「蒼空の器」豊田穣

 読んでいる途中から、頭のなかでアメイジング・グレイスが流れます。
 紫電改戦闘機隊の先任飛行隊長、撃墜王・鴛淵孝(おしぶちたかし)の短すぎる青春を描いた伝記。
 著者は、鴛淵と海軍兵学校第68期の同期生で、直木賞作家である豊田穣。
 元は軍事雑誌『丸』に1976年から2年半連載されたもので、今回私が読んだのは光人社名作戦記として2002年に刊行されたものとなります。

 このブログでも何回か取り上げているのですが、太平洋戦争末期に咲いたあだ花、本土防空“紫電改戦闘機隊”。
 四国松山を基地として、昭和20年から開隊された第343航空隊は、司令である源田実大佐が直接軍令部と交渉し、遠くはラバウル、近くはフィリピンから、生き残りのエースパイロットを呼び寄せた精鋭部隊でした。
 俗に“マリアナの七面鳥撃ち”と言われまして、マリアナ沖海戦において、性能的に連合国の戦闘機に太刀打ちできなくなってきたうえに、搭乗経験の浅いひよっ子パイロットが乗った零戦は、アメリカの空母艦載機に次から次に叩き落とされました。まるで七面鳥をなぶり殺すが如くのもので、すっかりアメリカのパイロットは調子に乗っていました。
 その高く伸びた鼻を思い切りへし折ったのが、最新鋭の重戦闘機・紫電改を擁した松山343空なのです。
 昭和20年3月19日、鼻歌交じりで海軍の根拠地である呉に向かって進撃するアメリカの空母艦載機群を、満を持して強襲し、50数機に及ぶ撃墜戦果を上げたのです。以来、紫電改はジョージと呼ばれて連合軍に恐れられるようになります。

 343空は、戦闘「301」「407」「701」の3飛行隊と彩雲偵察隊で構成されていました。
 鴛淵は、戦闘701飛行隊(通称維新隊)の飛行隊長であり、全体の先任飛行隊長でもありました。
 戦闘301飛行隊長は最後の撃墜王こと菅野直大尉(海兵70)、407飛行隊長は、林喜重大尉(海兵69)。
 343空飛行長の志賀淑雄少佐は、この3人の隊長の人間像を、「鴛淵は楠木正成、林は乃木将軍、管野は清水次郎長」と著者に対して語ったそうです。
 まあ管野直は私も本を読みましたけど(「最後の撃墜王」カテゴリー海軍戦史・戦記参照)、空の要塞B29の撃墜方法を考案したり、戦闘機乗りとして天才的な能力を発揮する一方、プライベートは暴れん坊将軍ですから。
 というか、極めて運動神経の高い者しか戦闘機乗りとして選ばれないんですが、なんせ一人乗りだし、極めて危険だし、大空では食物連鎖ピラミッドの頂点に立つ存在でもあるので、ちょっと一風変わった人が多いのですね。
 そんな中、鴛淵孝はというと、好青年、品行方正、誠忠無比。著者曰く、「敢闘した軍人は多いが、鴛淵孝のように優れた資質を持ち、期友に絶大な感化を及ぼし、江田島精神の権化と讃えられる人物を他に見出すことは難しい」。
 これほど、海軍兵学校出の幹部士官として、文武両道でリーダーシップもあり、ユーモアも解し、仲間にも部下からも愛される軍人はめったにいないんじゃないでしょうか。
 だから終戦のわずか2週間前の7月25日、櫛の歯が欠けるようにたった21機に減った紫電改迎撃隊で、100機を超す敵艦載機群と豊後水道上空で死闘を繰り広げ、衆寡敵せず大空に散ったこの25歳の若き隊長を思うとき、思わず頭のなかにアメイジング・グレイスが流れたのです。
 兵学校で出来の悪かった豊田穣が、撃ち落とされながら捕虜になって生き残ったのに、この男が死んだかと。
 運命は皮肉だと思いますが、こういう責任感の強い人間だからこそ、死んだのかもしれないですね。

