「極大射程」スティーヴン・ハンター

 途方もない長距離射撃だ。
 世界を見渡しても、これを成功させる射手はほとんどいない。
 彼はすでに何万回もやった弾道計算をもう一度手早く大ざっぱに繰り返した。
 少なくともこの弾丸がこの距離で示す弾道は、同じ重量と弾道特性を持つ弾丸が示すものとは別物と考えなければならない。さらには、風を感じとること、射撃姿勢の微調整をすること、脳から射撃以外のことを全部締め出すこと。
 ボブは人間の感覚では測れないほどの短い時間で六十分の五十度、角度を補正し、いつものすべてが鮮明になる不思議な一瞬のあいだに標的の黒点を捉え、引き金が自然に絞られて弾丸が発射されるのを感じた。


 ボブ・リー・スワガー。又の名を“ボブ・ザ・ネイラー”。海兵隊退役一等軍曹。
 1955年、ボブが9歳の時、警察官だった父親のアール・スワガーが職務中にジミーとバグ・パイという二人の白人に殺害された。それからボブは母の実家のアーカンソー州の貧しい農場で育った。
 そこでは狩猟はあたりまえで自然なばかりか、生活に必要な技術だった。
 ボブは十代の頃からライフルに習熟し、並外れた才能をもつライフルマンになる。
 海兵隊に入ったボブは、1966年に初めてヴェトナムに派遣されてから計3度の長い派兵を経験した。
 1971年に全米千ヤードライフル選手権で優勝した彼は、海兵隊司令部中隊の偵察・狙撃小隊に属し、数々の武勲に輝いた。中でもボブの殊勲として名高いのは、孤立した特殊部隊前進基地に攻撃をかける北ヴェトナム軍の大軍を待ち伏せしたときで、ボブと親友の監的手ダニー・フェンのたったふたりのみで敵将校を順繰りに射殺し続け、味方の危地を救ったことだ。
 しかしボブの戦争は1972年12月11日、唐突に終わった。
 千ヤードの距離から発射されたライフル弾で腰を撃たれ、重傷を負ったのだ。監的手ダニー・フェンは彼を助けるために狙撃されて死亡。ボブは1975年、3年間におよぶ苦痛に満ちたリハビリの後、海兵隊を除隊した。
 腰に傷を負って一定の姿勢が長時間とれない彼にとっては、競技射撃の終わりでもあった。
 離婚後、アルコールに溺れた彼は、ようやく1980年代になって自分自身と国家に折り合いをつけた。
 たったひとり、ウォシタ山脈のトレーラーで隠遁生活を始めたのだ。ライフルだけが友のような・・・
 湾岸戦争に勝利したときの国民の愛国的熱狂が、彼の孤独と苦渋をさらに増大させたことは想像に難くない。
 生計は海兵隊の障害手当と、地元で弁護士をやっている年上の友人であり猟仲間のサム・ヴィンセントが1986年に雑誌に対する訴訟で勝ち取った3万ドルの残りでまかなっている。
 これが西側世界最高の狙撃手と云われた男の、世を捨てた近況であった。

 ついに読みました、ずっと気になっていたスティーヴン・ハンターの名作「極大射程」。
 扶桑社文庫の新装版が出たのです(・∀・)
巻末の解説によれば、ボブ・スワガーシリーズの第一作である本作が日本で刊行されたのは、第二作(番外編でもある)である「ダーティホワイトボーイズ」と第三作「ブラックライト」が刊行された後だったというのですから、摩訶不思議ながらも笑えますよね。しかし、いまはじめてこのシリーズを読み始めようとしている私にとっては、新装版の刊行は絶妙のタイミングでした。
 
 ボリュームは文庫本上下巻しめて900ページ強。
 あらすじですが、詳しく触れればたちまちネタバレになってしまいそうな構成ですので、簡単には書けません。
 ですがそれほどデリケートだということは、アクションをふんだんに織り込めた冒険小説でありながら、裏を返せばドンデン返しのミステリーの面白さにも溢れているということです。
 なんせ、上巻の半分くらいで「あれ、このまま終わるのでは?」と思わされたくらい。
 罠というか、主人公がハマる落とし穴ですね、その仕掛けが凄い。
 これほど用意周到に掘られた落とし穴は滅多にお目にかかれません。そのぶん、そこから這い上がってくるカタルシスが大きくなるのは言うまでもないことですが、まさに絶体絶命。本当に死んだと思わされるシーンがいっぱい。
 また、遊底を引いては撃ち、引いては撃ち・・・というリズミカルな戦闘シーンの秀逸な迫力は、他作の追随を許さないでしょう。難しいんですがねえ、小説の中でアクションを表現するのは。
 ボブとFBIニューオリンズ支局捜査官であるニック・メンフィスの交錯の仕方も素晴らしいプロットでした。
 あらすじは控えますが、シリーズですので気になった登場人物をメモしておきます。


ジュリー・フェン ベトナムで戦友だったダニー・フェンの妻。美しい中年女性で、ボブの絶体絶命の危地を救うが、複雑な争いに巻き込まれる。
ニック・メンフィス FBI捜査官で、元狙撃手。1986年人質救出作戦で失敗、人質だった女性を誤って狙撃した。後、その女性を妻とする。本作のカギを握る好人物。
サム・ヴィンセント 81歳の頑固なアーカンソー州元検事。ボブの数少ない友人。ラストで見事な仕事。
アール・スワガー ボブの父親。硫黄島の戦いで名誉賞を授かった元第二次世界大戦の英雄。警察官となり、1955年に銃撃戦の末死亡。
デイヴィッド・ドブラー 元精神科医で、ラムダインの心理分析官。ボブ側に寝返るが、クライマックスの戦闘後行方不明。
カール・ヒッチコック ベトナムでボブが所属した小隊に5年前までいた伝説の狙撃手。93人殺害のスコアをもつ(ボブは87人)
ラスフォード・オブライエン大佐 おそらく全米一の銃器専門家。10番目のブラックキング(ウインチェスター社歴代最高のライフル)の来歴を知る人物。
スーザン・プリース ボブの元妻。ノースカロライナ州で再婚。騒動の渦中「ボブ・リー・スワガーは狙った獲物を絶対に外さない」と名言を残した。


 
 
 
 
 
 
 
 
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