「残照のヤルン・カン」上田豊

 著者の上田豊(あげたゆたか)さんは、現在名古屋大学名誉教授。氷河科学が専門。
 本書は1973年に著者(当時29歳)が参加した京都大学学士山岳会(AACK)によるヤルンカン登頂の記録。
 第1次アタック隊として登頂に成功した著者ですが、帰路に遭難してパートナーが行方不明となり、自身も重度の凍傷により手足の指の多くを切断することを余儀なくされました。
 身の毛がよだつ迫真の遭難生還記はもとより、日本を出発するまでのたくさんの仕事、物質の補給、頂上にいたる登攀ルートの確保など、本書は日本登山史に残る名著としても知られています。
 流石なのは「残照のヤルン・カン」というタイトルですね、私は読後にしみじみと感じ入りました。

 戦後ネパールへ日本人として初めて入国した西堀栄三郎(当時70歳)を隊長とし、歴戦の登山家を擁する京都大学学士山岳会が当時未踏峰中最高峰だったヤルンカンへの登攀を開始したのは1973年3月のことです。
 登山許可を得るために様々な困難を克服した末のことでした。
 ヤルンカンはネパールとシッキム王国(現在はインドシッキム州)の国境に位置する東ネパールカンチェンジェンガ西峰で、8505メートルの標高を誇る残された未踏峰です。
 上部は高度差1500メートルの胸壁で守られ、高度7500メートル付近からはじまる急斜面の長いトラバースは、氷がでていれば滑落の、雪がつもっていれば雪崩の危険が大きく、頂上部への最後の道程は岸壁のなかにはいりこむ難ルートです。
 8000メートルを過ぎても、そにうえにまだ500メートルあるのですよ。
 登攀者は、危険なルートの突破を希薄な酸素のもとで行わなけれななりません。
 京大山岳会は、70歳の高齢で5210メートルのベースキャンプにまで登って指揮をとった西堀隊長以下15名の隊員が素晴らしいチームワークで一蓮托生の精神のもと、この難所に挑んだのでした。

 著者の上田豊はこのとき29歳。氷河学を専門とする根っからの山好きなフィールドワーカーでした。
 遡ること8年前、20歳のときにアンナプルナ南峰(ガネッシェ)7256メートルの登頂に成功しています。
 チームには、他にも8名のヒマラヤ登山経験者がいました。
 頂上への挑戦権をもつ第1次アタック隊に著者が選ばれたのは、比較的体調が良かったからでしょうか。
 もうひとりのパートナーは松田隆雄、31歳。上田の先輩です。
 1973年5月14日早朝、キャンプ5(7950メートル)を出発したふたりは天候にも恵まれ、しっかりと計算されたルートを慎重に突破し、登頂に成功します。しかし下降を開始したときにはすでに午後6時半になっていました。
 これが運命の分かれ目となりました。日暮れのため下降途中でビバークを余儀なくされ、その夜にふたりは酷寒のなかで体力を消耗してしまうのです。ふたりは帰路のルートからずれてしまっていました。往路より一段上の雪山に迷い込んでしまっていたのです。酸素がなくなり、松田は動けなくなってしまいました。酷寒のために視力が低下しているにもかかわらず著者は現在位置も不明なまま、酸素ボンベをデポしていた地点まで懸命に戻ろうとしますが、このときすでに幻覚を見ており、あげくに絶壁の端で片方のアイゼンを外して眠り込んでしまいました。望遠鏡でふたりの彷徨する姿を雲の切れ目から追っていたベースキャンプでは、無線機の応答もなく遭難と判断、即座に救援隊を向かわせました。
 間一髪、著者は救助されましたが、松田は折れたピッケルを残したまま行方不明となりました。
 8千メートルを超える高所で防寒グローブなどを失ってしまっていた著者もまた、命は助かったものの手足の指の多くを重度の凍傷でなくしてしまいました。
 念願の未踏峰の登頂に成功した京大隊でしたが、画竜点睛を欠く誠に残念な結果になってしまったのです。
 
 実は、このときの隊員15名のうち3名がその後、山に絡んだ事故で死亡しています。
 偶然だとしか言いようがないのですがね。
 山に挑むような精神は、一般人よりも遥かに死に近い場所にいるのでしょう。
 この本を読んでいても、ずっと順調にいってるように思えるんですよ。
 それで死ぬんだったら、登山はある意味死ににいってるようなもんだと思いました。
 莫大な金をかけてね、とてつもなく危険なスポーツですよ。
 しかしそこまでしても、やる価値はあるのだろうなあ。
 世界の人類が私ひとりになったとしたら、私は山に登るだろうか。


 
 
 
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