第二級活字中毒者の遊読記

酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「八月十五日に吹く風」松岡圭祐

 キスカ島に取り残された陸海軍将兵5200人を救え。

 世界の戦史に残る奇跡「キスカ島撤退作戦」を実話に基いて詳細に描いた戦記小説。
 濃霧を突いたあまりにも鮮やかな救出作戦はまさに奇跡としか言いようがありません。
 作戦が実行されてキスカ島で死を待つだけだった陸海軍将兵約5200名が全員無事救出されたのは昭和18年7月29日ですが、島に日本軍が誰もいなくなったことなど露とも知らないアメリカ軍は、そこから2週間かけてまったく無人の島(犬3頭のみ)に執念深く度重なる艦砲射撃と空爆を加え、満を持して8月15日に約3万4千人の将兵を動員して一大上陸作戦を決行しましたが、隣のアッツ島で苦戦した恐怖からか幻の日本軍相手に同士討ちで数百人が死亡するというなんとも無様な結果を招きました。
 さらには日本の軍医がイタズラで兵舎に「ペスト患者収容所」と看板を書き残していたことから、上陸して日本軍がいないことに唖然としていたアメリカ軍は感染の恐怖からさらにパニックを起こし、1万人もの将兵が後方に護送される事態となりました。
 まさにアメリカ軍は太平洋戦争中最高の“赤っ恥”をかいたのです。
 ちなみに島に残された日本軍の飼い犬3頭も無事保護されています。
 それまでアメリカ軍は日本という国に対し野蛮な印象しか持っていませんでした。
 人命軽視、不条理な戦死の目的化、同一戦法への固執、想定外の事態への対処能力欠如など、およそ人道主義とはかけ離れた西欧とは異なる価値観を持った蛮族だと認識していたのです。
 しかし米軍の裏をかいた鮮やかなキスカ島撤退作戦にその認識を変え、戦後GHQの日本占領政策にも影響を与えたと言われています。日本人は野蛮ではなくて知的で情愛あふれる民族である――そのレポートを首脳に提出したのが、このときキスカ島上陸作戦に参加していた著名な日本研究家・ドナルド・キーン(作中ではロナルド・リーン)なのです。

 はい。
 この作戦自体は指揮をとった木村昌福少将のことも含めもちろん知っていましたが、詳細に経過を読んだことはありませんでしたから、けっこう、新鮮に驚きましたね(;´Д`)
 周囲をアメリカの艦隊に囲まれ、潜水艦でさえ突破できない島に、巡洋艦と駆逐艦からなる艦隊が横付けしたのですよ。
 確かに幸運はありました。キンケイド中将が弾薬補給のため艦隊を一度帰した間の出来事でしたから。
 しかし、濃霧が続く気象条件の予報や阿武隈と木曽の煙突を1本だけ白く塗ってアメリカの船型に似せたことなど、やはり木村昌福少将の不可能を可能にする知己があったからこそ奇跡が起きたのだと思います。
 げんに巡回していたアメリカの潜水艦は日本の艦隊を自国の艦船だと誤認して見送っていますからね。
 ここに出てくる気象士官は本当にいたのかなあ。もちろんモデルという意味ですけど。
 木村昌福は海軍兵学校の成績が118人中107番ですからね。それで少将まで出世したのは、いかに水雷屋として現場に強かったかという。非常に人道主義の指揮官でもあったそうです。
 陸軍の北方軍司令官樋口季一郎中将も忘れてはなりません。
 まあこの方は満州からナチスに迫害されたユダヤを逃したり有名な人道主義軍人だったわけですが、キスカ島の救出に当たり、邪魔になる三八式歩兵銃を海に捨てさせたことで救出時間が大幅に短縮されました。
 歩兵銃は天皇陛下から戴いたもので兵隊は絶対肌身離さず持っていなければならない決まりだったわけです。
 作戦成功後木村昌福を拝謁したように天皇はそんなことどうでもよかったと思いますが、頭の古いというか固い陸軍の首脳はそういうことにこだわり、また、そんなことにこだわるからこそ玉砕を命じたくせに自分だけおめおめと生き残る輩がいたからこそ悲惨な戦争になってしまったのですよ。こういうのは、東京駅で公開処刑でもしておけばよかったのです。
 だいたいアッツ島とキスカ島の占領は、ミッドウェーの陽動作戦が本質であったわけでしょ。
 ここいらへん取っとけって、地図上では重要な地点と考えられるかもしれませんが、それは机上の空論であって、現実は日本の力では滑走路建設もままならぬような極寒気候のツンドラ地帯なわけですよ。
 占領作戦自体が失策なわけでしてね、隣のアッツ島で腹をすかしたまま玉砕した2638名は本当に気の毒でした。
 日本軍の無謀、そういうことを改めて考えさせられる作品であったと思います。
 読んで損はありません。
 よく語られるところの、キスカからの帰り道でアッツ島からバンザイが聞こえたというエピソードがなかったことも逆に作品の雰囲気としてはよかったです。
 玉音放送から2年前に、こんな壮大なドラマがあったことを日本国民は知っておくべきでしょう。


