「面白くて眠れなくなる解剖学」坂井建雄

 PHPの面白くて眠れなくなるシリーズ。
 「面白くて眠れなくなる」のはあくまでも解剖学という学問の面白さであって、厳粛極まりない人体解剖のことを指しているのではありません。もっともだわな。人体解剖が面白くて眠れないならば社会は困ったことになるよ。
 でも本書を手に取るのは、多くの方が解剖という未知の領域に興味を惹かれてのことだろうけどね。
 本書の内容は、もちろん神秘に満ちた小宇宙である人体の構造に触れながらも、あくまでも縁の下から医学を支えてきた解剖学からの目線を基本としており、解剖学の歴史、解剖の手順にも多くのページが割かれています。
 私の個人的な意見としては、わけのわからぬ専門用語で満足に想像もできぬ人体解剖よりも、解剖学の歴史をもっと詳細にやてほしかったと思います。
 日本で初めての刑死体以外の解剖、つまり献体による解剖ですね、これは1869年に東京大学で行われ、このとき献体を望んで亡くなったのは美幾という重い病気にかかった女性の方だったそうなんですが、この方にまつわる話をもっと読みたかったです。日本で初めての献体ですからね。いったい、どういう心境でそれを望んだのだろうかと。おそらく、自分が罹っていた病気が、将来は医学によって治癒できるようになることを願って、献体を申し出たのではないかと思うのですよ。子孫のために医学のために。この憶測が確かであるならば、とても社会のためになる話だと思うんですよね。
 私なんてちょっと抵抗あるものなあ。下腹部が貧弱なので。なんかふんどしみたいな布を被せてくれるらしいのですが・・・

 本書で解説されているのは、医学生などの教育や医学の研究を目的とした「正常解剖」です。
 医学部は2年生のときにやるんだってね。3ヶ月。どれくらいの“体”を使うのかは書かれていません。
 ホルマリンで保存処理された遺体はそのままでは危険なので、アルコールに置き換えられるそうです。
 解剖実習の日が近づくと、教職員は一体ずつ解剖台の上に乗せていきますが、ある程度遺体が乾くまで1~2日かかるそうです。実習を開始する前に、献体者の方の冥福を祈って黙祷が捧げられ、それから解剖が始まります。
 進め方は大学によって異なりますが、だいたい日本国内のパターンは、頸と腕から初めて、胸、腹、下肢、骨盤、最後に頭という順番に行い、これには理由があります。本書の進行も、この順番通りに説明されています。
 「どんな空気のきれいなところに住んでいた人でも肺は煤で汚れている」、なんてのはすぐにわかりますが、骨や筋肉組織の構造は読んでいてもよくわかりません。図もけっこう多いのですが、肝心の文章と図が直結していません。たとえば、「スポーツ選手がよく断裂したと伝えられる靭帯は、関節を覆っている関節包の一部で結語組織の繊維が発達してできており、関節包と一体化していて境目がないので見分けがつかない」と書かれていますが、まったく想像することさえできない、それを裏付ける図がないから。前も他の「眠れなくなるシリーズ」で感じましたが、予算が少ないのではないかと勘ぐってしまいます。それでは眠れなくなるどころか、意味がわからないから眠くて仕方ないんですよね。

 解剖実習最終日には、ご遺体の納棺が行われます。
 故人の名前を記した「故~殿棺」と書かれた札を教授が持って、一つ一つの棺の上に乗せて、「故~殿、ありがとうございました」と故人のお名前を読み上げます。このとき学生たちは3ヶ月間の実習の間、番号だけで区別されていた故人の名前を初めて知ることになります。解剖体が、ちゃんと名前をもった一人の人間でそれぞれの人生があったことを強く感じる一瞬です。
 その後、火葬して大学と縁の深いお寺などで、ご遺族も参列の下にご供養し、ご遺族へ遺骨をお返しする遺骨返還式が執り行われます。
 著者は、解剖で一番大切なことは、ご遺体の取扱いについて献体者、ご遺族に対する礼節を失わない適切な倫理観であると説いています。そもそも解剖学という学問は、ご自身の意思によって身体を提供するボランティア精神、人の善意で成り立っているのです。医学を志す者は、その善意に応えなくてはなりません。
 昔は違いました。解剖に使用する遺体は、刑死体しかありませんでした。
 日本で公式に認められている初めての解剖は、1754年。京都の六角監獄。山脇東洋が参加しています。
 過去は有無を言わせない刑死体、現在は自由意志による献体、将来はどうなるのでしょう。
 私は、バーチャルリアリティのような仮想解剖の技術も実地で施行されるようになる日も近いと思いますが、解剖実習室を掃除したり、切り離した四肢ををつなぎ合わせたり、納棺に黙祷を捧げたりすることが、尊い解剖学で最も重要な本質ではないかと思いました。


 
 


 
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この記事へのコメント

- へろへろ - 2017年08月23日 13:09:54

こんにちは
美幾さんの事は、吉村昭の「梅の刺青」で読んだ事があります。
梅毒で死んだ遊女の死体なんか、どこに打ち捨てられるかわからないような状況の中で、献体をすれば戒名が貰え、寺に墓まで作って弔ってもらえる・・という条件に惹かれたようです。
家も貧しかったようですし、苦労続きの短い生涯だったのでしょう。
個人的には、医学の発展を願って・・というより、そこに人生で初めての安らぎを見出して承諾したのかなと。
しかし、150年後に本やネットに自分の名前があり、墓は文京区の史跡になるとは夢にも思わなかったでしょうねw

Re - 焼酎太郎 - 2017年08月23日 15:28:14

へろへろ様

教えていただきありがとうございます。
まったく知りませんでした。美幾とは源氏名でしたか。
発想にありませんでした。
色々あったんでしょうねえ。きれいな話ばかりではなさそうですね。
機会があれば「梅の刺青」読んでみます。
ありがとうございましたm(_ _)m



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