「忘れ得ぬ〈ト連送〉」松田憲雄

 連合艦隊司令長官山本五十六大将の訓示電が読み上げられた後、艦橋下から走り出た参謀が、
 「ちょっと聞け。今ラジオを聞いてきたが、敵は察知していない。ジャズがジャンジャン聞こえている。勝利は間違いないぞ」と勢いよく言った。隊長の命令で、私たちはいっせいに挙手の敬礼をして、愛機に向かって走った。
 最後部の雷撃機の前に並んでいる愛機にたどりついた。胴体下の鈍い銀色をした800キロの艦船用徹甲弾が、0・2秒遅発信管をつけて抱かれている。
 電信席に座る。電信機のカバーをはずして、電源スイッチの低圧を入れる。受聴器を左に、伝声管を右に装着する。
 約20秒後、陽極(高圧)電源を入れる。シャーッという軽い雑音が受聴器を流れてくる。整備に念を入れた空三号航空用無線電信機は快調だ。暗号書、略符号表を電信機横の定位置に置く。受信板に受信紙をはさんで、股にゴム紐で取り付けた。弾倉(92発入り)3つを銃架の下に並べた。――さあ、出撃だ。


 真珠湾奇襲からミッドウェー海戦、南太平洋海戦の激戦を戦い抜いた機動部隊雷撃機電信員の記録。
 タイトルの「ト連送」とは、「ト、ト、ト」=全軍突撃せよの符号のことです。
 南太平洋海戦では海上スレスレに飛んで敵の輪形陣を突破し、必殺の魚雷を空母ホーネットにたたき込みました。
 著者の松田憲雄さんは、大正11年鹿児島県天城村生まれ。早くに両親を亡くし、ずいぶん苦労されています。
 郵便配達夫をしながら猛勉強して、昭和13年に海軍志願兵の試験に合格したそうです。
 艦攻電信員の役目は、艦上攻撃機の3席並んだ最後席で無線の送受信を行うほか、後方の見張りをし、7.7ミリ機銃の射撃手を務めます。本文にあるように航空写真を撮るときも多いですし、不時着水した場合のゴムボートは電信席にありますので、その準備もしなければなりません。後ろから敵機に撃たれれば真っ先に死にます。しかし、もちろん忙しいでしょうが、操縦員や真ん中の偵察員と比べると、まだ、余裕があるでしょう。だからかもしれません、本書の戦闘シーンは非常に精密であり臨場感があります。今まで読んだ戦記のなかでもピカ一であると思います。これは著者の筆力と記憶力もさることながら、雷撃機の最後方から戦場をつぶさに観察できたからではないでしょうか。
 また、話は飛びますが、終戦の日に結婚式を挙げた人の話を初めて聞きました(読みました)。
 著者は海軍の下士官なので、結婚のために1週間の特別休暇を取っているとはいえ、すぐに原隊に帰らなければならず、ずいぶん混乱したそうですが、こんなこともあったのですねえ。花嫁の顔どころじゃなかったでしょう。花嫁にしても、戦争が終われば軍人である花婿はどうなるかと思ったのではないでしょうか。飛行機の搭乗員はしょっぴかれる、なんてデマも飛んだ時分ですからねえ。

 さて、松田憲雄の簡単な戦歴を。
 呉海兵団の新兵教育でシゴかれた後(著者は金槌だった)、横須賀海軍通信学校、第49期普通科電信術練習生。
 ここの教育は「指頭有声」(指に声有り)がモットー。昭和14年7月卒業。
 先に実施部隊戦艦「扶桑」乗組訓練半年、偵察教程で鈴鹿空へ。第50期偵察練習生。昭和15年9月まで。
 大分宇佐空で艦攻実用機教程。このときの分隊長は友永丈市大尉でした。昭和15年12月修了。
 呉の水上機に配属されます。工場の広場で女工が体操しているところを緩降下して驚かせ、罰直。
 昭和16年4月1日、空母「龍驤」に配属。訓練中、左脚、フラップ出ず不時着水経験。
 10月1日、空母「赤城」へ。ペアは操縦松浦一飛(同年兵)、機長偵察徳留一曹。赤城はあまりにも巨大で、ミッドウェー海戦で沈むまでついにその全容を知ることはなかったそうです。
 真珠湾作戦までの道程は詳しく書かれています。赤城にオアフ島の精巧な立体模型を用意して、各空母の搭乗員がそれを見に来たことや(このとき山川新作の記述有り)、艦型識別の訓練、艦内拡声器が開戦日を告げた12月4日のこと、各機ごとに清酒1本配給され翌5日に大宴会をしたこと、そして12月8日当日の緊迫した出撃の朝。日本時間午前零時半に起床した搭乗員は、機関部の用意したたっぷりの真水で洗面をし、主計科心尽くしの赤飯を食べました。弁当はお寿司だったようです。著者は水平爆撃隊第2中隊2小隊2番機として、誉ある第一次攻撃隊に加わりました。
 しかし、写真班から託された航空写真は、興奮のためかすべて失敗したそうです・・・
 真珠湾の後、赤城はラバウルやポートダーウィン爆撃、インド洋作戦に出撃しました。
 インド洋作戦では、その前にこれが終われば内地に帰れると小耳に挟んだために、鹿児島に帰れるのだという気持ちが、なんとしても生きたいになり、恐怖心に変わりました。初めて電信席で震えたそうです。
 ミッドウェー海戦では、第2次攻撃隊(敵艦船への雷撃)に配されており、当初は余裕でマンドリンなどを弾いていましたが、艦攻の雷装を爆装に換えたり、再び雷装にしたりあたふたしているうちに、敵雷撃機の襲撃なども起こり、ようやく第2次攻撃隊として整列したときに敵機の爆弾が甲板上で炸裂しました。この爆弾が悲劇的にあたふたしていた格納庫に誘爆。赤城は航行不能となり、搭乗員優先で著者は駆逐艦「嵐」のカッターに救出されました。
 内地に帰り着くと、鹿児島の笠ノ原基地で軟禁され、空母「翔鶴」に配属されました。村田重治少佐と一緒でした。
 翔鶴でのペアは機長中村勇哲一曹偵察、操縦は川崎悟三曹。ちなみに著者もこの時には三曹に昇格していましたが、いまだに食卓番をしており、著者が食卓番から逃れられるのは、翔鶴対艦後になります。ずっと下っ端だったのです。
 昭和17年10月26日の南太平洋海戦では、初めて雷撃に出動し、敵の包囲網をかいくぐって見事ホーネットに雷撃、成功しました。このときの描写は迫力あります。隊長機や同僚の機が次々と墜とされていきますし、敵機の追撃もありますから。そして帰りが大変でした。下に見えた「準鷹」に「翔鶴」の場所を聞いて行くと翔鶴は大破していました。仕方なく「瑞鶴」に降りようとすると忙しすぎて相手にしてくれない。そのうちに燃料が尽きて駆逐艦「響」の側に不時着水しました。
 翔鶴に帰ると、まだ攻撃隊の誰も帰り着いておらず、飛行長や牧島貞一写真報道班員に戦闘の模様を詳しく聞かれたそうです。著者は鷲見中隊長機の自爆の一部始終を見ており、大尉の最期を伝えました。
 大破した翔鶴は内地で修理に回り、著者も退艦しました、「龍驤」以来1年7ヶ月に及ぶ艦隊生活が終わったのです。
 この後、著者は大井空、上海空で偵察教員となり、陸軍の飛行隊へ電信技術の教育に派遣されたりしますが、二度と艦隊に戻ることはありませんでした。


 
 
 
 
 
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