第二級活字中毒者の遊読記

酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「憂鬱な10ヶ月」イアン・マキューアン

 というわけで、わたしはここにいる
 逆さになって、ある女のなかにいる


 語り手はお腹の中の胎児。
 お腹の中から、母とその愛人が父を謀殺する様を見ているという、風変わりな小説。
 少し文学性があるといいますか、翻訳モノならではのよみにくさがあります。
 作者のイアン・マキューアンはブッカー賞も受賞している英国を代表する作家です。
 私は疎いのでまったく知りませんでしたが、機会があれば他の作品も読んでみようと思っています。

 登場人物は少ないです。
 語り手である胎児にはもちろんまだ名前はありません。
 母で28歳のトゥルーディ、別居中の父のジョン・ケアンクロスは売れない貧乏詩人。
 母の愛人で、父の弟でもあるクロードは不動産開発業者。胎児には叔父にあたります。
 この他に父の詩の弟子であるエロディやアリソン警部くらいしかキャラクターはいません。
 母と愛人のクロードは、父を殺害して邸宅を売却しようと目論んでいます。
 説明は不能ですが、この胎児には知能があります。
 母のお腹の中にいながら、テレビやラジオなどから知識を吸収し、独自に思考しています。
 また、母がワインを飲めばその銘柄まで言い当てることもできたりします。
 訳者あとがきによれば、作者はこのアイディアを妊娠中の義理の娘との会話中に着想したそうです。
 結局、母とクロードはスムージーに不凍液を混入して父であるジョンを殺害してしまいます。
 売れない詩人である父が、うつ病を患って自殺したというストーリーをでっち上げたのです。
 しかし、思わぬ綻びから自殺は殺人事件として発覚し、当然のごとく警察から疑われることになった母とクロードはイギリスから国境を越えてフランスにまで逃亡を試みようとしますが、ここで語り手であった胎児が遂に行動にでて、唯一自分の力で成し遂げれることを行い、彼らの逃亡を防ごうとするのです……それは父の無念を思いやってか、あるいは母を守るためだったのか?

 なんで警察にバレたのでしょうか。
 エロディでしょうね。エロディはジョンと多少なりとも恋愛関係にあったと思われます。
 ひょっとしたら、胎児さえいなければ、あの邸宅は彼女のものになったりして!?

 ラストの、胎児が羊膜を突き破って2週間早く外に出ようとした行動の描き方には臨場感がありました。
 読み手は、こいつには何ができるのだろう、結局何もできやしないじゃないかとたかをくくっていたと思うのですね。
 お母さんの子宮のなかで、殺人事件を知っても何もできることはないと。
 ところが、そんな読者の想いはあっさりと破られることになります、考えてみれば当たり前の行動で。
 これしかできないのですから。
 あっさりとしている割には深い、そんな小説でした。


 

 
 
 
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「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」若林正恭

 新自由主義の競争は疲れるし、社会主義の平等には無理がある

 漫才コンビ・オードリーの若林によるキューバ旅行記。
 私はオードリーのラジオ番組オールナイトニッポンをずっと聴いています、面白いから。
 テレビで観るのとは全然違いますからね、若林さん。もちろん春日も。
 若林正恭という人間は、お笑いのセンスもさることながら、生き方に深みを持っている面白いタイプの人です。
 今回のキューバ旅行記も、ラジオで度々話していたので、エピソードも所々知っていたのですが、改めて本を読んでみると、感じ方が全然違って面白かったです。
 あんがい真面目にやってたんだなって。
 なぜキューバを行き先に選んだのか?
 それが私が冒頭に大字で書いたことに関係していたのなんて、ラジオを聴くだけでは絶対にわかりませんでした。
 
 2008年のM-1で脚光を浴びるまで鳴かず飛ばずだったオードリー。
 苦しかった下積み時代を過ごした20代を、「思い出したくもない」と語っていた若林。
 きっと貧乏のどん底でいろいろ考えていたのでしょう。
 競争に勝って金を稼ぐことを命題とする新自由主義に対する反感もその頃に芽生えていたのではないでしょうか。
 若林は、初めてもらった長めのオフを、はじめての一人旅に費やしました。
 行き先は金とアドレナリンの匂いがするニューヨークとかではなく、キューバ。
 新自由主義のシステムから外れたキューバという土地を彼は選んだのです。
 息苦しい東京とは価値観の異なるであろうカリブ海の社会主義国家で彼は何を見たのでしょうか。
 日本で見るような近代的な高層ビルなどひとつもない世界で……