 
 
 
 
 

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「百年文庫 祈」久生十蘭/チャペック/アルツィバーシェフ

 テーマに沿って世界中の文学作品が選抜されたポプラ社百年文庫ナンバー56は「祈」。
 直木賞作家・久生十蘭はじめ読み応えのある名作が3篇。
 改めてというか、初めて「祈り」とは何かを考えさせられました。
 「祈り」は「願い」とはちと異なりますね。
 もっとのっぴきならないといいますか、切実な感じがしませんか。
 信仰とも違う。もっと自律的なものだと思います。
 で、2作目のチャペックの作品を読んでひとつ私の頭に閃いたのが、「祈り」とは「絶望」ではないかということ。
 どうしようもなく絶望を感じた瞬間、無意識にでも人間は祈るのではないかと。
 初詣でお賽銭箱に硬貨を放って願い事をするのとは違います。
 日曜の教会で賛美歌を歌い世界平和を祈願するのとも違います。
 何に対してか明確なあて先を持たず、絶望の淵に立った人間があらゆる救いの可能性もなく、もはや諦めるよりほかないときにはじめて「祈る」のではないかと思うのです。
 それは魂の吐息とでもいうべき行為なのではないでしょうか。

「春雪」久生十蘭(1902~1957)
 戦後まもなくの4月7日、雪の降った春。知人の娘の結婚式に出席した池田藤吉郎は、同じ戦時中の4月7日に、キリスト教の浸礼を受けてからしばらくして23歳で亡くなった姪の柚子を思い出さずにはいられなかった。人生の花盛りをしかめっ面をして暮らさねばならず、青春の大切な時期を戦争に追いまくられてあたふたし、ろくすっぽ娘らしい楽しさも味わわず、つまらなくあの世へ行ってしまった柚子。4月7日の寒い朝、滝野川で浸礼を受けた帰り、柚子は自分にはいままで幸福というものがなかったが、いま、ささやかな幸福が訪れてくれるらしいというようなことを言った。それが伯父である藤吉郎が知っている、柚子の人生におけるただ一度の喜びの言葉であった。だが、藤吉郎は残された日記帳の謎解きから、今になって柚子の本当の心象を知ることになる。

「城の人々」チャペック(1890~1938)
 地の果てのような田舎から、お城で暮らす伯爵家の子女の家庭教師に抜擢されたミス・オルガ。
 彼女は自分に任されることになる女の子を見もしないうちから好きになり、有頂天になって城にやってきた。
 ところが、5ヶ月経って、口やかましく偏屈な老伯爵、気難しい伯爵夫人、教師である自分のことをバカにしている意地悪なマリーお嬢さん、夜な夜なオルガの部屋をノックするもうひとりの家庭教師でイギリス男のミスター・ケネディなどに対して我慢ができなくなってきた。ついに辛抱たまらず伯爵に暇をこうて田舎に帰ろうと思い立ったとき、田舎の母から手紙が来た。父が病気で倒れたのでお金が必要だ、こっちに帰ってくることなど夢々考えず伯爵のそばで頑張って仕送りをしてくれるように、とのことだった。絶望を感じたオルガは・・・

