第二級活字中毒者の遊読記

酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「いま、会いにゆきます」市川拓司

 ご存知、100万部超えのベストセラー小説で、映画もヒットし、ドラマにもなりました。
 私、恥ずかしながら、いま初めて読みました。
 今更ですが、正直言って、感動しております。
 「―――君を幸せにしてあげたかった」と絞り出すように巧が言ったところは、思わず感極まりました。
 すごい気持ちがわかるので、どうしようもなく切なかったですね。
 辻村深月の「ツナグ」の「待ち人の心得」と同じような感じで、胸がキュッと苦しくなりました。
 評判に違わぬ、とても雰囲気が優しい清廉な恋愛小説だったと思います。
 愛はこうありたい、です。

 少しだけあらすじ。
 秋穂巧は6歳の息子・佑司を抱えた29歳のシングルファザー。
 高校の同級生だった妻の澪を1年前に病気で亡くした。
 巧はパニック障害的な脳の病を抱えていた。短期的な記憶障害があり、自転車以外の乗り物に乗ることができず、遠くに行くことができず、大勢の人の中でいることもできず、小さな司法書士事務所に務めながら、佑司とアパートで慎ましく暮らしている。
 必死で佑司の世話をし、仕事も懸命にこなしているつもりであるが、生活は破綻しかかっていた。
 そんなとき、奇跡が起きる。
 週末の日課となっている佑司との散歩で、森の中の廃墟の前に、突然、亡くなった妻の澪が現れたのだ。
 幽霊・・・? 巧は澪が亡くなる一週間前に「またこの雨の季節になったら、2人がどんなふうに暮らしているか、きっと確かめに戻ってくるから」と言っていたことを思い出す。それは間違いなく、澪だった。しかし、彼女はいっさいの記憶をなくしていたのだった・・・

 はい。
 「いま、会いにゆきます」というタイトルの意味はすべてが明らかになったとき、理解できます。
 うがった見方かもしれませんが、私はこの一連の物語は巧の小説ではないかと思っています。
 彼は障害を抱えていますが、頭は良くて色んなことを知っています。
 映画館に佑司を待たせたまま、スターバックスでとめどなく小説を書き始めました場面がありましたが、肝心な小説の内容にはいっさい触れられていません。
 巧が公園でノンブル先生に会い、小説を書くと言ったそのときから、小説の中に小説ができたと思います。
 この小説は登場人物がやけに少ないですが、自称小説家の自治会長の息子が出てきましたね?
 ちょっと妙な気がします。小説の中の虚構のような気がしました。
 ですから、私はこの物語をファンタジーだとは思いません。
 物語の中の真実は、1年前に最愛の妻を亡くし、一人息子と懸命に生きる男が明日をよくするために生み出した「よすが」だと思うのです。そして巧は亡き妻が蘇る小説を書くことにより、自分と佑司の着るものにちゃんと目配りできるようになったり、佑司のしつけも男親ひとりでできるようになっていったと思うのですね。
 ノンブル先生は、ノンブル(ページ下の番号)という意味深なニックネーム通り、実在していないと思います。
 彼は、たったひとり愛することができた女性と短い間でも家庭を持てたという巧との対象で現れた人物です。
 同じ意味で犬のプーは、佑司の対象だったとも云えるかと思います。
 小説の中の小説。
 ですから、なぜ8年後に澪があそこに現れたのかファンタジーにしても不自然すぎるという見解は意味をなさないと思います。

 恋愛小説は人それぞれの価値観が違うように、もしみんなが小説を書けるなら違う恋愛小説に仕上がると思います。
 本作は、作者である市川拓司さん自身が濃厚に投影されています。
 市川さんも奥さんと15歳で知り合っているそうですし、発達障害を抱えていらしゃったようです。
 奥手で地味で、生真面目な恋愛。
 巧と澪の恋愛はベストの形ではないかと思います。
 私も15歳で一生の伴侶と思えるような女性に出会いたかったです。
 「―――君を幸せにしてあげたかった」のセリフにもう一度、涙。


 
 
 
 
