「チャイルド44」トム・ロブ・スミス

「私は信じなかった。私は嘆き悲しむ遺族を前にして、こう言ったんです。あんたたちの息子は殺されたんじゃないと。そう、私も信じなかった。だから、殺されたなどというのはでたらめだと言った。でも、そうやっていったい何件の事件が隠蔽されてると思います?それを知るすべはありません。もうわかりようがない。われわれの法のシステムはむしろこの殺人鬼が好きなだけ殺すのを手伝ってる。だから、こいつはまたやるでしょう、何度も何度も。その間、われわれは見当はずれの人間を逮捕しつづけるんです。無実の人々を」

この小説が成功した理由として一番に考えられるのは、ロシアを舞台にしたということでしょう。
しかも、今のロシアではありません、1953年大元帥スターリンが亡くなる直前のソヴィエト連邦がこの物語の背景です。
そしてこの小説は、共産主義体制に反抗する社会小説でも、クレムリンの赤い壁を突破するスパイ小説でもありません。
酒に酔っているにもかかわらずスターリンをネタにしたジョークを言っただけで強制労働20年、役所のくず籠の中身は念入りに選ばれたものばかりで本当に捨てたいものは家に帰る途中でこっそり捨てられている、第二次世界大戦(ソ連では大祖国戦争という)が終わったばかりなのにさらに困難が続く暗黒ロシアにおける犯罪捜査小説なのです。
治安機関は、ひとりのスパイに逃げられるより10人の無実の人間を苦しめるほうがどれほどかましなことだ、という価値観を持っているのです。国家の前に一人の個人の存在など無に等しかったのです。
そんな時代に連続少年少女殺人事件が起きるとどうなるのか。
まず、その殺人犯の動機が捜査機関にはわからないのです。人を殺すなら戦争か、強制収容所でいくらでも殺せるのに非公式に殺人を繰り返す理由がわからない。しかも、ソヴィエト社会には犯罪は存在しないという建前がありました。それぞれの土地で起こった殺人事件は、その関連性を問われることなく個々の事件として適当な実行犯が仕立て上げられたり、あるいは事件の存在すらなかったことにされていたのです。
その真実を暴こうとすれば、その捜査員は体制を揺るがすものであるとされて処罰されます。

レオ・デミドフは国家保安省(KGBの前身)の上級捜査官でした。
彼もまた、ソヴィエト体制に従順であり、数え切れない無実の人間を収容所送りにしてきました。
部下の息子が鉄道の線路近くで切り刻まれて死んでいても、死体を見ることさえなく事故であると隠蔽しました。
そんな彼が、彼自身が逃走劇の末スパイ容疑で逮捕した獣医・アナトリー・ブロツキーが処刑された一件を機会に少しずつ変わってくるのです。尋問の結果、この男は無実であると確信していたのでした。
決定的だったのは、レオの妻であるライーサにスパイ容疑がかかったことです。妻の代わりなどいくらでもいるじゃないか、妻を差し出せと同僚は進言しました。しかし、レオは保安省に対し「妻は無実である」と宣言するのです。これは国家に対する反抗でした。レオは処罰を免れ得ない身となりました。両親は仕事を剥奪され、住んでいたアパートを追い出されました。
それでもいくらか幸運だったのは、スターリンの死去により国家機関の決定に躊躇が生まれたおかげでレオとライーサは収容所送りにはならず、モスクワのはるか東ウラル山脈の向こうにあるヴォウアルスクに飛ばされたことです。レオは保安省捜査官の身分を剥奪されて地元の人民警察の巡査という大降格を受けながらも表向きは自由でした。
そして、ヴォウアルスクに起きた少女殺人事件を調べるうちに、レオの中に真実を追求する刑事魂が生まれていくのです。それは個の存在を無視するソヴィエト体制に対し個人の尊厳を回復するものでした。彼はこの事件が同一犯による連続少年少女殺人事件であるいうことを見抜き、亡くなった子供たち、そして今現在危険にさらされている子供たちのために危険極まりない単独捜査を開始するのです。
仲間も出来ました。レオが保安省の捜査官時代には本音を見せなかった妻のライーサとは、彼が身分を失い個の存在になったことで真の愛情を回復しました。ヴォウアルスク人民警察署長ネステロフは逡巡の末、レオに協力することを誓います。
彼らの追う44件の連続事件とは、少年少女がひもで足首を縛られたうえ、胃袋が切り取られ、口の中には木の皮が詰め込まれているという猟奇的な共通点があり、モスクワの南ロストフ・ナ・ドヌーを起点として鉄道の沿線上で発生していました。文庫本見開きの地図は、発生地点をピンで刺したものです。何の絵かと思っていましたが……

様々な妨害。鉄のカーテンの向こうに繰り広げられる決死の捜査と逃避行。そして真犯人の正体を巡るミステリー。
初めての体験で、初めてのスリルに満ち溢れた、天才トム・ロブ・スミスのデビュー作です。
10歳のゾーヤと4歳のエレナはどうなったのでしょう。続巻が気になるところです。
あとがきによれば、この本、ロシアでは発禁らしいですよ。なんで今更???さすがロシア?




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