 番組が作られるきっかけになったのは、2019年8月に群馬で起きた事件でした。
 50代の女性が、92歳の母親の遺体を車に放置していたのが発見されたのが、きっかけでした。
そして、どうやらこの女性と20歳代の息子と、母親の3人で車上生活していたことが明らかになったのです。
 この事件は小さく報道されましたが、事件の背後にただならぬ不条理を感じたデスクがいて、この問題を取り上げることを決意したのです。ただ、取材を始めてみると群馬の事件の真相を追うことは不可能であり、それならばと車上生活そのものの案件に対して着手したのですが、これがまた雲をつかむような話でした。
 実態がほぼわからないですね。ようやくそれらしき車を見つけてコンタクトが取れるようになっても、取材班が思ってたような、ホームレスの車上生活化ではないのです。つまり、ひとくちに車上生活といっても、そのパターンはたくさんありすぎて、マイナスなイメージで固定すると誤りであり、現実はもっと多面的な世界なのです。
 本書では、取材班が苦労して話を聞き出すことに成功した、車上生活者の姿が記録されていますが、その構成は若者単身であったり、夫婦であったり、姉妹であったり、幼子を抱えた家族であったりしますが、なぜ車上生活をしているかという理由はまたそれぞれ違うのです。そこにはまったくの悲劇ばかりがあるかというと、かなり違うと思われます。
 私なんて、こういうこと言っちゃなんですが、かすかに憧れるものね。
 この本読んでからしたことは、車上生活するにはどの車がいいかと思って、ネットで探してしまいました。
 完全に世間から隠れてひっそりと生きるというのは、そういう願望は確かにありますね。
 NHKの方は高給取りだからちょっとわからない(本書にはうらやましいとも書かれた部分もありましたが)かもしれないですが、私なんかだと「ええい、もういいや」ですべてなげうって車に生活道具積んで旅に出るなんて、異次元の話ではありません。
 放浪癖といいますか、いつの時代のどの国でもそういう人種はいますよ。
 ただ、それを中国や北朝鮮でやったら捕まるだろうし、アメリカでやったら襲われるかもしれません。
 その点、日本だからできることなんですよ、車上生活は・・・なんていい国なんだ自由だなあと改めて思いました。
 そういう視点は、NHK取材班はすることはできないでしょうねえ。
 でも、取材対象者と取材陣の葛藤も赤裸々に書かれた、いいルポルタージュだったと思います。
 可能ならば、一家4人でせっかく車上生活から抜け出したのにまた逆戻りして九州にいった方とか、81歳のゴミアパートのおじさんとか、Yくんでしたか元理学療法士の、これらの方々がそれからどうなったのか、非常に気になるので続編を期待しています。


 
 
 
 
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「伊号第27潜水艦の活躍」吉田菊芳

 昭和17年2月24日に佐世保で竣工した伊号第27潜水艦の激闘を綴った戦史。
 著者は、竣工当時から同艦に乗り組んだ暗号長の吉田菊芳氏。
 伊27は艦隊付随活動が多かった日本海軍潜水艦の中では、交通破壊戦に主用された特異な潜水艦であり、インド洋などでの輸送船攻撃に赫々たる戦果をあげています。
 撃沈確認だけでも、これだけありますね。
 アイアン・クラウン(豪)3.353トン 昭和17年6月3日タスマニア近海
 オーシャン・ビンテージ(英)7.174トン 昭和17年10月22日ベンガル湾
 フォート・マムフォード(英)7.132トン 昭和18年3月21日コロンボ沖
 ベラキット(蘭)6.608トン 昭和18年5月7日インド洋
 モンタナ(米)4.898トン 昭和18年6月3日インド洋
 ブリティッシュ・ベンチャー(英タンカー)4.696トン 昭和18年6月24日インド洋
 パブ(ノルウェー)1.974トン 昭和18年6月28日マスカット港
 ラーチ・バンク(英)5.151トン 昭和18年9月10日インド洋
 サンボ(英)7.219トン 昭和18年11月10日ペサム泊地沖
 サンムブレッジ(英)7,219トン 昭和18年11月18日インド洋
 アシナ・リバノス(ギリシャ)4.824トン 昭和18年11月29日インド洋
 ニッサ(ギリシャ)4.732トン 昭和18年12月2日インド洋