 
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「死に山」ドニー・アイガー

 世界一不気味な遭難事故〈ディアトロフ峠事件〉の真相

 1959年初めの冬、登山経験豊富なウラル工科大学の学生と卒業して間もないOBのトレッキンググループ(男7・女2)が、ウラル山脈北部のオトルテン山の登頂を目指して出発。彼らは10日後の2月1日にオトルテン山をのぞむホラチャフリ山東斜面にキャンプを設営した夜に消息を絶った。、三週間近くたって大規模な捜索隊が送り込まれ、テントを発見し、最初のうちはメンバーの形跡はまったく見つからなかったが、最終的にテントから1キロ半ほども離れた場所で全員の遺体が見つかった。
 それぞれ別々の場所で、零下30度の季節だというのに、ろくに服も着ておらず、ほぼ全員が靴も履いていなかった。
 なにかが起きて、夜中に彼らは全員が装備もつけずに慌ててテントを飛び出したのだ。
 遺体の回収後に検死がおこなわれたが、その結果は不可解だった。9人のうち6人の死因は低体温症だったが、残る3人は頭蓋骨折などの重い外傷によって死亡していた。女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。
 さらに、遺体の着衣について汚染物質検査をおこなったところ、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出された。
 事件の主任捜査官を務めたレフ・イヴァノフの最終報告書には、トレッカーたちは「未知の不可抗力」によって死亡したと書かれている。
 以後の科学技術の進歩にもかかわらず、50年以上たった今でも、この事件の真相は闇に閉ざされており、事故の原因は雪崩、吹雪、殺人、放射線被曝、脱獄囚の攻撃、衝撃波、凶暴な熊、はてはUFO宇宙人説や極秘ミサイル実験説などの陰謀論までささやかれている・・・

 著者はひょんなことからこの事件に興味を持ったアメリカの映像プロデューサー。
 彼は私財をなげうち、ロシアで生き残っている事件関係者に綿密な取材を敢行し、事故現場にも調査に赴いています。そして結論を曖昧なままにするのではなく、結果的に真相を断定しているわけですが、それはまあ、置いておきましょう(^^)
 まずはじめに、1959年のソ連の出来事であるというグレーなイメージは捨てたほうがいいです。
 警察犬まで投入した大規模な捜索隊や事件の真相に迫ろうとする当時のソ連捜査官の姿勢は、ひょっとしたら当時の日本をはるかに上回る能力といいますか、社会性が存在したようです。読んでいて私も驚きました。
 まだまだ共産主義が成功を収めていた時代だったといえるでしょう。
 さらにスターリンが死亡し、「雪解け」と言われる文化開放の機運がソ連を覆っていました。
 学生たちは、外国にこそ行けませんでしたが、国内のほとんどどこでも自由に旅行することができました。
 また辺鄙な地域への冒険旅行は、地図作成という面からソ連の行政も必要としていたようで、トレッキング冒険が巷で流行っていたようです。事故で死んだイーゴリ・ディアトロフをリーダーとするウラル工科大学のグループは、地域の山々を克服してきた経験豊かな実力派のトレッキンググループで、規律も厳しいものでした。
 それだけに、氷点下の厳しい環境とはいえ標高千メートル足らずの雪崩も起こりえないなだらかな場所で遭難してしまった事実は、謎が謎をよびました。同じ時期に謎の光体が空を浮遊していたという現地人の証言も、一時は捜査陣が真剣に検討するほどだったようです。実はリューマチの悪化のために途中で引き返して命が助かった学生がおり、ユーリ・ユーディンという方で、著者もインタビューしているのですが、この方でさえ、事件の真相を陰謀論に求めようとする気配を持っていました。テントを半裸で飛び出して死ななければならなかった理由は、それほど謎だったのです。
 「未知の不可抗力」。事件の最終報告書でソ連の優秀な検察官はこう書いてあるそうですが、まったく原因がわからなかったのです。

 著者の結論に対する私の意見ですが、実際に現地で実験してみればいいと思います。
 今のところ80%くらいは信用してもいいかな、と思いますが・・・
 ただ、原因を織り込んだ上で著者が想像して書いた2月1日の出来事は、私にはこれ以上相応しいものはものはないだろうと思えました。これならば、ほとんどの辻褄が合うだろうと。テントを飛び出してから、ということですね。
 残り20%の疑いは、それならば似たような遭難事故が起きて不思議ではないのに聞いたことない、それ(原因)に対して感じる個人差があるならば、どうして9人が9人とも死ぬまでに狂ってしまったのか、という問題があると思います。
 はたして真実はどうでしょうねえ。


 
 

「第705海軍航空隊史」海軍705空会会員共著

 中攻隊にエースはいない。
 中攻隊の精華はその編隊の心にある。
 一機一機の翼端にいたるまで一つの心臓から血潮が流れるように伝わってゆく心である。
 基地を遠く離れた数百海里の戦場で死闘する編隊を、目に見えぬ心の糸で力強く支えているすべての隊員の心である。
  