「死」アルツィバーシェフ(1878~1927)
 森鴎外の翻訳になります。アルツィバーシェフというロシア人作家は知りませんでしたが、さすがドストエフスキーの流れを汲むと言われているだけあって、ものすごい観念的で時代を感じさせない点はさすが世界に冠たるロシア文学と言えるでしょう。おおよそ、ロシアに対して敬意を抱けるのは文学だけですけどね。
 医学士ソロトフニコフは、よく道ですれ違って挨拶をかわすだけの関係である陸軍見習士官の青年ゴロロボフの家に、つならない成り行きからお邪魔することになった。そこでゴロロボフが語った内容は、深刻で衝撃的だった。彼は、いつ死ぬかわからない人間の人生というものは死刑の宣告を受けているのと同じであり、その処刑の日を待っていたくないしそんな気力もないから、自分で死ぬことを決める、つまりいつか死ぬのだからいっそ今自殺したいというのである。はじめはバカかこいつはという気持ちで聞いていたソロトフニコフだが、しだいに影響されて帰りながら深く考え、ついにゴロロボフが自殺するに及んでそれまで漠然としか認識していなかった「死」が大きな命題となって自分の生き方に立ちふさがってきたことを知るのである。


 

「かわうそ堀怪談見習い」柴崎友香

 東京から3年ぶりに故郷の大阪に戻ってきた小説家・谷崎友希。
 知らず知らず付いていた「恋愛小説家」というレッテルから脱却すべく、「怪談」を書くことを決意したものの・・・
 非日常の裏側が日常ではなく、非日常は日常の直ぐ側で寄り添っていることに気づいたとき、何かが起こる。
 私たちは、すぐ横にある怪異に気づいていないだけなのだ。
 あるいは、あまりの都合の悪さに「それ」を忘れてしまっているだけ。
 記憶の奥底に潜む“なんらかの不可思議”を問う戦慄の連作怪談集。

 かわうそ堀という地名が本当にあるのかどうか知りませんが、作者自身の出身地でもある大阪の古い街並みを舞台に、様々な怪異を描く連作の怪談集です。ジワジワくるのから、一気にゾッとするものまで多彩。
 ただ、まとまりがあるとは云えない。
 ホラー小説として一級かといえば、そんなレベルではありません。
 小野不由美の「鬼談百景」に少しは影響されている可能性もある。
 それでも慣れないジャンルでこれだけ怖いものを書けるですから、さすがプロだと思います。
 欲を言えば、なんらかのオチが欲しかったですけどね。
 最後の青年は鈴木くんではありませんし、幽霊マンションの4階の話だけでは、弱いですね。オチていないですねえ。
 結局、あの猪子島マンションのことがあったので日常と非日常の隙間に落ちてしまった谷崎に、その後いろいろな不可思議があったのだと言いたいのでしょうが、それではあまりにも安易なまとめ方だと言わざるをえません。

 それでも、怖気をふるった場面は色々ありました。
 一番印象に残ったのは、「桜と宴」のリエコの話。
 乗り潰すだけの環状線で、偶然居合わせた得体の知れない中年の女と子供。
 思わず彼女らについて降りた馴染みのない駅で、見知らぬ世界へと足を踏み入れてそのまま迷ってしまう・・・
 こええ・・・(>ω<)
 あと「蜘蛛」もありがちながら、昆虫嫌いの私にとっては急所でした。
 ですが残念ながら柴崎さん、ヤモリに鱗といえるものはありません・・・
 「電話」もよく聞くような話だけど、ラストのアレンジが漱石好きの著者ならではのオチでした。
 他の小話も、ひょっとしたら読む人によってまったく感じ方の違う怖さがあるかもしれないです。
 
 ネタ集めもあったでしょうし、たまみのモデルもいそうな感じで、どこまでがノンフィクションなんでしょうね。
 おそらく実際に、作者が聞いた話もあったはずです。
 かくいう私も怪談好きでして、オカルトはほぼ信じていないのですが、怖い話大好きなんです。
 99・9%は幻でも、どうしても解明できない不思議な現象はあると思います。
 不思議な偶然の一致もあると思いますし、それが起こったときに人は不可思議を感じるのではないでしょうか。
 また、共鳴といいますか、恐怖の伝導によって多数の人間が同じ恐怖を味わうことも起こり得ると思います。
 ある程度、人間の脳は科学の想定外に活動が可能でもあると思っています。

