「黒書院の六兵衛」浅田次郎

 幕末。東京遷都前夜の江戸城を舞台に、格調高く浅田節が吟ぜられる、創作の時代小説。
 いや、謎の人物の正体が最後まで気になる作りなので、ミステリーとも云えますね。
 「壬生義士伝」という最高傑作がすでに存在し、百田尚樹の「永遠のゼロ」でもその手法が露骨に真似られ、最近ちょっと飽きてきた感のある浅田節ですが、今回、ラストでちょっと泣かせてもらいました。
 全体の出来からすれば、冗長というか、無駄に回りくどい作品で、並みの作家ならまだしも、浅田次郎の作品としては物足りないと思います。でも、余韻の心地よいラストと、読後も残った謎の楽しさで、「さすが浅田次郎、読んで損はない」とも、言い切れるかと思います。

 慶応4年3月14日、勝海舟と西郷隆盛の談判で、無血開城が決まったばかりの江戸城。
 尾張徳川家江戸定府の御徒組頭である加倉井隼人は、官軍の軍監から、江戸城明け渡しに先んじる官軍の俄隊長を申し付けられた。要は開城の勅使が向かう前の斥候であり、すぐさま斬り殺されても不思議ではなく、たまたま暇で下級役職の隼人が選ばれたのである。
 御三家筆頭である尾張徳川家は、もともと勤皇の志が篤かった藩主徳川慶勝の元、藩論は勤皇で統一されていた。
 いきなり徳川家に縁のない西国の官軍兵が入城するのに比べ、御三家の者ならば比較的、角が立たない。
 徒士30名の配下を引き連れ、緊張で嘔吐く部下もでる中、おっかなびっくり生まれて初めて江戸城の門をくぐった隼人だったが、留守居役の家老や、最高責任者の勝海舟をはじめ抵抗の様子はまったく見えない。
 ただ、一点を除いては・・・
 江戸城の本丸は火事のために消失し、現在は西の丸が仮御殿となっていたが、その西の丸御殿の一室に、無念無想で座り込み、物も言わねば梃でも動かぬ侍が、ひとりいたのだ。
 その武士の名は、的矢六兵衛。歳のころなら40前後の分別顔、黒ちりめんの羽織に半袴という身なりは他の役人と同じだが、妙に居ずまいが正しい。鬢には一筋の乱れもなく、月代は青々と剃られており、長身であろう背筋はぴんと伸びていた。
 的矢六兵衛の身分は、三百俵五十人扶持の御書院番士である。
 御書院番士とは、戦時には主君の馬廻りに近侍する騎士であり、平時においては身辺の警護をする、矜り高き旗本中の旗本である。元和慶長以来の世襲であり、的矢家もまた由緒正しい家柄だ。
 しかしながら、一組五十人、十組で総勢五百人の御書院番士の大方が鳥羽伏見の戦いで散り散りとなり、残りも上野の大慈院に謹慎中の上様の警護か、江戸開城を潔しとせずに脱走して彰義隊に身を投じるなか、的矢六兵衛は何を思って、ただひとり西の丸に、石のように座り込んでいるのか。
 わからぬ。官軍の物見の先手として入城した隼人は、弱ってしまう。半月後には勅使が来るやもしれぬのだ。
 困ったことに、江戸城に残っている旧幕臣の誰もが、六兵衛座り込みの理由を知らなかった。
 さらに、驚くべき情報が聞き込みからもたらされた。
 この六兵衛は、的矢六兵衛であって的矢六兵衛にあらず、昨年の正月に、屋敷の若党や奉公人も従前のまま、ご隠居夫婦も依然としてお住まいになり、もとの六兵衛と女房子供だけが入れ替わったというのだ。
 そんな馬鹿な話があるか! しかし、それが真実とすれば、六兵衛と申す奴は何の目的で、ここにいるのか?
 上様のお身代わり説、天朝様ご勅遣の物見役説、そして大英帝国密偵説・・・
 噂の吹き出る中、虎の間で折り目正しく端座していた六兵衛が、すっくと動き出す。その先には――

 では、ミステリーである的矢六兵衛の正体について、私が思うこと。
 まず、答えはありませんし、作者は具体的なそれを想定していません。
 なぜなら六兵衛は、260年のあいだ家柄がどうの血筋がどうのとこだわり続けるうちに、天下の旗本にふさわしき武士はいなくなったこの幕末に、その最期のときを迎えて見た、一閃の光芒であるからです。
 武士の時代の最期に輝いたメタファーなのです。
 近侍の騎士である御書院番士が、幕末には馬を持っていなかったくらいなのですよ、金がないから。
 旗本御家人3万と5千は、累代積み重なった借財に、救いのない貧乏暮らしをしていました。
 これが維新で幕府があっけなく瓦解した元凶でもあったのです。
 そんなときに、おそらく四千両ものお金で旗本株を買って江戸城に居座った、六兵衛は何者だったのか?
 ヒントは、子供と奥さんはおそらく本物だということ(隼人の妻談)、名商鴻池振り出しの為替手形で淀屋に代金を払ったこと、夫婦ともに苦労が手ににじみ出ていたこと、家族揃って武家としての挙措に筋が通っていたこと(すなわち昔からの武家ということにはならないが)などが挙げられます。
 私が注目したのは、鴻池の手形です。おそらくバックは、相当な身分の人物かと思われます。
 そして家族揃って行儀がいいのに、苦労をしていたということは、浪人だったのではないかと。
 六兵衛は、同輩や講武所の教授方が叶わぬほどの、剣の腕前(直心影流)を持っていましたが、これは一朝一夕では上達しないことは、誰もが理解できることでしょう。
 以上から私が勘を働かせるに、ズバリ、可能性が高いのは、水戸の浪士ではないかと。
 直心影流の元は鹿島の剣法です。六兵衛のバックは、水戸徳川家の直系である徳川慶喜その人ではないでしょうか。


 
 
 
 
 
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