「島抜け」吉村昭

 日本での特志解剖第一号となった遊女みきを題材に近代日本医学の解剖史を紐解いた「梅の刺青」、江戸時代末期に実際にあった“島抜け”(遠島刑の囚人が流刑地から逃げ出すこと)を作者自身が実地に赴いて調査し書き起こした表題作「島抜け」、創作ながら江戸時代の飢饉に苦しむ百姓を描き、放浪者に食を施す寺社の横暴を現代に知らしめた「欠けた茶碗」の3篇。
 吉村昭ならではの鋭角的な視点で歴史の闇を突いた、いずれもレベルの高い短編小説集。

 いずれもよかったですが、特に印象に残ったのは「梅の刺青」。
 重症の梅毒患者で死に瀕した元遊女の美幾の腕には、好きな男の名前を彫った梅の小枝の刺青があったそうです。
 これは作者が彼女の解剖を見学した医学者の子孫から当時の日記を見せてもらって判明したことです。
 毎夜多くの男に身を売る遊女も、惚れた男には心中立てとしてその男に真情を示すため刺青をすることがありました。
 心ならずも家が貧しいために体を売らなくてはならなかった美幾の人生を思い、思わず涙しました。
 「島抜け」も、あとがきによってこれが事実を元にした作品であると知ったとき、まったく味わいが違ってきた作品でした。こんな映画みたいな世界が今から150年も前に起こったのだと思うと、社会や環境こそ違えど人間の考えることは同じだなあと思いましたし、日本人の行政能力の高さは性質だなと改めて気付かされましたね。これが他の国で起こったことだったら逃げ切れたと思いますよ。「欠けた茶碗」はほか2つとは色が違う小説ですが、当時の百姓の苦しい暮らしぶりは真に迫っていますし、やたら偉そうに食べ物を施す寺にはほんと腹が立ちました。ほんとくそ坊主はいつの世でもくそ坊主ですよね。要らないね。

「島抜け」
 天保15年(1844)、54歳の大阪の講釈師瑞龍事富三郎は読んだ講釈が公儀の機嫌を損ねて遠島刑に処せられた。大阪夏の陣で徳川方を翻弄する真田幸村の活躍を読んだためである。遠島先は、種子島。薩摩藩領とはいえ、当時は絶海の孤島である。遠島刑に処せられた者は、郷里に帰ることも許されず島で野良犬のように辛うじて生き、やがて死を迎え、島の土に還る以外にない。ほかの十数名の囚人と一緒に送られた瑞龍は、しかし、島での生活が海岸で貝が拾えるなど比較的自由であることを知る。やがて仲間3人と海岸に釣りに来た瑞龍は、漁師が置き去りにした丸木舟を見つけ、他に人気がないことに背を押されてそのまま潮に乗って種子島を脱出する。そして、15日間の漂流の後、日本語の通じないおそらく台湾近辺と思われる島にたどり着き、そのまま島伝いに旅を重ねて、唐の国に入った。唐の国は日本と交易があったので、彼らは交易船に乗せてもらい、長崎から日本の入国しようと諮る。もちろん重罪人であったことがばれないように、それぞれ偽の出自をこしらえた上でだ。だがしかし・・・

「欠けた茶碗」
 甲州の村落を大飢饉が襲った。由蔵、4年前に15歳で嫁にきたかよ、2歳になるひとり息子の岩吉の3人に一家はたちまち食うに困り、山林の草花も食い尽くし、村内では人肉食の噂も広がり、ついに岩吉が餓死するに及んで夫婦ふたりで海を目指して村抜けする。行く道々では、寺社が蓄えこんだ食料で炊き出しを施しており、それで食いつなぎながらの旅だったのだが・・・

「梅の刺青」
 明治2年。医学校に併設された梅毒患者を無料で診療する黴毒院で、死に瀕した重症の元遊女・美幾が医師に翻意されて了解した献体が、日本における特志解剖の第一号となった。解剖された後、手厚く葬ってくれることが彼女が首肯した理由だった。普通は遊女が死んだら穴に放り込まれるだけなのだ。人体解剖は大宝律令以来かたく禁じられており、宝暦4年(1754)に京都で初めて解剖が行われたが、旧幕時代は、解剖の対象は刑死人だけだった。それも明治政府になって囚人の処遇にも西洋列強先進国を意識しなくてはならなくなり、医学校が申し込んでも刑死人の払い下げが滞っていた。ゆえに美幾は犯罪とは無関係の民間人がはじめて剖検された例であった。執刀は、町医者ながら31歳で医学校に入学し解剖について熱心に研究していた田口和美が務めた。後に彼は東大医学部初代解剖学教授に任ぜられる。
 この後、美幾が手厚く葬られ、遺族にも少なからぬ謝礼が贈られたことを見ていた他の患者から献体の申し出が続き、我が国の医学の発展に大きく寄与することになる。

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この記事へのコメント

- へろへろ - 2017年11月07日 19:25:48

こんばんは。
「面白くて眠れなくなる解剖学」の時に、コメントさせてもらったへろへろです。
「梅の刺青」も読んでもらって嬉しいです。
吉村昭は好きな作家で、「長英逃亡」も読みましたが、確かに他国なら瑞龍や高野長英も逃げ切ったかもしれないですね。

しかし、ジャンルを問わず、凄い読書量ですね。
いつも感心しながら、ブログを読ませてもらってます。

Re - 焼酎太郎 - 2017年11月08日 06:57:47

へろへろ様

いつもありがとうございます。
「梅の刺青」せっかく教えていただきながら、読むのが遅れました。
申し訳なく思っております。
吉村昭はさほど知っているわけではないのですが、
歴史や文化に対して司馬遼太郎とはまた違った独特の視点があるようで、
大変興味深く感じました。
戦記ものは何冊か読んでいるのですがね。
またチャレンジしようと思っています。

コメントありがとうございました☆

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