酒の肴は一冊の本。旅の友も一冊の本。活字中毒者の書評と読書感想文。

「逃亡戦犯」翔田寛

2009年に刊行された「祖国なき忠誠」を文庫本化にあたり改題したものです。
前のタイトルのほうがよかったと思いますけどね。
終戦直後の混乱期の日本を舞台にした逃亡劇、ま、ミステリーといえばミステリーなんでしょうが、この作品を読んで印象に残るのは、やはり日系二世や在日朝鮮人のアイデンティティーですよ。
漠然とは知りながらも、改めて読んでみると身につまされるようなことがたくさん書いてありました。
もとより黄色人種は差別の対象だったでしょうが、日本が傀儡の満州国を建国してよりアメリカの世論は反日感情が高まり、さらにパールハーバー奇襲でアメリカ国内の対日感情は地に堕ちました。最低の敵となったのです。
大統領令9066号は、軍に必要な地域から住民を強制的に退去させることができるというものですが、これにより太平洋岸を中心に平穏に生活していた日系人たちは一斉に退去させられました。その数は約12万人といいます。
貧しい日系人がやっとこさ手に入れた小さな家、石と切り株だらけの荒地を苦心して開墾した農地、家族同然の牛や馬、思い出の残った家具もすべて群がる白人に二束三文で奪われました。そして、わずかスーツケース2つぶんの荷物だけが許された彼らの行く先は不毛な砂漠地帯に有刺鉄線が張られた強制収容所だったのです。
日系1世はアメリカ合衆国に帰化する権利は認められていませんが、その地で誕生した2世には生まれながらにしてアメリカ人としての市民権が与えられています。つまり2世は見た目はともかく正真正銘のアメリカ人でした。アメリカ人はアメリカのために戦わなければなりません。徴兵登録が受けられるのです。
多くの日系2世が忠誠を誓い、アメリカの兵士となって戦いました。その胸には自分や家族の汚名をそそぐことの他にも、身の程知らずにも世界に対して開戦を決意した祖国への強烈な嫌悪があったのかもしれません。
彼らは世界中で勇敢に戦いました。そして戦後はGHQとして無残に滅びた祖国の地を初めて踏んだ者も多くいたことだと思います。

かつて日系人強制収容所に囚われていた日系2世のマイク・ミヤタケ(26)も、そんなうちの一人です。
戦後、彼はCIS(対日諜報部)の職員として来日し、戦犯の摘発などの仕事をしていました。階級は軍曹。
ある日戦犯リストに目をとめた彼は、上司に無理を云ってある一人の戦犯を追跡する決意をします。
その戦犯とは、彼と同じ日系2世でした。名はタクマ・キジマ。彼は開戦前に就学のために来日し、合衆国の勧告に従うことなく日本国に留まり、開戦後に日本に帰化していました。そして連合国軍の軍人が収容された捕虜収容所の通訳として日本軍に協力していました。さらに1945年8月15日の夜分、同収容所から逃走していました。罪名は国家反逆罪。マイクは、私たち日系2世に塗炭の苦しみを味わせたのは間違いなく大日本帝国であり、その大日本帝国に協力した日系2世がいたとしたら、それは二重の裏切りである、と云うのです。
彼は、キジマの潜伏している京都に飛び、舞鶴署一の腕利きの刑事であるという城戸勇作警部補と凸凹コンビを組んで、逃亡した戦犯の行方を追います。
一方のタクマ・キジマ(木島琢磨)はというと……彼が日本へ留学したのは、日系人が追い詰められることに危惧の念を抱いた父親の願いをかなえるためであり、日本軍の通訳官となったのも、世話になった伯父さん一家が非国民扱いされないために、やむをえずしたことでした。彼は捕虜収容所でも、捕虜からは裏切り者と蔑まれ、日本人からはスパイと疎まれ、ずっとひとりぼっちでした。そして終戦の日、連合国側に罪を問われると信じていた彼はトラックを強奪して逃走するのですが、そのトラックに彼のことをことさら嫌っていた古参の下士官である柏木政志も乗り込んできたのです。捕虜を虐待していた柏木は医務室でモルヒネを盗み、それを背嚢に入れていました。
呉越同舟で逃走した2人ですが、墜落した米軍機パイロットを木島が救おうとしたことで柏木が彼を撃ち、腕に銃創を負ったまま逃亡した木島は行き場がなくなり、死のうとしたところである朝鮮人の一家に救われるのです。
それは亀岡郊外で父が日本人の経営する豚舎の世話を任されている李智賢(イジヒヨン)19歳の家でした。
日本からもアメリカからも蔑視されている木島の境遇に、シンパシーを抱いた李智賢の従兄弟である李鐘鶴は、戦後大阪の混沌とした朝鮮社会で彼を逃がそうとします。
マイクと城戸はその企みを見透かし、追い詰めていきますが……徐々に城戸はマイクの意図に違和感を覚えていくのです。想定内ながらも深く心に残るラスト。絶望の中にほのかに蝋燭の灯が点る終戦後ドラマ。

私たちが世界情勢や国際問題をああだこうだと語らう上で、自分は何人であるというのが立ち位置ですよね。
私は日本人である、というのは私の中で大きなウェイトを占めるアイデンティティーです。
しかし、本作を読んで考えさせられたのですが、その上に立つべき祖国がない人間というのはたくさんいますよね、きっと。本作のラストで、それがどうした、愛すべき祖国はなくとも愛すべき人と愛すべき自分がいればそれが人間の幸せじゃないか、と書かれており、なるほどとは思うのですが、だからといって流れから仕方なく日本軍に協力した木島は日本からもアメリカからも疎まれ、李鐘鶴は父が日本人であるために朝鮮人からも日本人からも苛められた、この2人の境遇はそれが運命だけにどうにもやるせない切なさが残って仕方ないですね。
人間という動物はほんとうに愚かであると思いますし、国と国との紛争のなかで正気を保つことは本当に難しいことなんだろうと思いました。







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