 ですが、まあ柴崎友香は「恋愛小説家」のほうが似合っているかな。
 

「撃墜王の素顔」杉野計雄

 杉野計雄(すぎのかずお)は大正10年、山口県生まれ。丙3期。
 護衛空母「大鷹」戦闘機隊、空母「翔鶴」戦闘機隊を経てラバウル253空先任搭乗員。
 昭和20年初頭までフィリピンで一大攻勢を見せる連合軍航空隊を相手に敢闘した歴戦の零戦パイロット。
 射撃の名人と謳われ、個人撃墜数32を誇る。
 戦後は、海上自衛隊の操縦士、操縦教官を務めた。
 1985年群馬県御巣鷹山に墜落した日航123便の高浜雅巳機長は海自時代の教え子であり、墜落事故の事後処理に奮闘した事故現場群馬県上野村の黒沢丈夫村長(海兵63・少佐)は佐世保港防衛航空隊時代の上司に当たる。

 この方は、工業学校を卒業して海軍に入隊し、元は駆逐艦の機関兵をしていました。
 ですのでパイロットとしてのデビューは遅く、丙3期(戦闘機教習同期は海兵67,甲5,乙10)になります。
 中間機練習教程のペア5,6人の中には有名な戦闘機パイロットである谷水竹雄と杉田庄一がおり、同じ中島隆三曹の教育を受けています。非常に珍しいことですよね。よほど教官の教え方が良かったのでしょうか。こういうところを生かせなかったことに、旧日本軍のシステム上の欠陥があると云えます。
 2歳上の谷水とは、昭和19年2月に杉野が大分空教員、谷水が台南空教員になって別れるまで、十数度の転勤にもかかわらずずっと一緒でした。こんな話も聞いたことがありません。
 そういえばどこかの本で(たぶん「母艦航空隊」だったと思う)、谷水が護衛空母大鷹時代の苦しい訓練を振り返っていましたが、杉野も同じようにそこで鍛えられたのでしょうが、こちらはあっけらかんとして書いていました。
 杉野の初撃墜は、昭和18年11月に「ろ号作戦」でラバウルに進出してからです。
 ラバウル上空の迎撃戦で、B-25を初撃墜しましたが、緊張してずっとオーバーブーストを引きっぱなしだったそうです。
 この頃の興味深いエピソードとして、よく海軍では「(人の名前)振動」と呼ばれ、出撃してはエンジンが振動しているといってすぐ帰ってくるパイロットがいて陰口を叩かれていたそうですが、杉野自身もブーゲンビル島に出撃したときにエンジンが振動し、敵艦に体当たりを覚悟して手足を離したところ機体の振動が収まった経験をして、エンジンの振動は知らず知らず自分の手足が緊張して震えてしまったためでもあるのではないか、必ずしも命惜しさの嘘ではないであろうと書いていました。
 ラバウルで昭和19年まで奮戦した後は、地獄のフィリピンで苦闘したこともこの方の貴重な体験です。
 捷号作戦では、沈む前の戦艦「武蔵」の上空を飛んでいますから。
 栗田艦隊が航空機の援護がないと嘆いていましたが、本書を読むと在フィリピンの海軍戦闘機隊が援護に行こうとしても連合軍の大多数の攻勢の前に押されてしまった現状がよくわかります。敵が多すぎたのです。杉野自身も離陸直後を撃墜されています。この昭和19年10月25日のレイテ沖海戦頃の比島の航空戦の状況が書かれた戦記は滅多に読んだことがありませんでした。
 フィリピンから台湾に転進した杉野は、特攻で悪名高い玉井浅一と中島正の麾下に置かれました。
 中島正は「わたしは職務上きみたちと一緒に特攻にはいけぬが、居合の名人であるから、敵をひとりでも倒して君たちの後を追う」とのたまわってパイロットを決死の特攻に追いやり、己は後を追うことなく戦後ものうのうと生きたとカスであるとして、痛烈に批判していますが、一方で、戦後の進駐軍の対応で必ずしも特攻は無駄ではなかったということも感じたそうです。
 結局、杉野は重傷者内地送還の命を受けて特攻を逃れ、昭和20年2月24日に、久しぶりの内地に帰還しました。
 他にも、わたしが次に読もうと思っていた体当たり王・川戸正治郎を思い出深いパイロットとして挙げていたのが記憶に残りました。「体当たりしても消耗戦になれば日本は負ける」と杉野は叱ったことがあるそうです。
 あと、本書中に何度も繰り返し書かれた、どうしても名前が思い出せないたぶん甲7で徳島出身の阿波踊りの巧いパイロットというのは、誰だったのでしょうかね? 非常に気になりました。
 翔鶴戦闘機隊や253空など経歴が重なる小町定の名前が一切出てこないのは、微妙に時期と場所がずれていたのかもしれません。小町がボロクソに書いていた253空の岡本晴年飛行長ですが、杉野はけっこうホメていましたね。自衛隊で縁があったからか、小町のいうグァム島事件の前に杉野は岡本の下を離れていたからでしょうか。
 読む前の印象とは違って、なかなか勉強になる本でしたね。