 鴛淵孝は、大正8年(1919)、長崎県出身。
 県の衛生課長で医師でもあった父に厳格に育てられました。
 佐世保には海軍の軍港があり、停泊する軍艦を見るうちに海軍に対する憧れが膨らんでいったようです。
 冒頭は、松山343での奮闘から書かれていますが、中盤は著者も長崎で取材したという鴛淵の生い立ちや、兵学校に進学してからの青春期を主として語られています。
 343空で鴛淵の部下だった山田良市(海兵71。後の航空自衛隊西部航空方面司令官)の話もあります。
 当初はどうしてこんなに細かく小さい頃までと思ったんですが、それが結局は鴛淵という人間の輪郭をハッキリさせることにつながっていましたね。だから感情移入しやすいんですよ、空戦とかになると。
 兵学校のときの話は面白かったです。
 これほど兵学校の生活を詳しく紹介した、活きのいい小説というかノンフィクションはないんじゃないですか。
 それもそのはず、著者も鴛淵と1年生(4号生徒)を同じ第2分隊で過ごした同期生ですから。
 自分を登場させるのはこっ恥ずかしかったかと思いますが、身長160センチ体重75キロ柔道3段で階段がうまく駆け上がれない豊田と、ぜい肉がなく足も長くてスマートな鴛淵の対比は、著者には悪いがとても効果的で面白かったです。
 卒業後(昭和15年8月)、著者と鴛淵は昭和16年5月に第36期飛行学生として霞ヶ浦で再会します。
 ちなみに艦爆パイロットになった豊田穣は昭和18年4月7日、ガダルカナル上空で撃墜され、捕虜になりました。
 兵学校で同期だった真珠湾潜航艇の捕虜第一号酒巻和男と、まさかのアメリカのウィスコンシンで会うことになります。
 鴛淵や豊田の兵学校68期は別名“土方クラス”と言われまして、68期を教育した65期生がとにかく殴りつけてしつけをした期生なのです。65期生は同じように62期生に殴られて教育されたのですね。
 ちなみに69期生は“聖人クラス”といって教育担当の66期生は暴力なしで海軍軍人としてのしつけを教えました。
 これも66期生は、63期生から殴られることがなかったからです。
 これは現在の高校の部活動なんかも一緒で、いじめられた学年は新入生をいじめ返し、優しくされた学年は優しく接する傾向が強くなります。強いクラブほど、そういう面が見られますね。

 あと、これは触れておかねばなりません。
 最終章は、いよいよ鴛淵が南方ラバウルへ進出するのですが、どうも記述がおかしいのです。
 兵学校時に世話になったラバウルのリヒトホーフェンこと笹井醇一や、有名な坂井三郎、最強の撃墜王・西沢広義と編隊を組んで戦うことになっているのですが、なにか不自然なので、ここでは詳述を控えました。


 
 
 
関連記事
スポンサーサイト

この記事へのコメント

トラックバック

URL :

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (94)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (15)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (22)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (15)
時代人情小説・ミステリー (18)
時代冒険小説・ミステリー (19)
社会小説・ミステリー (15)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (28)
海外冒険小説・スリラー (17)
SF・FT・ホラー (26)
SF・FT・ホラー短編集 (14)
海外SF・FT・ホラー (18)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (31)
悪漢・犯罪サスペンス (30)
中間小説 (24)
青春・恋愛小説 (33)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (14)
戦記小説・戦争文学 (19)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (23)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (20)
文学文芸・私小説 (24)
海外小説・文学 (13)
文学アンソロジー (55)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (153)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (38)
アンダーグラウンド (47)
事件・事故 (40)
世界情勢・国際関係 (25)
スポーツ・武術 (24)
探検・旅行記 (25)
随筆・エッセイ (30)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示