 暗号長として狭い艦内で机に向かって膨大な電報を処理していた吉田氏は、海軍日記にみっちりと記録を残しており、本書も日誌をもとに書き起こされているため、微に入り細に入り記録として大変貴重です。
 この海軍日記の昭和17年度版(縦15センチ横10センチ)には表紙から4枚目に成瀬兵曹が潜水艦を救っている絵が載っており、珍しいのでここに掲載します。伊54の信号員だった成瀬兵曹は、昭和15年8月26日、伊豆諸島沖で訓練中同艦が事故を起こし、自分の命と引き換えに100名近い乗員の命を救った軍人の亀鑑といわれた方です。
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暗号長という職柄でしょうが吉田氏の日記が貴重であるのは、他に潜水艦の戦記には載っていないようなことも載っているからです。たとえば伊27には都合3人の艦長が就任しましたが、2代目の北村惣七艦長は日本海軍の誇る酸素魚雷の不調に大変苦労した様子が書かれています。
 また、昭和17年5月31日に伊27はシドニー港を特潜攻撃しましたが、このときの特攻に近い特殊潜航艇の隊員(大森猛兵曹)との会話が一言一句記録されています。伊27の艦長や将校が待っているから帰ってこいと言ったことや、特潜隊員がいいや我々は帰ってこないと言明したことなどが記されており、回天とはまた違う意味で貴重であると思われます。
また、狭苦しい潜水艦内の様子も詳細に書き残されています。潜水艦の中は酸素ガスなどもあって危険なためにタバコが吸えないんですね。でも一箇所洗面所だけは安全地帯で吸えたそうで、いつも行列ができており「艦内銀座」と呼ばれていたそうです。
 この洗面所の壁には「地球と縁を結ぶまで緊張第一、全力対潜見張り」と大書きした紙が貼られていたそうですが、地球と縁を結ぶとは潜水艦が沈められて海底に沈むということでしょうか? 興味深い話です。
 ちなみに、伊27の暗号長である吉田氏が、作戦海域であるインド洋において、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死電文を受け取って艦長に渡したのは、昭和17年5月21日のことだそうです。

 吉田氏は海軍通信学校への入学を命じられて、昭和19年1月8日にペナン港で伊27を退艦しました。
 これが運命の分かれ道となりました。
 直後に第5次インド洋交通破壊作戦に出撃した伊27はついに帰ってきませんでした。
 その最期は、昭和19年2月12日モルジブ沖でイギリス船団を攻撃、貨物船ケダイブ・イスメール(7.513トン)を撃沈しましたが、護衛中の英駆逐艦パラデン及びピータードに反撃され、英側2艦は砲200発、爆雷80発、対潜魚雷15本を発射する大激戦の末、撃沈されました。ピータードに乗艦していた英海軍乗組員は伊27の最期の写真を保有しており、「この戦闘で艦を指揮した日本海軍の潜水艦長(福村利明艦長)ほどの人をイギリス海軍に見いだすことはできなかった」と称賛の言葉を述べています。
 日本海軍潜水艦隊交通破壊戦のエースに相応しい、壮絶な最期でした。

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「パンとスープとネコ日和 優しい言葉」群ようこ

 アキコとしまちゃんのパンとスープのお店「ä(エー)」とネコの物語・パンとスープとネコ日和シリーズ第3作。
 ほのぼのとした日常と時間が綴られる、ゆったりとした川の流れのようなお話。

