「アジア無銭旅行」金子光晴

昭和初期にこんなだらしない男が東南アジアを放行していたのかと思うと、不思議に勇気づけられるような気がします。
とはいえ、大詩人・金子光晴はもはや伝説の放浪家という認識で間違いないですね。
今からおよそ80年前、昭和4年(1929年)から昭和7年(1932年)にかけて、金子とその妻・三千代は、フランス・パリへの途上、上海、香港、シンガポール、ジャワを旅しました。旅費の都合で三千代ひとりを先にフランスへ送り出し、すぐに後を追った金子は、1年ほどすると今度はパリに三千代を残し、自分ひとりでシンガポール、マレー半島と旅します。
本書は、ふたり、あるいは金子単独でのアジア滞在中の紀行を、詩を交えながら綴ったものです。

よごれ浴衣を着て、一定の職も無く、日本人だまりあたりでごろごろして、大金の夢ばかりみながら、使い走りの役にも立たない在留日本人「上海の芥(ゴミ)」。厳寒でも裸足で、腫れものの潰れた背中を雨に洗わせながら、その河童頭を客に靴の先で蹴られて走る、支那人人力車の苦力(クーリー)。
なんて冷めた目線でいながら、夫婦の財布はわずか五円六十銭しかなく、宿屋の前金さえ払えない有様。
よくもそれで、ヨーロッパを目指していたと思うのですね。しかもすでに著者は、三十歳を過ぎています。
現代のバックパッカーでも、三十を過ぎていれば“ええ年”なのに、昭和初期の当時ですから、推して知るべしでしょう。うさんくさい絵画の展覧会を各地で催したり、現地の邦人の手を煩わせて世話になったり、とにかく、旅費を稼ぎながら旅をする、その行き当たりばったりのこの人の適当さ、常人では真似できますまい。
金がないからせかせかしてるかというと、そんなことはない、なにもせずなまけて、とろとろして毎日を過ごすことのほうが多いのです。まあ、その東南アジアでとろとろ過ごす気持ちよさは、私も十分知っていることなんですが。
かの有名な沢木耕太郎の「深夜特急」も、金子光晴に影響されているのでしょうね。
もちろん、沢木耕太郎は、本書にあった金子光晴みたいに、パリへの船旅の途中、中国人留学生の船室に押し入って仲良くなり、魔がさしたがごとく、うら若き女性が寝入っているところの肛門を触り、その指を嗅いで「強い糞臭がした」、なんてことは書いてもいないし、やってもいないでしょう。
もちろん、金子光晴の虚構である可能性も高い、と私は思っています。とすると、この放浪詩人はそれをもって何を暗示していたかというと、当時の日中情勢は一触即発でしたが、日本人も中国人も、男も女もみな同じ人間なのだ、肛門は誰でも臭いのである、ということが云いたかったのではないでしょうか
それにこういう放浪癖のある(12歳のときにアメリカ行きを目指して友人と家出したこともある)出たとこ勝負的な投げやりな男は、なにかかしかのユーモアもあります。酒が飲めなかったそうですが、もし酒が飲めていたなら、この人はマラッカかどっかで鱶ににでも喰われて死んでおったでしょう。
挿まれている詩にも面白いのがありました。
「ヒンヅーの店先には痩せた、願人坊主のような、黒焼の雀の頭のような、マハトマ・ガンヂーが祭ってある……」と始まるものなんですが、やはりこの人は特殊な言葉の紡ぎ手であったのでしょうね。

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