「どん亀艦長青春記」板倉光馬

「達する……。本日、神聖なる大講堂において、講演中に放屁した不謹慎者がいた。身に覚えのあるものは、巡検後、八方園神社の境内に来たれ!」
私はドキッとした。いままで、ずいぶん呼び出されて殴られたが、おおむね週番生徒室か分隊の温習室である。それが八方園神社とは……容易ならぬ覚悟をしなければならなかった。つのりくる生理現象にたえかねて、音がしないようにそっと腰を浮かして漏らしたのだが、どうしてそれがわかったのか?不審でならなかった。
消灯と同時に、そっとベッドを抜けだして神社に急いだ。ところが、意外にも、神社の境内にはいくつかの人影がたたずんでいた。さらに、あとからもつづく。
驚いたのは週番生徒だった。犯人は一人だと思っていたのに、スカ屁まで馳せ参じようとは……
「兵学校の軍規、風紀いまだ地に墜ちず!」
至極ご満悦のようであったが、鉄拳の雨が、なさけ容赦なく降り注いだ。


板倉光馬(いたくらみつま)は、大正元年、福岡県小倉市出身。海軍兵学校61期(昭和8年卒業)。
まあ、この方の奇跡は、海軍兵学校の狭き門をくぐったことから始まったと云っていいだろうと思います。
謙遜もなされていますが、海兵合格はまぐれでしょう。しかし面接の様子では、頭の回転が非常に早いことがわかります。太平洋戦争後期に、米軍の優秀なレーダーによって次々と海底の鉄屑にされた日本の潜水艦ですが、艦長の頭の回転の速さが生死の一瞬を決める艦種ですから、この方、生き残ってこれたんでしょうね。
海兵を卒業後、遠洋航海実習でパリ見学時に勝手にルートを離れ、門限を破ったときは、心配した引率幹部がパリの警察に捜索願を届けるべきだ、いやそれは帝国海軍の恥辱であるなどと応酬しているところにひょっこり帰宿、ぶん殴られました。また非常な酒好きというか、病的でさえあり、修行中の間はずっと始末書を書いていたような具合です。なかでも白眉は、当時乗り組んでいた重巡「最上」艦長を、酩酊の上、殴ったことでしょうね。
このことは、後述しますが、非常に感動するドラマへとつながります。しかし、少尉のぶんざいで艦長を殴りましたから、日本海軍史上前例のない事件じゃないでしょうか。よく免職になりませんでしたね。
練習艦「八雲」の主任指導官を任ぜられたときには、教育参謀につかみかかり、教官不適の烙印を押されました。以後終戦まで、著者は教官配置に就くことは一度もありませんでした。
とにかく酒が好き、酩酊しては事件を起こす、すなわち酒乱ですな(笑)おまけに、天邪鬼な性格でした。
だから人気のない潜水艦を選んだのでしょう。潜水艦を志望する士官は少なく、それは潜水艦が危険であるということよりも、むしろ、潜水艦ではうだつがあがらない、というのが最大の理由であったようです。あたかも、戦国時代の隠密や忍者が、重宝がられながら、陽の当たらない下積みに甘んじなければならなかったことに類似しています。

昭和11年12月の伊68潜を皮切りに、伊5、伊54(航海長)、呂34(航海長),伊69(水雷長),伊176(艦長)、伊2(艦長)、伊41(艦長)と、どん亀を乗り継ぎ、最終的には特攻兵器回天の実務参謀で終戦を迎えた著者ですが、本書には、真珠湾作戦時に防潜網に引っかかり九死に一生を得たことや、ラバウルに向かう途中でB-29に捕捉され、爆撃されそうになったので慌てて艦橋に出て乗組員と一緒に手を振って友軍を装ったことなど興味ふかいエピソードが書かれていますが、やはり印象に残ったのは著者と鮫島具重大佐(男爵)の一件に尽きると思います。

前述したように、新米の少尉だった著者は、当時(昭和10年)、重巡「最上」の艦長だった鮫島具重大佐を酒に酔って殴りました。しかし、鮫島艦長は何度も著者を呼び出し、その理由を問いただした上で、司令部に著者の助命を自ら足を運んで願い出たのです。これがなければ、とっくに著者は海軍をクビになっていたでしょう。
それから8年。伊41潜の艦長となりラバウルにやってきた著者は、風前の灯火であり飢餓のどん底にあったブーゲンビル島ブイン基地への潜水艦による物質輸送を命じられるのです。そこはすでに米軍の制圧下であり、何キロにもわたって無数の機雷に封じられ、索敵機や魚雷艇の厳しい哨戒下にありました。そしてブイン基地の海軍司令官は、かつて著者が殴り飛ばした鮫島中将だったのです。意を決して昭和19年1月31日、伊41潜は強行輸送に出撃します。そしてレーダーの裏をかき日没後は潜航し、昼中は水上走行するという通常の逆の策が当たり、輸送は成功します。久しぶりの日本軍艦艇の輸送に泣きながら現れたブイン基地の連絡参謀に著者はウイスキーとタバコ、一通の封書を渡しました。それはかつて著者を救った鮫島中将に宛てたものでした。
伊41潜が無事ラバウルに帰投すると、ブイン基地から謝意とともに再び伊41潜を名指しした輸送願いが届きました。再度、厳重な包囲網を突破しブインに現れた伊41潜の艦長である著者に、連絡参謀から、鮫島中将の手紙が届けられました。そこには決死の覚悟で輸送してくれてありがとう、ウイスキーありがとう、タバコありがとうという感謝の気持ちと共に、鮫島長官が椰子で彫ったパイプが添えられていました。形見みたいなものですね。
うまくまとめられませんが、読んでいてジーンとしましたね。「日本海軍潜水艦物語」(カテゴリー海軍戦史・戦記参照)に著者の名前も出てきて、潜水艦が輸送に使われることへの憤懣やるかたない様子が書かれていますが、本書のこれを読むと一概にそうとも言い切れないような感じです。ちなみ本書にも回天のところで、鳥巣建之助の名前が登場します。

昭和32年。海幕の非常勤嘱託をしていた著者は、鮫島元中将宅を訪ねるのです。
かつて華族に列し、顕職をきわめながら、鮫島はいまや脳溢血におかされ、手足の不自由はもとより、言語障害の体を、ひっそりと手狭なひと間に横たえていました。
病状の中将は、不自由な体をよじるようにして、茶だんすの上を指さされました。
そこには、サントリーの角瓶に白い山茶花が一輪いけられていました。
著者が不審に思っていると、付き添っていた夫人が「主人はブーゲンビル島から着のみ着のままで帰って参りました。そのときサントリーの空瓶を後生大事に抱え持っていましたので、そのわけをたずねましたところ、『これは板倉艦長が命がけでブインに持ってきてくれたものだ。これだけは手放せなかった』と申しましてね」
その瞬間、中将の顔がかすかにほほえまれるのを見て、著者はその場にワッとばかり泣き伏したそうです。

私も読みながら、泣き伏しました。人生とは、こうなのだ、と。

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