 第705海軍航空隊史編集委員長・元飛行隊長 中村友男

 太平洋戦争戦後30年を期して投稿編集された705空(三沢空)の生き残り隊員による戦記集。
 705空はラバウルを主戦場としてソロモンで死闘を繰り広げた歴戦の中攻部隊です。
 昭和17年3月、鹿屋空から2個中隊を引き継ぎ新規搭乗員を合わせて三沢空として新規開隊され、最新の一式陸攻を使用機材とし対ソ警戒や米軍の北方からの侵攻に備える目的を持っていましたが、青森積雪のため木更津で訓練養成中、戦時急変のため南洋に派遣されました。消耗した四空を引き継いでソロモンの前線の陸攻中心部隊としてガダルカナル爆撃やソロモンでの艦船雷撃に活躍し、705空と改名し約一年にわたり激烈な死闘を繰り広げました。この間搭乗員の死亡は446名。
 705空の戦史はソロモンのみならず太平洋戦争を振り返る上で欠くことのできない貴重な史料です。
 司令や飛行隊長などの隊幹部、飛行科(搭乗員)はもちろん機関科や通信、主計科、医務科の兵員、そして隊付海軍報道班員、戦死隊員遺族など50名を超える方々の回想記は多くを語らずとも万感胸に迫るものがあります。

 705空の足跡はつねに戦いの最前線にあるので、どの資料も興味深いです。
 ドゥーリトルの日本空襲を予期して南鳥島から日本東海上を索敵していたことや、山本五十六連合艦隊司令長官撃墜事件の顛末、雷撃四回生き残り搭乗員の回想、陸海共同でのカルカッタ爆撃、マリアナ海戦前の陸軍負傷兵救助片舷飛行、グアムで終戦を迎えながらも昭和24年までジャングルで戦った兵員の記録、終戦後の抑留記、ユーモアあふれる人柄の中村友男飛行隊長の素晴らしい手記(他本でも読んだ)など、まだまだ感銘を受けるものがたくさんありましたが、私が一番印象に残ったのは、山本五十六長官の撃墜事件のことです。
 昭和18年4月18日、山本五十六ら連合艦隊幹部を乗せてラバウルから最前線のブイン基地まで飛行したのは、他ならぬ705空の一式陸攻でした。山本長官を乗せた一番機のパイロットは、小谷立飛曹長。名前の立からリットルさんと呼ばれた彼は、操縦技術抜群で曳航艦爆撃訓練は必中の直撃弾、ガダルカナル爆撃やレンネル雷撃戦など705空の主要作戦に必ず出撃し生還してきた部隊一の歴戦のパイロットでした。同じ歴戦の705空操縦員だった松田三郎さんの手記にも書かれていましたが、小谷飛曹長は絶対敵機に落とされないと自負し、周囲も確信していました。なぜ急襲とはいえP38にやられてしまったのか?
 謎は解けないとはいえ、実は宇垣纏連合艦隊参謀長を乗せて海上に不時着した2番機のほうも705空の一式陸攻であり、こちらのパイロットだった林浩飛曹は戦後生き残って本誌にその体験談が載せられているのです!
 宇垣纏はその回想記で長官機撃墜事件に触れていますが、林飛曹曰く宇垣纏は居眠りしていたそうです。
 搭乗員はP38を下方500メートル発見したそうですが、これを宇垣纏が見ていたはずはないということです。
 戦後、このときの護衛戦闘機のパイロットの方も生き残っている方がいましたが、連合艦隊幹部搭乗機の内部の様子を語ることのできた人間は林浩飛曹だけです。彼は本誌刊行当時、鹿児島で魚屋を営んでいました。
 真相は無論わかりません。しかし、林さんは本誌で墜落後の顛末やラバウルに帰ってきて機密保護のため病院に隔離されことも告白しています。病院に隔離したのは、本誌に寄稿している705空軍医長も告白しています。
 これは読む価値があったと思いますね。
 それにしても小谷立はどうしてP38なんかに落とされてしまったのでしょうか・・・

 貴様と別れたアブラ湾
 永久の別れと思ったに
 あれから俺も一式で
 故国に帰って沖縄の
 空に再び征ったのさ


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「私の骨」高橋克彦

 1990年代前半に発表された短編作品7篇が収められたホラー短編集。
 約30年前になるのですが、それほど色あせた感じはありません。
 一瞬で背筋が凍るような場面もあったりします。
 ただ少し、どこかで聞いたような既視感を感じるのは否めません。
 もちろん本作が後手を踏んだのではなく、むしろ原点、オリジナルでしょうからね。
 既視感は、本作に収められた作品が後世に影響を与えている証拠と云えるかもしれないです。
 ほぼ作者の出身地である東北を舞台としています。むろん30年前、です。