 前作、最愛のネコである「たろ」を3歳でなくしてしまって悲しみがいまだに止まらないアキコの元へ、2匹のネコがやってきました。「たい」と「ろん」の2匹の兄弟ネコ。近所の多頭飼育の崩壊で、しまちゃんとその男友達であるシオちゃんが保護して連れてきてくれたんです。2匹とも、「たろ」と同じどすこい系のデブッチョで、食いしん坊甘えネコ(=^・・^=)
 ネコを亡くした悲しみは、新しいネコを飼うことでしか癒されることはありません。
 これは、正論で結論です。
 しかし、1匹だったのが2匹となると、さすがにアキコも喜び2倍、苦労も2倍というところで(笑)
 みみっちい話ですが、2匹もでぶっちょがいると、ご飯代もバカになりませんよ。
 しかもフランス産のキャットフードって、おそらくロイヤルカナンですよねえ。
 私もうちのネコにはロイヤルカナンの準療法食を与えていますが、楽天とかで安い時にまとめて買っています。
 2匹となると、私では無理です。アキコは大手出版社を早期退職して店もうまくいっているから大丈夫なのでしょうけど。
 これたぶんアキコは、作者の群さんが多少は投影されているのでしょうね。
 しまちゃんとシオちゃんも、それぞれフミとスミの姉妹、アーちゃんというネコを引き取っています。
 最初はよくわからなかったしまちゃんとシオちゃんの関係ですが、本作の最後では結婚まで決まっています。
 これもまたアキコは群さんが投影されているのでしょうが、アキコはプライベートというか恋愛の話はしまちゃんに深く聞きませんから、こういう、いつのまにかふたりが婚約していたなんてことになるですよ。
 びっくりしますわ、こっちは。
 しまちゃんのプライベートを聞かないアキコ。
 でもこれもまたメタファーにつながるわけですね、タナカさんとお寺の・・・
 初作と前作で、アキコの父親の話をしにやってきたタナカさんですが、彼女は今作で亡くなっています。
 タナカさんは、読んでいても親切を通り越しておせっかいが過ぎるおばあさんでした。
 もっとも、彼女に刺激されたのかアキコも、亡き父のお寺に通うようになっていますね。
 お寺で、アキコはおそらく血の繋がっているであろう兄弟の奥さんと話をして、癒されています。
 アキコは他人のプライベートに踏み込まないかわりに、自分のちょっとしたハケ口というかストレスをお寺に行くことによって楽にしているのでしょうね。これは彼女が社会と繋がっているという安心感を得るすべでもあるのです。
 喫茶店のママに話せば、それは同じ商店街の狭い話に収まってしまうことが、心のどこかで嫌なのではありませんか。
 あるいは、私は読んでいてママがいつもアキコとしまちゃんの店を覗いているのは、コーヒーか紅茶を出してカフェ化していないか探っているのだと思うのですよ、実は。ひょっとしたら、アキコもママを心底は信じていないのでしょうね。
 なぜなら、ママはアキコの母であるカヨと類似点があるから。
 アキコは「たろ」の遺影を見てこそ泣いていましたが、カヨの遺影を見て泣いてはいません。
 この物語はいつまで続くのか知りませんが、そこはかとない日々の暮らしのような凪の小説であるようでいて、人間同士の血縁と非血縁、あるいは人間とネコという人生の関係性を探っていく意味深な作品であると思います。
 
 タイトルにあるように、人間とは優しい言葉によって救われていくものです。
 それがどれだけ真実味があるのかどうか別にして、ありがとうのひとつだけで救われていくものですからね。
 だから、「優しい」=「真実」でなくていいのです。
 優しい言葉は、社会の潤滑油であり、生きていくためのエネルギーですね。


 
 

「グーグーだって猫である 小説版」麻井みよこ

 映画のノベライズです。
 小説が映画になることはよくありますけど、その逆です。
 もっと細かく言えば、「グーグーだって猫である」の起源は大島弓子の漫画であり、それが映画になって小説になりました。
 ちなみに、WOWOWでドラマにもなっています。
 私が観たのはその、宮沢りえを主人公とするWOWOWのドラマです。これがけっこう面白かったのです。
 小泉今日子主演の映画は観ておりません。
 監督は映画もドラマも同じ犬童一心さんですけど、どうやらドラマと映画は違うストーリーなのですね。
 それはこの小説を読むことで、わかりました。
 グーグーはいます。小島麻子先生もいます。グーグーは同じアメリカンショートヘアです。麻子先生の美人で超非社交的な性格も同じです。けど、他のキャストはずいぶん違いますね。
 映画と小説はチーフアシスタントはナオミで、22歳の大学生です。上野樹里が演じていたようです。
 小説の語り手は、このナオミです。彼女はバンドマンと付き合っており、彼女の恋愛風景みたいな場面が多いです。
 一方、ドラマのアシスタントはナナミで、プロの漫画家志望でした、黒木華が好演していました。
 ナナミは夢かなって漫画家になりますが、ナオミはニューヨークに去ってゆきます。
 ドラマでは長塚圭史が演じる大森という編集者が存在感がありましたが、そのままの人は小説にはいませんでした。
 小説と映画に出る沢村青自という青年は、ドラマにはいません。
 映画と小説のクライマックスで麻子先生は卵巣と子宮に病魔を抱えましたが、ドラマではそれを乗り越えた後でした。
 歳は同じ頃かもしれません。42歳ですからね。
 サバという14年連れ添った愛猫の死からしばらく立ち直れなかったのも同じで、グーグーの登場によって再び麻子先生は前向きになって新作を久しぶりに発表しますがこれも同じ。でも、グーグーの登場の仕方が違います。
 ドラマでは、麻子先生はホームレスからグーグーをもらいましたが、映画と小説ではペットショップでの出会いでした。
 何より、グーグーという名前、これは小説ではラストのネタバレみたいになってましたけど、ドラマでは最初から明かされていましたね。