 結果的に、競争社会に嫌気がさした若林ですが、社会主義にも無理があることに気づきます。
 これが、彼の賢いところ。
 良いモノを食べ、良い家に住み、良い服が着たいという人間本来の気持ちは、社会主義の平等でありたいという気持ちを上回るのですね。他人よりいい生活がしたいのは当たり前なんです。
 かといって、稼いだお金で他人より人生を楽しもうという新自由主義が正しいのかというと、それも疲れる。
 結局、自分らしくあればいいのではないでしょうか。
 他人の価値観に振り回されない。これが大事なんだと思います。
 レストランのショーでのハプニング、カリブ海を望む美しい砂浜でのハプニングなど、とても三泊五日とは思えない、濃厚な旅行記でしたが、異世界を体験して自分の生き方を顧みるという、意味深なタイトル通りの趣のある本だったと思います。
 さすが若林正恭だと思いました。
 ちなみに、彼がこの旅のあとのオフで旅行先に選んだのは、モンゴルです。
 さもありなん、でしょ?
 若林さんの、これからの活躍を楽しみにしています。


 
 

「告白」清原和博

 2016年2月に覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕された元プロ野球選手清原和博の告白記録。

 スポーツ雑誌ナンバーに1年間にわたり掲載された対談記事を加筆修正したもの。
 対談相手の鈴木忠平氏は元プロ野球記者。

 ホームラン13本の甲子園記録を持ち、鳴り物入りでプロ野球に入ると1年目から4番打者として活躍した誰もが知るスーパースター・清原和博はなせ転落したのか。
 厳しいPL学園の寮生活の真実、日本中を沸かせた甲子園での輝かしい活躍、30年経っても消えない1985年の裏切りのドラフトへの憎悪から、年々落ちていったバッティング技術、故障との戦い、巨人移籍と引退の舞台裏、そして禁断の覚せい剤に手をつけて何もかも失っていくまで、清原自身の語り言葉で綴られています。
 よく知っている方ならば一気読みできる本です。

 親友の佐々木主浩は、清原のことを
 「豪快なんかじゃない。繊細で真面目」と評しているそうです。
 番長のイメージは作られたものだというのですね。
 私もこれを読んで、弱い人間だと驚く一方、繊細だなと思いました。神経が細いですね。
 彼はいま、覚醒剤治療に伴う極度のうつ病に苦しんでいます。
 もしも自由になるときがくれば、きっとまた手を出してしまうことでしょう。
 それほど弱い人間だと思いました。

 1985年のドラフト会議については、桑田が口を閉ざしているので真相ははっきりしません。
 清原は、巨人本命あるいは地元の阪神、中日、それ以外なら社会人野球と考えていたそうです。
 高校でたまに会う桑田からは、早稲田に行くと言われていたそうです。
 結局、傷心のまま西武に入団した清原は、1年目から4番を任され、打率3割4厘HR31本78打点の記録を残しました。これはすごいことですね。野村克也が清原の打撃は高校時代が一番良かったと言っていたのを聞いたことがありますが、王貞治のホームラン記録を塗り替えるんじゃないかと言われていたくらいですから。
 しかし、清原は結局、無冠の帝王のまま引退しました。
 1年目のがむしゃらな努力を怠り、2年目から打撃技術が下降していったのです。
 そのあたりのことは詳しく本人の口から語られていたので、興味深く読みました。
 天才ならではの慢心だったのかもしれませんね。チヤホヤされすぎて。
 やっぱり、清原は恵まれた肉体や素質を持っていましたが、努力する才能はなかったのでしょう。
 ですからタイトルに手が届きませんでした。確かに526本のホームランはすごいことですが……