 

「一私小説書きの日乗 不屈の章」西村賢太

 根がケダモノながら甘にできてる私小説家で近代文学研究家の西村賢太先生の日常を綴った日誌。
 これで・・・おそらく5作目というか5冊目の日誌ですかね。
 2011年にWEB文芸誌で始まったこの企画ですが、KADOKAWAの「野性時代」に移ってはや3年、今回でもう終わるのかと思ってました。ところが、「本の雑誌」にまたまた移籍してこれからも続いていくそうです。
 残念ですねえ。
 本人曰く、巨人からオリックスに移籍してクビになり広島に拾ってもらった、みたいな感じだそうです。
 もうそろそろ肩がイカれているんじゃないですかねえ。
 本作はオリックスに喩えられた「野性時代」最後の連載となる、平成27年6月20日から翌年の6月20日までの1年間の記録になります。西村の著作でいえば、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」などを書いている頃です。

 日記も内容は相変わらず。
 たとえば
 9月11日(金)
 午後2時起床。入浴。今日も雨。2時間弱サウナ。
 日中、雑用片し。
 夜、買淫。中当たり。
 帰途、生卵入りとんこつラーメン、餃子ライス。
 帰室後、「東京者がたり」ゲラ。
 午前4時より晩酌。
 発泡酒1缶、ホッピー割で宝を3分の1本。
 サンマの塩焼き2尾と、大根おろし、生うに。それとカブを生のままで1個。
 最後に、手製のカレーライスを2皿食して就寝。


 編集者などの人に会う用事がなければ、終始こんな感じ。
 買淫も相変わらず。今回は当たりが多かったかな。残念。手淫回数は減り気味。
 酒量変わらず。身体の変調、特に痛風に苦しんでいるのもお馴染みの姿。ざまあ(笑)
 前回と違うのは、自炊の回数が格段に増えたこと。
 カレーライスはともかく、天ぷら料理とかも自分でやっています。
 これは想定外の変化でしたね。西村といえば出来合いの脂っこい料理や居酒屋の肴や寝る前の食パン6枚食いなど暴飲暴食がトレードマークですが、自分でしおらしく料理をするイメージはまったくありませんでしたから。
 お金は持っているでしょうから、やっぱ年かなあ。
 まだ幼い知人の姪から電話がかかってきて「うれしくてたまらぬ」などともほざいていましたし。あの顔で。
 白髪の記述も今回で初めて話に出てきましたから。50歳くらいか、うーん。
 まだ死なんとは思いますけどね。
 ただ、人間が丸くなったとはまだ言い切れない気がします。
 天敵の編集者に対する怒りは相変わらずです。
 これ誰でしたっけ? 新潮の矢野編集長でしたか?
 ふたりの間に何があったのか知りませんが、西村という男は藤澤清造研究でうかがえるように、並人のレベルを凌駕した執着心、一種の偏執狂ですし、世の中を斜めに見て歩いていますから、いつまでたっても時間で怒りは解けないと思います。
 でもこういう人間は、混雑した感情が紐解ければ一気に快方に向かいますね。

 こんな感じの西村先生ですが、仕事はいたって順調そうではあります。
 この日誌だって、引き取り手が見つかるんだから需要はあるのです。
 それもそのはず、なんでかわからないですが、面白いもの。ただの日誌なのに。
 なんでだろうね。やはりこの人の破天荒なキャラクターは唯一無二だからでしょう。
 一方で、近代文学研究においては雑誌に連載を持つくらい深い追求をされてきた方です。
 小説マニア、というか文学オタクがこの方の根っこなのでしょうね。
 それがあればこそ、それに影響されてきた人生なのではないでしょうか。