「子供たちは森に消えた」ロバート・カレン

1982年6月、ロシア南部ロストフ州の森の中で少女の死体が発見されました。
少女の名はリュボフィ・ビリュク、13歳になったばかりの彼女の死体はナイフでめった刺しにされており、両目が抉り取られ、性器が切り取られていました。
このおぞましい事件が、ロシア語で狭い森を意味する“レソポロサ連続殺人”の幕開けであったのです。
捜査陣の苦心惨憺たる捜査の末、1990年11月、36人の少女、成年女性、少年の殺害容疑で逮捕された真犯人は、あらたに20人の殺害を自白し、結局、犯行が確認された53人の殺害容疑で起訴されました。
本書は、世界的なベストセラーとなったトム・ロブ・スミスのデビュー作「チャイルド44」(カテゴリー海外冒険小説スリラー参照)の原型と云うべきソヴィエト体制終末期にその断末魔の叫びが如く起こった凄惨な連続殺人事件の多年にわたる捜査と解明の記録です。真犯人の名はクライマックスまで伏せられ、あたかもミステリーを読み進めているように真犯人が一体どんな怪物であるのか気になって仕方ありませんでした。

どうして10年近くもこの事件は解決されることがなかったのでしょうか。
その原因は、ソヴィエト政治体制と無縁ではないのです。ソヴィエト的考え方からすれば警察とは民警のことであり(消防署に対する消防団みたいなもん?)共産主義社会が完全に確立するまで人民が一時的に代行すべきもので独立した警察組織はブルジョア国家にのみ必要とされました。つまり、完全な共産主義社会に犯罪は起こらない、ということです。実際は人口3百万のロストフ州でも年間約4百件の殺人事件が起きていました。
本書を読むうちにわかってきますが、政治体制の変革の様子がこの事件の捜査を通じてもよく現れています。
アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフと最高指導者が交代していく中で、グラスノスチ(情報公開)が進み、最初は秘密捜査主義で容疑者は拷問による尋問を恐れ自殺者まで出ていましたが、最後には民警側が地元テレビ局に事件情報の提供を呼びかけるまで開かれた捜査体制となっていました。
捜査陣のトップはロストフ州民警本部長であったフェチソフ少佐が最初から最後まで指揮を取っていましたが、政治体制の変化でこの事件に憂慮していたモスクワの内務省のトップが頻繁に交代することにより、フェチソフは最後まで解任を免れました。ロシア初の選挙によって選ばれた最高州会議によってこの事件の早期解決を強く促されたことはこれまでの政治的な序列における圧力とはまた違うプレッシャーであったでしょうが、最初から最後まで一貫した捜査体制が取れたということは、解決まで長時間要したといえど不幸中の幸いでした。
結局、初動が躓いていたのでしょう。ロシアでの殺人事件の多くは酔ったあげくに怒りにまかせて家族や友人を衝動的に殺害する、あるいは被害者から金品を強奪する計画殺人が大半であり、実は猟奇的な連続殺人事件は現実に何件も発生していたのですがその事実は秘密にされ、ロシアの警察官のほとんどが連続殺人犯を相手に捜査を進めた経験はありませんでした。
さらに、捜査員が自白を強要して当然だという恐怖政治的な問題がありました。その結果過去に精神養護施設に収容された経験のある容疑者から無茶な自白を引き出したのを皮切りに、1982年5人、83年6人、84年13人超と増加の一途をたどる連続殺人の犠牲者と同じく容疑者と自白の数も増え続けたのです。結果、捜査陣の中に各容疑者に関しての派閥が生まれ確執が続くことになりました。
しかし、この事件が様々な紆余曲折のすえ解決したのは、フェチソフ少佐によって信任された元犯罪研究所所属のヴィクトル・ブラコフの存在があったからこそです。彼は後にこの連続殺人事件専門の特別捜査班の指揮を取るようになりますが、上官を相手に初動の強制自白を批判し続けたからです。それがなければ、冤罪を生んでいたかもしれません。この憎むべき殺人者をずっと野放しにしていたかもしれないのです。

真犯人アンドレイ・チカチーロは機械類を製作する国営企業の資材課長をしていた経験がありました。「チャイルド44」と一緒ですね。他にも犠牲者の少年の一人は切手収集を趣味としており、これも彼の小説の題材となっています。思っていたよりずっとこの本書は「チャイルド44」に似ています。まあ、関係性は当然なんですけどね。両者を読む間に長い間隔があればデジャブを味わえたかもしれませんね。
チカチーロは市内の警戒をしていたザナソフスキー少佐に一度職質され逮捕されました。1984年のことです。
しかし残留血液型の問題から彼は真犯人ではないとされ、別件で三ヶ月収監されました。もちろんこの間に新たな連続殺人は起きていません。
その後1990年11月に再逮捕されるまでどれほどの人間が犠牲になったことでしょう。
イデオロギーに関係なく人間としての果たすべき役割に邁進した捜査官がいた一方で、ソヴィエト的政治体制の弊害によって全般的に捜査が遅滞したことは否めません。
まあ、学校のいじめ問題で教育委員会が機能せずに吊るし上げられているわが国から偉そうにものをいう資格はないのでしょうが。

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