 巨人移籍の舞台裏も語られていました。
 因縁の巨人軍へ入団して桑田とも表面上は“和解”したわけですが、清原自身の成績はパッとしませんでした。
 チャンスに強かったはずが、まったくチャンスで打てなくなってしまって、応援はボイコットされ、松井敬遠清原勝負というプライドをズタズタに引き裂かれる事態も起こったわけですが、清原自身自分のメンタルの弱さを明かしています。
 この人の核といいますか、覚醒剤に手を染めた所以でもありますが、メンタルが弱いのです。
 おそらく、スターならではの、うまくいかないときの身の処し方がわからいのですね。
 芸術家とか、歌手とか、なにか自分の中で特別な感覚を味わった人は、そういう経験のない一般人に比べて、鬱や薬物依存に陥ることが多いそうです。
 おそらく、清原が健全な精神を持った人間に戻ることはないと思います。
 それは彼が彼であった所以なのです。

「軌道 福知山線脱線事故」松本創

 JR発足以降最悪の事故となった福知山線脱線事故の検証ドキュメント。
 遺族の目線から事故を振り返りながら、事故当事者であるJR西幹部社員の証言も多数載せられ、この最悪の鉄道事故の真相を究明するには、本書以上のものはないと思います。

 平成17年4月25日。
 JR西日本の宝塚駅発同志社前駅行きの上り快速電車(7両編成)が、名神高速道路南にある半径304メートルの右曲線を走行中、1両目が9時18分54秒ごろ左へ転倒するように脱線し、続いて2~5両目が脱線し、最後部7両目が停止しました。
 一番被害の大きかった1両目は左に横転し、前部が線路東側にあるマンション1階の機械式駐車場奥の壁に衝突、後部下面がマンション北西側の柱に衝突しました。
 本事故による死亡者数は運転士含む107名、負傷者数は562名に上る大惨事となりました。

 事故から2年2ヶ月後に公表された鉄道事故調査委員会の報告書によれば、事故の原因は、運転士のブレーキ使用が遅れたためで、カーブの制限時速70キロを大幅に超える116キロで進入し、超過遠心力によって脱線転倒したとされています。運転士のブレーキ使用が遅れた理由は、その地点に至るまでの経路でオーバーランなどのミスが相次ぎ、それを報告する車掌と指令員の交信に格段の注意を払っていたため、運転に対する注意力がそれたのです。
 運転がおろそかになるほど自分のミスを気にしていたのは、JR西が懲罰的に行っていた日勤教育という再教育システムへの恐怖があったためで、事故調査委員会は、事故の原因は運転士のヒューマンエラーだけでなく、その背景にはJR西の行き過ぎた運転士管理方法に問題があったことを指摘しています。

 官僚組織以上に官僚的といわれたJR西日本。
 国鉄時代の親方日の丸体質が残り、行き過ぎた上意下達、指示待ち体質、内向き志向が目立っていました。
 JR西日本の天皇といわれ、脱線事故まで20年間影響力を行使し続けた井手正敬元会長の下で培われた強力なトップダウン方式の経営は、上に物申さぬ閉鎖的な組織風土を生んでいました。
 懲罰的な日勤教育、余裕のないダイヤ編成、安全装置ATSーPの設置遅れ、利益追求の前に軽視された会社全体の安全管理体制。福知山脱線事故を起こしたのは、硬直化して腐ってしまったJR西日本という会社自体なのです。
 
 なぜ妻や妹は命を奪われなければならなかったのか。
 本書はひとりの遺族の戦いの歴史でもあります。
 著者の知人でもある彼の名は、浅野弥三一。都市計画コンサルタント。
 彼は、自暴自棄と絶望の淵に苦しみながら、事故の真相と原因の究明のため、巨大企業に真っ向から対峙し、3年3ヶ月に及ぶ遺族とJR西の幹部、第三者の有識者による会議の船頭となり、ついには自己検証と組織変革に動かすことになります。
 100万分の1の事故といわれても、当事者には1分の1なのです。
 突然、家族を亡くした遺族が、100万分の1の確率の事故だったと云われて納得できるはずがありません。
 亡くなられた方、遺族にとっては1分の1なのです。

