「赤猫異聞」浅田次郎

慶応が明治に変わってわずか三ヶ月、明治元年の暮れのことだったという。
伝馬町牢屋敷は、日本橋と神田を分かつ濠割の南河岸、大商業地のまんまん中にあった。
二千六百坪の敷地に400人の囚人を収監し、それに対し牢屋同心は60人、小者40人。
そして、それはひとりの罪人を土壇場に引きずり出し、まさに打首を執行しようとしていた矢先に起こったのである。
北風の吹く寒空に響きわたる半鐘、急を告げる早鐘の連打。獄舎に歓声が湧きあがる。さあ、「赤猫」である。

「赤猫」とは、牢屋敷いまでいう刑務所に、火事によって火の手が迫った時に囚人を一時的に解放して避難させる「解き放ち」のことです。元の言葉の意味は火事全般や放火犯を指すものだったようですが、いつしか牢屋敷内の囚人の符牒が一般化してしまったようです。いかなる極悪人といえど火事で焼き殺すは余りに不憫というわけで、鎮火ののちは必ず戻れと厳命して解き放つ、戻ってくれば罪一等を減じ、戻らぬ者は草の根分けても探し出し、磔獄門になります。囚人にとっては奇跡のような制度ですね。明暦3年の振袖火事から180年余の間に11度の解き放ちが行われ、明治元年から遡ると最後は24年前の天保15年のことでした。
牢屋敷でたちまち解き放つと付近に混乱をもたらすため、慣例に則り、400人の囚人を牢屋同心らで粛々と引率し、浅草善慶寺で「解き放ち」が行われました。鎮火ののちはすみやかに当寺に立ち戻る、刻限は暮六ツ(18時ころ)。
しかし、ここで問題が起きたのです。解き放つには躊躇せざるを得ない3人の重罪人がいたのですね。
土壇場で首を刎ねられる寸前で赤猫により救われた信州無宿繁松は、賭博開帳の罪をひとりで被った深川一円の盆を仕切る名の通った侠客でした。女牢で遠島が決まっていた白魚のお仙は、大江戸三美人と謳われた白魚屋敷のあたりに巣食う夜鷹の総元締めで、もうひとり、牢屋同心より身分が高く揚座敷の牢屋で軟禁されていた岩瀬七之丞は、千石取りの旗本の子息で官軍の兵隊を8人辻斬りにした当代きっての剣客でした。
この3人、娑婆に恨みを持っていると見られていました。繁松は親分に売られて危うく打首になるところでしたし、お仙は北町奉行の与力に都合よく利用された上、捨てられています。七之丞は官軍に対する恨み深く、開放すればまたぞろ新政府の役人を斬り殺すに決まっています。
意趣返しを起こすのではないかと伝馬町牢屋敷の同心たちは悩むのですね。一度、善慶寺において3人とも斬り殺そうとまでするのです。
しかし、丸山小兵衛という鍵役同心(牢の鍵を開ける)が体を張ってそれを止めます。そして、3人の解き放ちに「但し書き」を付けたのです。それは、3人のうち1人でも帰らなかったら、帰ってきた者も死罪、3人とも帰ってきたなら無罪放免、そして誰も帰らなかったら丸山小兵衛が腹を切る、というものでした。
そして彼らは娑婆に解き放たれたのです。はたして、彼らは帰ってくるのか。人情に対し義理をもって報いることができるのでしょうか。

最初、ぬるいなあ、浅田次郎の人情路線もそろそろ飽きてきたか?と思いながら読んでいたのですが、進むにしたがって面白くなってきます。本作も作者得意の「聞き語り」形式でして、後年の明治の司法省役人が、「後世の司法ノ参考」のため、明治元年の解き放ちの関係者に当時の事情を聞いて回るのですが、その証言の中で作者独特の胸に響くような言い回しが見られ、思わず読みいってしまうのですね。鍵となる丸山小兵衛のキャラ設定が薄いのが不満でしたが、最後の証人のところでその謎は明かされます。ああ、そうだったんだと。だからだね、と。
それでも不満がなくはありません。明治維新の混乱期とはいえ、ちょっと無茶が多すぎるような気がします。
260余年の太平の末に、生ける人間の首を据え物のごとくたたっ斬る技は、牢屋同心の他に持ち得ぬというのも、わかるんだけどなあ、かっこいいし。丸山単独で、というのがちょっと強引すぎて鼻白むかなと思うんです。
牢屋奉行の石出と、杉浦、丸山の3人で3箇所を襲い、丸山がひとり罪を被ったという形が一番最後が締まったんじゃないでしょうか。




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