 結論。
 ドラマがこの小説より百倍面白いです(*´∀`*)
 もちろん映画を小説にしたというハンディはあったでしょうけども・・・
 映画でできなかったことを、後で着想したことを犬童一心監督がドラマにしたのではないでしょうか。
 小説版のジャケットは可愛いグーグー(おそらく大島弓子先生のオリジナルグーグーではない)でしたけど、物語にグーグーはほとんど絡んできませんでした。麻子先生とナオミの恋愛小説みたいな感じでした。
 ドラマはグーグーの存在感が大きかったです。
 ドラマはシーズン1とシーズン2がありましたが、どちらもグーグーが可愛かったです。
 麻子先生の「15年と8ヶ月、ありがとうグーグー」のセリフは忘れられません。
 ネコ好きならば、映画と小説しか体験してない方は、ドラマも観るべきと思います。
 無論、大島弓子先生の漫画があったからこそ、なのは言うまでもありません。
 愛するペットとの別れは辛いです。身を引き裂かれる想いがします。
 だからペットは飼わない、もう飼えないなどと言わず、新しい出会いを受け入れるべきなのでしょう。
 これは恋愛もきっと同じです。


 
 
 

「福も来た パンとスープとネコ日和」群ようこ

 「パンとスープとネコ日和」の続編です。
 たろが亡くなって間なしなので、前作からのタイムラグはあまりないと思われます。

 3歳のかわいい盛りで亡くなってしまったネコのたろ。
 アツコはいまだに、たろの写真を見て泣いてばかりの日々。
 いや、仕事はちゃんとしている。仕事が終わって自室に引き上げて一人になると、たろがいない寂しさが堪えるのである。
 あんなに怒らずにもっと遊んでやればよかった。なぜ体の不調に気づいてやれなかったのか。後悔ばかり。
 実母のカヨの写真は、「わたしよりネコが大事なのね」と言わんばかりにムスッとしている。
 仕方がない。ネコ好きならばよくわかる話である。

 結局ですね、飼い猫が亡くなったショックは、新しい猫を飼うことでしか癒されません。
 もちろん、新しい猫が前の猫の代わりになるわけではないのですよ。
 「あの子はこうだった」と、なおさら思い出してふさぎ込むのは仕方ないことです。
 でもそのうちに、魂の連鎖とでもいいますか、前の猫のことを新しい猫の存在がのみ込むときがやってきます。
 それは、新しい猫に愛情を注ぎ込むからそうなるのです。
 私のような猫好きにはよくわかります、経験者ですから。
 前の飼い猫を思い出して泣くのは当たり前です。想像を絶する辛さですから。
 でも新しい猫を飼わなければ、その悲しさを乗り越える楽しさを得ることはできません。
 前の猫だって、悲しんでいる飼い主の姿ばかり見たくないはずです。
 しまちゃんが成り行きで見つけてきてくれましたけど、アツコはもっと早く、新しい猫を見つけるべきでした。

 お店「ä」は、開店当初の賑わいからだんだんと落ち着いてきて、お客さんも並ぶことはなくなってきました。
 アツコもそれをある意味でいいことを割り切る一方で、メニューの刷新を含め店の方向性を思案しています。
 そんなとき、向かいの喫茶店のママ、ドラマではもたいまさこでしたね、が自宅に呼んでくれるのです。
 そこでママの昔の話を聞いたり、お気に入りのイタリアンレストランに連れて行ったりしてくれました。
 ママの狙いはなんだったのでしょう。
 おそらくママも暇だったのでしょうが、商店街の古株として、昔からの顔見知りとしてアツコのことが気になっているのでしょうね。ママに子供がいる気配はありませんから。
 しまちゃんが、いい人だと思うけどおせっかいですね、と評したタナカさんがまた来ましたけど、年を取って暇で息子の嫁とうまくいってないような人だとこのようなことをしがちだと思います。
 今更昔のことをほじくり出してどうしようというのでしょう。
 でも、半分だけ血がつながっているかもしれない、お寺の住職夫妻との今後はどうなっていくか、新しい二匹の猫のことと同じように、興味ありますね。
 群ようこという人は、このような都会のなかの何気ない日常を描くことと、猫への深い愛情が魅力な方なのでしょうね。