「真贋の森」松本清張

 素晴らしかったですね、久しぶりに味わいのある小説を読みました。
 これまで松本清張は「点と線」を読んだくらいで、あんまり印象はよくありませんでした。
 戦後の日本美術史界を震撼させた文化財偽造事件の顛末を描いた「永仁の壺 偽作の顛末」を読んだ時に、松本清張が序文を書いておられ、さらに事件を参考に小説を書いているという記事を読まなければ、本作の存在を知ることさえなかったかもしれません。
 本と本のリンクはこうやって繋がっていくからいいのです。
 結果的に、ひとつの事象を多角的に見ることができますし、記憶にも残りますし、想像が広がります。
 表題作である「真贋の森」は、永仁の壺事件に触発されて書かれたアーティスティックミステリーです。
 単なるエンタメではなく、アカデミックな日本美術史界の陥りやすい問題を暴き、さらに芸術そのものの真の定義にまで迫るかのような深い内容を持っていると思われます。
 何が真物で贋物かという問題を、一軸の絵から人間自身にまで昇華させたその構図もさることながら、オチも素晴らしい。
 オチについては、本作は表題作含めて5篇の作品から成っていますが、どれも秀逸だと思います。
 ラストの一行で、それまでの物語がグッと締まりますし、ガラッと雰囲気を変えてくるのです。
 そんな魔法を見る思いの作品にいくつか出会えました。
 やっぱり、松本清張はすごかったですね。昭和臭さも鼻につくことなく、いい意味でセピアでした。

「真贋の森」
 50代半ば、薄汚れた六畳一間を間借りしている宅田伊作は、かつて東大で将来を嘱望された日本美術史学究の徒であった。しかし、東大教授で戦前から美術行政のボスでもあった本浦博士に一方的な嫌忌を受け、美術史界に生きる道を断たれた。日本の学術施設で職を得ることができなかった宅田はやむなく朝鮮の博物館で嘱託をし、貧しく暮らした。やっと本浦博士が死んだときには、もう彼は学究への夢をなくしていた。日本に帰った宅田は相変わらず定職に就くことなく、かつての美術品審美眼を活かして二流美術誌に雑文を書いたり、骨董屋の口を利いたりで糊口をしのいでいた。
 ある日、馴染みの骨董屋が田能村竹田の贋物を持ってくるが、その精巧さに宅田は舌を巻くと同時にある企みを閃く。
 贋物を描いたのは酒匂鳳岳という福岡に住む貧乏絵師だった。鳳岳は、自分の画ではてんでダメだが模写にかけては見違えるような精彩を放った。宅田は福岡まで鳳岳に会いにでかけ、彼を東京に連れ帰ることに成功する。
 宅田が鳳岳にその作風を習熟させ、精巧な模写を命じたのは江戸時代の文人画家、浦上玉堂である。
 時の日本美術史界のトップは、本浦の愛弟子で宅田と同期だった岩野東大教授だった。
 天と地ほどに隔絶した宅田と岩野の学者人生。本浦もそうだったが、岩野は輪をかけて鑑識眼がなかった。
 作品に対する鑑識眼はないくせに、机上で学問を確立させてきた憎むべき日本美術史界のアカディミズム。
 鳳岳が模写した玉堂の絵を見破れる学者は日本にいない。オレを除いては・・・
 贋物を見抜けない学者を真物であると云えるのか? 宅田の復讐の念がいま、燃え上がる。

「上申書」
 本書の5篇の中ではこれが一番読みにくいですね。
 昭和10年代に起こった殺人事件の証人尋問調書を元に話が進みます。主婦が強殺され、夫が疑われているのですが、夫の供述が二転三転するのですね。なんか読んでいるうちに怖くなってくる。今では当たり前になっていますが、前時代の警察というか、取調べの怖さというものを早い内に暴露した問題作ではないでしょうか。

「剥製」
 これも得も言われぬ味がある作品。
 新聞記者の芦田は、担当になった人気作家の家で、かつて一世を風靡した美術評論家Rに出会います。
 そして、今ではすっかり人気のないRですが、担当先である作家先生からこっそりRに何か書かせてやってと頼まれるのです。
 先生の頼みならばと上司も承諾しましたが、出来上がった原稿はとても読むに耐えず・・・
 芦田は1年前、口を鳴らすとたちまち何十羽という鳥が寄ってくるという、鳥寄せの名人を取材しましたが、思わずその出来事が脳裏に浮かびました。剥製は人間。盛りを過ぎた、形骸ばかり・・・

「愛と空白の共謀」
 ここ3年、勝野章子はふた月に一度、ひとりで一週間を過ごす。会社の営業課長である夫が決まって出張するためである。しかし今回はいつもと違った。突然の凶報が舞い込んできたのである。それは、夫が京都の旅館で急病になったという電報だった。取るものも取りあえず章子が駆けつけたときには、夫はもう死んでいた。
 書院風の、古めかしい荘重な旅館だった。
 それから3年。章子は妻子ある夫の同僚と不倫をしていたが、不意に見てしまった男の利己心で破綻する。
 同時に、思わぬ偶然から3年前の夫の死の謎が解ける瞬間がやってくる。

「空白の意匠」
 これなんて、ラストの一行でガラリと風景が変わる逸品です。
 地方の小新聞で広告部長をしている植木欣作は、その日の朝、自分のところの新聞を見て頭を抱えてしまう。
 広告の大得意先である一流の製薬会社の新強壮剤を飲んだ人間が、中毒死したという事件の記事が載っていた。
 編集部の無神経さに植木は呆れる。新聞社は購読料だけでは経営できないのである。
 ご丁寧に、そこにはランキロンという薬の名前まで載せられていた。ライバル紙や全国紙には薬の名前まで載っていない。
 これは先走りではないか。案の定、広告代理店と製薬会社が大激怒したあげく、薬物事件は間違いだったことが判明する。
 植木は至急、謝罪のために東京に向かい、新聞には一面に謝罪広告を載せたが、ことは簡単には収まらない・・・


 
 
 
 
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