 本書を読んで私が思ったこと、それはこの国において官僚はほんとクソだな、ということです。
 太平洋戦争然り。国を滅ぼしかねない。
 個人が融解するような巨大企業を作ったのは、独善的な官僚システムです。
 生半可、優秀だからタチが悪い。
 事故後、異色の技術屋出身としてJR西の社長になった山崎正夫は、浅野さんも信頼を寄せていたように、人間性がある方ですが、それでも企業倫理に引っ張られて、情報漏えいなどの失態を犯しました。
 モノづくり日本の土台が揺らいでいる今だからこそ、企業や国のトップは人間性をして統率していただきたいと思いましたね。

 最後に、福知山脱線事故で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。


 
 
 

 

「デートクレンジング」柚木麻子

 「ナイルパーチの女子会」の柚木麻子(ゆずきあさこ)による長編ウーマンドラマ。
 このブログでは「ナイルパーチの女子会」「さらさら流る「本屋さんのダイアナ」と柚木さんの作品は3篇紹介していますが、本作が一番出来としては劣るかと思います。
 私が男性なので、結婚を焦るような女性心理がわからないせいかもしれませんが……

 主人公は和田佐和子、35歳の主婦。
 5年前に結婚した彼女は、商店街にある義母の喫茶店兼洋食店を手伝いながら、“妊活”の最中。
 彼女を視点として、物語のテーマとなるのが、佐和子の大学からの親友である実花35歳。
 実花は、「デートクレンジング」という少女アイドルグループのマネジメントをデビューから10年間勤め上げた、辣腕美人マネージャーで、グループが結成10年目をもって今年の夏に解散引退したあと、目下“婚活”にまっしぐら。
 しかし、恋愛などほったらかして10年もの間、はるか年下の少女たちに心血を注いできた実花のブランクは大きく、なかなか好きな人はおろか男性とうまく会話さえできない始末。
 やがて自然恋愛を諦めた実花は、怪しげな婚活ライターをつるんでコンパや結婚相談所にまで出入りするようになるのだが……長年の親友であり彼女に憧れていた佐和子は、そんな実花を見て心から心配になっていく。

 途中まで婚活小説かなるほど楽しそうと思って読んでいましたが、違います。
 確かに結婚は、女性を焦らせる見えない時計の最大のものかもしれませんが、この物語では結婚だけに絞らずに、“妊活”であるとか“保活”、さらには若い時にツアコンとして世界を駆け巡り晩年は孤独死した女性の人生、解散したアイドルグループのメンバーのそれぞれのそれからの道、そして結婚や出産をきっかけに諦めなければならなくなった人間関係にまで焦点を当て、とにかく表立っては世間と歩調を合わせなければならない女性の生き様を描いています。
 歩調を合わせることなんてありません。
 自分流の生き方でいいのです。そして、どのような生き方をしようと人間関係は離れていくものではありません。
 それはお互いのエゴや誤解が生んだ錯覚なのです。
 自分らしく、自由に生きよう。そんな小説だったように思います。
 こう書けば、何やらためになりそうな本のように思えますが、だからといって面白いわけではありませんでした。
 正直、まったりとしすぎて退屈でしたね。詰め込みすぎて雑になった。
 いっそ婚活にテーマを絞ったほうがよかったかもしれませんが、この作者はそうは問屋をおろしませんしねえ。
 確かラジオで朝井リョウが言っていたと思うのですが、柚木麻子さんはアイドルグループのおっかけだそうです。
 だから、この小説でもそのへんに詳しいのでしょうね、業界用語みたいなのも。
 鳩時計のおばあさんの人生をどう捉えるかによって、人の価値観がわかるかもなあ。
 あれはきっと、結果は寂しい死という印象を周りに与えましたが、スクラップの発見によって、彼女の輝いていた時代がいかに楽しそうで格好よかったかということを知ることにより、人の幸せは他人が決めるものではなく生きている本人が決めるものだということの再確認だったように私は思います。前田春香はその道を選んだのでしょう。

 とはいえ、これを女性の方が読めばどう思うのでしょうか。
 共感するのでしょうか、それとも出来過ぎだと思うのでしょうか。
 気になるところではあります。
 命短し恋せよ乙女、とは言いますが、女性の人生は長寿ですよね……