「楽園のカンヴァス」原田マハ

 ここに一枚の絵がある。
 サイズは204センチ×298センチ。
 大きい。あなたは距離をとり、仰ぎ見るかたちになるだろう。
 作品の舞台は密林(ジャングル)。
 夜が始まったばかりの空は、まだうす青を残し、静まりかえっている。
 右手には、ぽっかりと明るい月が昇っている。鏡のような満月だ。
 月光に照らし出される密林は、うっそうと熱帯植物が密集している。
 名も知らぬ異国の花々が咲き乱れ、いまにも落ちそうなほど熟した果実が甘やかな香りを放つ。
 ひんやりと湿った空気のそこここに、動物たちが潜んでいる。その目は爛々と、小さな宝石のように輝いている。
 耳を澄ませば、黒い異人が奏でる笛の、どこかせつない深く静かな旋律が聞こえてくるようである。
 月の光に、果実の芳香に、ライオンの視線に、異人の笛の音に・・・
 いま、夢から覚めたのは、長い栗色の髪、裸身の女。
 彼女が横たわる赤いビロードの長椅子は、夢と現のはざまにたゆたう方舟。
 ゆっくりと上半身を起こし、女は左手を持ち上げる。恐る恐る、彼女はまっすぐに左手を――
 伸ばしている。
 
 『夢』
 アンリ・ルソー。
 40歳を過ぎてから本格的に絵を描き始め、1910年、不遇のままに生涯を閉じた。
 19世紀末、ルソーが作品を発表し始めた頃、人々はルソーの絵の前で腹を抱えて大笑いしたという。
 遠近法も、明暗法も習得し得なかった無知で下手くそな日曜画家と思われていたのである。
 しかし、彼の作品はピカソに敬愛され、近代美術の変革に多大な影響を与えたとされる。
 画家最晩年の傑作「夢」は、MOMA(ニューヨーク近代美術館)の至宝として収蔵されている。
 『夢』で裸身で描かれている女性は、ヤドヴィガという。
 彼女は配達夫の夫を持つ既婚者だったが、60歳を過ぎたルソーは同じアパルトマンに住む彼女に片想いをしていた。
 
 1983年。
 ニューヨーク近代美術館のアシスタント・キュレーター(学芸員)であり、ルソー研究の第一人者であるティム・ブラウンは、伝説のコレクターであるコンラート・バイラーの招待を受けてスイスに飛んだ。
 95歳のバイラーは、アンリ・ルソーのいまだ日の目を見ぬ名作を所有しているという。
 到着した彼を待っていたのは、オリエ・ハヤカワという最近の国際美術史学会をにぎわせている新進気鋭のルソー研究者と、サイズも何もかも『夢』にそっくりな、ルソー作と云われる『夢をみた』という作品だった。
 ただ違うのは、『夢』のヤドヴィガは左手の指を伸ばしていたが、『夢をみた』のヤドヴィガの左手は閉じられているという点だけである。いや、よく見ると微妙に筆のタッチや緑の明暗も違う。
 バイラーがふたりの世界を代表するルソー研究家を招待した理由は、『夢をみた』の真贋の鑑定だった。
 さらに驚くべきことに、講評で勝利した方には『夢をみた』のハンドリングライト(取り扱い権)を与えるというのだ。オークションにかけようが、家の壁に飾ろうが自由ということである。
 許された期間は7日間。しかし、ふたりが真贋を判定するのに提供されたのは、一冊の古書だけだった。
 古書に書かれている全部で7章ある物語を一日一章ずつ読んで、「夢をみた」の真贋を判定するのである。
 そして、そこには不遇の異才、アンリ・ルソーの謎に包まれた過去が記されていた・・・
 晩年のルソーは生活費にもことかくほどの貧乏だった。大型のカンヴァスも絵の具を買うにも余裕はなかったはずである。『夢』の完成は1910年の3月。そして6ヶ月後に彼は死んでいる。同サイズの絵画を仕上げる余裕があったのだろうか? はたして――
 真作か、贋作か!?サザビーズやクリスティーズも巻き込んだ、世界を揺るがす美術論争の幕が開く!!

 新鮮だったわ、面白かったです。
 あんまりないもんね、こういうアーティスティックなミステリーものは。
 作者の原田マハは、元キュレーター。なんとニューヨーク近代美術館に勤めていたこともあるんですって。
 物語にでてくる大原美術館や当のMOMAが実在の美術館であるというのも、作者自身のコネじゃないかな。
 すごいことですよ。
 しかも、アートという自身の専門分野を書いた話がこれが初めてというのですから、懐深いですよね~。
 読んでいて、素人の作家が美術界を研究取材して書いたというのではなく、この世界に関わっていた者の、なんというか、迫力というか熱を感じますなあ。
 芸術を理解するということは、世界を理解することである、とはいい言葉でしたね。
 自分の世界が狭ければ、大きな芸術が創り出せるわけがありません。
 自分が住んでいるこの世界を自分なりに理解したパッションが、その人間の創るアートなのです。

 私も、今でこそほつれた着流しを着て場末の立ち飲み屋でエチルアルコールを飲んでいますが、有名な先生について美術を勉強していた時代があります。洋画ではありません、土佐派や狩野派といった近世の粉本工房ですけどね。
 彼らのなかから、たまに天才が現れることがありました。
 日本中の博物館を見て回っていましたから、この物語のこともわかるような気がします。
 どっちかというと、私は白磁のようにパッションが内にこもったようなネガティブ・アートが趣味ですけどね。
 前に座れば、何時間いても飽きません。
 残念ながら小説を書けるほどの経験も才能もありませんでしたが、こういう芸術関係の小説を読めば、なにかこう、心の奥のほうに仄かに希望が灯るような気がします。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
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