 簡単に各作の説明。
「私の骨」
 おのずと興味を惹かれるタイトルがつけられた表題作。東北の山奥から上京して、家庭を構え落ち着いた暮らしをしている主人公のもとにある日鳴り響いた電話。それは故郷の叔父からのものでした。すぐ帰ってこいという。両親が亡くなったために300坪1500万円で売りに出した実家の床下からなんと人骨が入った壺が出てきたのです。幼児と見られる人骨の身元はまったくの不明で、地元の警察が騒いでいるらしいのです。急ぎ帰郷した主人公でしたが、立ち寄った警察署で奇妙な話を刑事から聞かされます。なんと、人骨の壺にはある数字が刻み込まれており、その数字「32・8・16」は、他ならぬ主人公の誕生日だったのです・・・私の、骨?
 プロットはともかく、私の骨という発想は素晴らしいです。

「ゆきどまり」
 正月休み、ひとりでスキー旅行をしていた主人公は、山形県と宮城県の県境・蔵王の裏側で交通事故に遭遇。雪道のカーブを曲がりきれなかった対向車が崖から転落してしまいました。運転手の男性は死亡していましたが、助手席の女性は傷一つなく、ふたりは助けを求めて近辺で一箇所しかない宿泊施設を目指します。宿の名は雪泊温泉。幸い、宿泊することができましたが、主人公は、救助した女性と宿の従業員、他の宿泊客の様子がおかしいことに気づき始めます・・・
 一人娘で当時13歳の珠紀の母を殺したのは父です。父は宿の使用人の娘と再婚しました。珠紀は事件を起こす前に宿の宿泊客の男性2人に乱暴されています。

「醜骨宿」
 作家の主人公は、秋田県鹿角市の湯瀬温泉を訪れます。ここ数ヶ月手紙のやりとりをしていた読者の男性が、付近の山中に迷い込み、大怪我をして意識不明の重体になったのです。男性が主人公の手紙を所持していたため、連絡が入ったのです。しかし主人公が東京からわざわざ東北の山奥まで出てきたのは必ずしも読者の男性を慮ったためではなく、この男性が手紙のやり取りで明かした平将門の黄金伝説に興味を惹かれたからでした。この付近には、隠された財宝と墓を骨になっても守っている宮中の女中たちの異界があるらしいのですが・・・

「髪の森」
 テレビディレクターをしている主人公の知人で、ルポライターをしている男性が八甲田山で行方不明になりました。この男性はある取材対象が明かした「八甲田山中の隠し宿」の謎を追って、直接現地へ調査に出かけたまま消えてしまったのです。捜索のために後を追った主人公。しかし現地住民の巧妙な妨害の裏には、驚くべき真相が隠されていたのです。
 一番怖い。展開が巧い。

「ささやき」
 電気も来ていない岩手県の奥地。日本のチベットと呼ばれたその秘境には、「ささやき」という木の伝説がありました。老木の洞に入って耳を澄ませると、いろんな声が聞こえてきてやがてそれは自分の声になり、本人にしかわからないはずの話が耳打ちされるというのです。いわば、心の声です。放送作家の主人公は、自分の郷里でもあるその町に「ささやき」を探しに出かけるのですが、そこには思いもかけない出来事が待っていたのです・・・
 怖いんだけど、ホロッとする話。

「おそれ」
 作家とその知人で挙行された旅行会。目的は夜の怪談。参加者が一人づつとっておきの怖い体験談を語るのですが、ラストの作家のところでオチがつきます。
 理屈がわからないことが一番怖いのです。なぜ女性は逆立ちだったのか、なぜおばあさんは狭苦しいタンスの引き出しに入っていたのか、なぜ足首から下だけだったのか、理由がわかりません。

「奇縁」
 交通事故の被害者と加害者という立場から親しくなった、主人公の弁護士と山村の製材業者。やがて主人公は、製材業者が村会議員も務めている山村の主幹産業である家具製作をめぐる物流メーカーとの訴訟に巻き込まれることになるのですが、主人公が勝利に導いた裁判のその裏には恐るべき真相が隠されていたのでした。
 ラストの話ですが「やっぱり一番怖いのは人間」ということなのでしょう。懐かしささえ感じるプロットで新鮮味こそ今からでは感じませんが、まったく音沙汰のなくなる製材業者の豹変ぶりはサイコパスですね。


