「海鳥の眠るホテル」乾緑郎

とても雰囲気のある本でしたよ。秋の夜長にはちょうどよかったです。
私は乾緑郎の本はすべて読んでおり、その相性の良さからえこひいきしているのかもしれませんが、この人は創作家として非常に懐が広く、作品にもストーリーが面白い、計算されているというだけではなくて常に読み手に訴えかけてくるもの(テーマ)が用意されているように思います。
本作の場合だと、それは“脳と魂”でしょうね。
人は生まれてから、膨大な記憶や知識を蓄積して人格を形成する。その積み重ねが自己だとするなら、魂とは所詮、脳そのものだということになってしまう。
これなんて、よく私が酒に酔ってスナックやキャバクラでのたまわっていることそのまんまなんですよね。
そのあと私の場合は「だから魂や幽霊なんて存在しない、脳は自分そのものであり、脳が活動を停止すると自分はなくなってしまう。ずっと意識がなくて寝ている状態になる。死後の世界はない」なんて云うとだいたい「へぇー」とかいいながらマドラーでかき混ぜたり左から右へそのまま聞き捨てたりしてますが、よく考えるとその通りなんですよ、脳は魂なんです。だけど、作者は本作においてもっと深い考え方を用意しています。
ねえ、例えば自分が本当にそこに存在するのかを疑っていても、それを疑っている限りは、私は確実にそこに存在するのよ。だから、考えているうちは、私もここにいる。
誰が存在を疑っているのか、考えているのか、そこまで読んできて、あるいは読み終えた後にそれを想像してみることで、本作には通り一遍とは違った別の物語も見えてくるやもしれません。
脳と魂。それを考えさせてくれる上で、本作には3つのストーリーが進み、それが交錯するように構成されています。

①彦根千佳、28歳。裸婦デッサンのモデルのバイトをはじめて半年。カメラマンを目指している。以前勤めていた会社で知り合った西川と別れ、モデルのバイトをしているときに、美大生になる新垣と知り合う。
②滋野君枝、48歳。輸入商品のマニュアルや工業機械の仕様書などの技術翻訳の仕事をしている。還暦間近の夫、靖史はデザイナー。若年性アルツハイマーに罹病する。
③温泉街の高台にある廃墟ホテルに住み着いている男。彼は数週間働いて金を貯めては2,3ヶ月をこのホテルで過ごす。ホテルが営業を停止したのは13年前の1999年ではないかと推定される。

この3つ。これがクライマックス、ラストにかけて交錯し、すべて?の謎が明らかになります。
実はこの3つの物語はそれぞれの世界においては時系列通りですが、並べると③だけは違います。これは、およそ10年後の世界です。そして実は単行本100ページにおいてネタバレされています!読んでいて気付きません。私は読み返していて「あっ」と思いました。これに気付けばラストまで待たなくても物語の80%までは想像がつくと思いますが……書き方が上手いのと反則的なミスリード(後述)がありますから、まあ気付くのは無理でしょ。
上手いといえば、君枝がアルツハイマーになって、過去を回想しながら病的な行動をするという、その症状の描き方が非常に巧かったですし、身につまされ、恐ろしくも感じました。本作の全体的な流れにおいて君枝と靖史が登場しているのは、脳と魂の関係のメタファーであって、君枝がアルツハイマーで自分が自分でなくなっていく、記憶がなくなっていくのに人間として生きているのはどういうことであるのか、ということを考えさせてくれるのですね。また、廃墟ホテルに住み着いている男もそうですね。彼は記憶がない。あることによって記憶がなくなっており自分がどうしてここにいるのか、自分が誰なのかわからない。しかし、彼の場合は病気ではなく怪我によって記憶が喪失されているため、ラストでドラマが起きます。
これに対称とされているのは、体がなくて魂だけある人間(つまり幽霊)、ということになりますが、普通に読んでいてそれが誰であるかラストまで気付きません。また、それが存在していたのは他人の心の中だけではないのか、という読み方がありますからね。
さきに反則的ミスリードと書いたのは、千佳が廃墟ホテルの窓から見た駐車場の男のことです。
これ誰だと思います?彼女は2回見ています。最初は新垣らと映画を撮りにいったとき。次に新垣ともう一度ふたりで廃墟ホテルに行ったとき。このとき、新垣が「前も言ってましたよね」とありますから、新垣は実在の人物であることから考えて、これは幻想の出来事ではありません。千佳の見た男は誰だったのか?私も数時間悩みましたよ。結果、千佳の感じた既視感は、過去に対してではなくて未来に対してのデジャヴだったんではないかと。だから彼女が見た男は西川の10年後の姿。これ以外に考えられません。またミスリードといえば、西川の妄想がさもあったことのように書かれていますから、これもまたややこしくさせる一因でした。
で、90%この物語の謎が解けたとすれば、あとは先にも書きましたが、この作品の捉え方でしょうね。
ラストで廃墟ホテルの西川が見た千佳が彼の心の中だけの存在とすれば?ラストで親子でボートに乗って釣りをしている靖史と千佳でしたが、靖史目線で語られているのは、これは彼が死の目前で見た夢ではないのか?
という読み方もできる、ということです。こっちのほうが自然かもしれません。でもこれはどれが正解というのではなく、読み手の捉え方だと思うのですよ。
ただ、その場合、西川が見た千佳が消える前に「父が死んだ」と言ったのが強烈に引っかかるのは事実ですね。
「10年たった」というのはどうにも解釈できますが、父が死んで私も罪を償う、というセリフが半ば狂人化している西川の脳の中で千佳の言葉として創り出されるのは合点がいきませんな。
だから、読み手はどうあれ作者の結論はオカルティックということなんだと思います。
千佳の霊魂は存在した、と。






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