「幕末維新・四国各藩の動向と選択」山崎善啓

 歴史好きにはたまらないマニアックな本。
 私は格別に歴史が好きというわけではありませんが、楽しく読みました。
 幕末、四国にいくつ藩が存在したのかなんて知っている方は、まあいないでしょう。
 坂本龍馬や板垣退助など維新のスーパースターが数多く輩出された土佐藩は有名ですけどね。
 幕末四賢侯のひとり、高度に開明的な思想を持った伊達宗城率いる宇和島藩もメジャーではあります。
 他にも、阿波徳島藩、伊予松山藩、讃岐高松藩、丸亀藩etc・・・四国には本藩支藩含めて十四藩ありました。
 阿波1,讃岐3,伊予8,土佐2。それに伊予に幕府直轄の天領もありました。
 本書はこれら四国十四藩及び天領が、幕末維新においてどういう選択をしてどう行動したかをまとめたものです。
 
 幕末、将軍徳川慶喜による大政奉還(慶応3年・1867)を機として、江戸で薩摩藩邸焼き討ち事件、鳥羽伏見における開戦が戊辰戦争へとつながり、国内は新政府方と徳川方とに分かれて、明治2年5月に五稜郭が開城されるまで、約1年半戦争が続きました。
 渦中の中心にいた土佐藩はともかく、他の四国の藩にとって、旧権力と新権力の戦いとなった戊辰戦争は藩の存亡に関わる大事件でした。おおかた、四国の片田舎で太平楽に寝ておったわけですからね。
 といっても右にならえですべて同じ行動を取ったわけではありません。
 勤王の論理で何としても徳川方を征伐しようとする藩、徳川方に恩義を感じ佐幕意識の強かった藩、自藩の存続を考え揺れ動いた藩など、様々な反応を見せました。
 それは、幕末を生き残るための苦渋の選択、決断の歴史でした。
 四国の小藩の選択如きは、しょせん井の中の蛙、いや鳥無き島のコウモリだったのでしょうか。
 いえいえ・・・それどころか、四国の各藩の選択は、維新の行く末に重大な影響を与えることになったのです。

・徳島藩(25万8千石・外様)
 蜂須賀家。13代藩主斉裕が慶応4年1月に病没し、茂韶が新藩主となってから、日和見から転換、佐幕派から勤王へと新政府支持に回った。その意味ではタイミング的にツイていたと云える。鳥羽伏見での大津警護から、江戸、東北、関東と重要な戦場を転戦し、出兵総数は1千を数えた。
・高松藩(12万石・連枝)※連枝とは徳川御三家の子弟が分家して大名になったもの
 二代から水戸光圀の系譜。親藩。複雑な藩情をもち、鳥羽伏見では徳川方に回ったため、朝敵にされた。高松城下は大混乱し、在坂の家老は2名切腹するも、土佐藩の征討軍の来攻を止められず。藩主以下ひたすら謹慎謝罪し、征討軍を前に門前で「降参」と大書きされた白旗を掲げ、家老は土下座した。この速やかな恭順措置により、極めて早く罪を許され、旧態に復する。軍費十二万両を献納、兵5百名が従軍した。
・丸亀藩(5万2千石・外様)
 京極家。当初、日和見だったが、高松藩征討では土佐藩の先陣を務めたほか、京阪神に83名の護衛を拠出する。
・多度津藩(1万石・外様)
 京極家。丸亀藩の分封。伏見警備に50名を拠出したほか、高松藩征討では海路高松へ参陣した。
・今治藩(3万5千石・家門)
 藩祖・松平定房は江戸城大留守居番役(城代)の名門。兄弟藩の松山とは異なり、時代の変化に対応し、当初から勤皇派だった。鳥羽伏見では皇居警護に117名を派遣、会津若松城攻撃にも尽力した。
・西条藩(3万石・連枝)
 徳川家康の孫の家柄。親藩。佐幕・勤王二派が拮抗するも、勤王で藩論を統一。京都守衛を命じられる。
・小松藩(1万石・外様)
 西条藩の分封。一柳家。勤王派として藩兵の近代化に取り組む。藩士全190名中51名を会津征討軍に拠出し、長岡城攻撃などに活躍した。輜重隊として参加した森川伝蔵の冒険譚が記録として残っている。大藩に伍して小藩がよく戦った好例となる。
・大洲藩(6万石・外様)
 米子の加藤家の転封。土佐藩と交流を持ち、長州藩とも友好関係を持っていたバリバリの勤王派。鳥羽伏見では長州藩の上陸支援や敵情視察を行うなど、官軍の勝利に大きく寄与した。天皇が東幸する際の供奉を務めた。
 藩主の加藤泰秋は、天朝を尊び教学を興して人材を登用し、小藩中随一の名君と云われる。
・新谷藩(1万石・外様)
 大洲藩の内分。皇居護衛、天皇東幸護衛など、勤王派として積極的に活動。
・宇和島藩(10万石・外様)
 伊達家。伊達宗城は幕末四賢侯のひとり。藩政改革、西欧の軍制や兵器の導入に取り組んだ。脱獄して重罪人となった高野長英を招聘したり、大村益次郎を招いて研究をやらせ、シーボルトの娘イネを産婦人科医として招いた。さらに提灯屋の嘉蔵を起用し、火輪船を造り宇和島湾を航送させた。人材の抜擢になんのタガもなかった殿様。新政府の高官として栄進した。
・吉田藩(3万石・外様)
 宇和島藩の分封。藩主伊達宗孝は暴君の放蕩大名。伊達宗城により、からくも藩の命運をつなぎとめる。
・松山藩(15万石・家門)
 四国十四藩中もっとも維新の嵐に苦しんだ藩。松平家。藩主の松平定昭は、大坂城で徳川慶喜と一緒だった。慶喜には勝手に逃げられるが、朝敵とされる。藩内は抗戦と恭順で大混乱するも、前藩主勝成が恭順でまとめる。土佐藩は勅命により征討軍を松山に派遣して数ヶ月占領するが、もとより同情的であり、松山藩に恨みを持つ長州軍の松山征伐より守るための占領であった。松山征討にあらず保護だった。官軍方に軍資金十五万両を献納。著者は松山藩の参陣はなかったとされている鳥羽伏見の戦いで、実は松山藩は参加していたとする推測を史実をまじえて検証している。
・土佐藩(24万2千石・外様)
 山内家。山内容堂は幕末四賢侯のひとり。当初は、佐幕的公武合体思想が強かったが、郷士と呼ばれる土佐藩独特の下級武士に引っ張られる形で、維新の渦中に放り込まれる。慶応4年1月11日朝廷より高松、松山及び川之江幕領を討伐の勅書が届く。松山には長州出陣に先んじて占領、数百枚の「土佐藩下宿」の張り紙で、長州藩の狼藉から松山の人家を守った。戊辰戦争には兵総数2千を拠出した。
・土佐新田藩(1万3千石・外様)
 土佐藩分与。領地なし。代々定府の家柄であり、藩主の山内豊福は元は恭順派だったが、末席ゆえ意見もままならず、江戸城内の大勢に同調を余儀なくされ、抗戦派となってしまう。徳川家と宗家土佐藩の板挟みとなり、切腹した。
・川之江天領(1万9千6百石)
 幕領。松山藩に年貢取り立てなどは委託されていた。川之江陣屋には朝敵となった松山藩の代官所があり、高松征討に向かう土佐藩軍、板垣退助らの通り道であったため、そのまま藩命を待たずに降伏した。
 その後数年間、土佐藩領となった。



 
 
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