 

「三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録」太永浩

 「チョッパリ(日本人の蔑称)はやはり信用できない。アメリカ人のほうがまだマシだ」

 2002年9月の電撃的な小泉首相訪朝。
 日本からの100億ドルの経済支援を喉から手が出るほど欲していた金正日は、強硬な日本外交団の意気に屈し、日本人拉致を認めて謝罪しました。まさかの事態に西側諸国どころか当時の側近の北朝鮮外交団さえ息を呑むほど驚いたといいます。
 しかし、拉致解決ありきに日本世論は急速に傾き、100億ドルの支援はいつにまにか泡と消えました。
 それが決定的となったとき、冒頭の言葉を金正日はつぶやいたそうです。

 著者の太永浩(テヨンホ)氏は、元北朝鮮駐英大使館公使。
 出身階級は平壌の中流階級ながら秀才で、中国に2回の留学経験があり、専門は英語。
 外交官となってから、どうして家庭が幹部階級ではない自分が留学要員に選ばれたのか調べたそうですが、見つけた文書によると、「幹部の子弟ばかりが選ばれれば依怙贔屓という印象を与える」だったからだそうです。
 デンマーク大使館、スウェーデン大使館な在ヨーロッパ大使館員を歴任。このとき、3200トンものフェダーチーズを無償で北朝鮮に支援してくれる契約を取り付け、一躍金正日に激賞され、表彰されました。このチーズは、金正日が各地の軍視察に赴いたときのお土産にされたそうです。
 北朝鮮とイギリスとの関係を取り持ち、国交樹立、駐英北朝鮮大使館の設立に尽力。
 2015年、金正恩の兄である金正哲が大ファンであるエリッククラプトンのコンサートを観るためにロンドンに来た時には、付きっきりでアテンドしました。
 2016年、長男の教育問題を理由として、家族みんなで韓国へ亡命。亡命した北朝鮮外交官の中では最高位。
 現在は、韓国国家安保戦略研究員の研究委員として、南北統一に向けて活動中。本書刊行時56歳。

 分厚い本です。読み応えがあります。
 北朝鮮は金日成、金正日、金正恩と、世界史初の共和政指導者の三代権力世襲となったわけですが、その3人について興味深いエピソードを交えながら、しっかりとした主観によって書かれています。北朝鮮外交官としての、人間としての。
 タイトルにある三階書記室とは、韓国でいう青瓦台、米国でいうホワイトハウス、日本の内閣官房のこと。
 今は金正恩執務室となっている、約200名が勤務する朝鮮労働党中央委員会の三階建の建物です。
 金正恩につていは、改革開放路線を志向しながら、現在の核兵器恐怖路線へ転換したわけを、叔父である北朝鮮実力者・張成沢の粛清に絡めて説明されていました。
 金日成は北が戦争に負ければこの地球は滅びてもかまわない、と言いました。
 朝鮮戦争のときにアメリカの原爆の恐怖に怯えきる人民を見て、毛沢東に厳しく反対されながら、金日成は核武装を保持する決意を立てました。核の心理的威力こそが北朝鮮の核問題の根源です。
 身の丈を超えた長年の核への執着と、共産主義どころか王朝奴隷社会としか言えない世襲政治。
 金正日が北朝鮮をこうしてしまった最大の悪者で海千山千の切れ者だそうですが、毛沢東が死去したときにあまりにも中国人民が手のひらを返したのを見て、金日成は他人への政権譲渡をためらったそうです。しかしながら、著者が公職についた1980年代後半にはすでに政治の実権は、金日成ではなく金正日が握っていたそうです。
 海千山千の切れ者で二枚舌の実利主義者ながら、金正日をして北朝鮮の国家運営は破綻し、保身のために粛清につぐ粛清を繰り返し、それは現在の金正恩体制となってさらにエスカレートしてしまい、もうのっぴきなりません。
 著者は遅かれ早かれ、北朝鮮は崩壊すると言っています。

 小泉訪朝や、それに関する横田めぐみさんの偽遺骨事件などの裏側が知れて相当勉強になりました。
 もっともヨーロッパ専門ということで、日本に関する記述は多くありませんが、北朝鮮外交官が日本の帝国陸軍中野学校を参考にしていたとは驚きでした。金正日は陸軍中野学校を非常に高く買っていたそうです。
 しかし、龍川駅爆破事件の真相だけは謎ですね。金正日が狙われていたのか、あるいは…