「海の見える理髪店」荻原浩

 第155回(2016年度上半期)直木賞受賞作です。
 とっても優しくて上品な短編の物語が、表題作ほか6篇。
 情感が深くてなおかつ映像が自然に浮かんでくる上質のヒューマンドラマですね。

 初めて読んだのですが、荻原浩ってオッサンだったんですね、「こう」と読ませて女の人かと思っていました。
 気づいたのは、読み終わって後付を見てから。
 文章がとても優しくて、とても男性とは思えませんでした。
 作品から受ける感じでは、オールドイングランドとかのストールをふわっと肩にかけていて、音を立てずに紅茶をすっと飲んでね、あれなんて言うのだったかな、イギリスにスカンクみたいな名前のお菓子があるでしょう、あれを忘れた頃にぼそっと口に入れてね、気品のある独身40歳代後半の女性、身長は165センチくらい、みたいな感じなんですよ。
 それがまあ、なんと画像を拝見いたしましたらね、焼酎かっ食らって腹出して寝そうなオッサンでしょ。驚きました。
 まあ、それは冗談としましても、ふつう、「あ、これは若作りして青春小説書いてるけど正体はオッサンだな」と読んでて臭ってくるものなんですよね、行間に加齢臭が。誰とは言いませんけど、白河三兎とか。
 それがまったく臭わない。これほどまでに男性が書いていることを感じさせない文章はないんじゃないかな。
 もはやプロという呼び方さえおこがましい、その存在自体が作家であると同時に作品と同化してしまっている気がしますね、溶けて。ほかの作品を必ず読んでみようと思いました。これもマンネリだけれども直木賞の効用であると思います。

「海の見える理髪店」
 ネットで少々評判になっているという海辺の小さな町にある理髪店に、グラフィックデザイナーをしている客が訪ねてくる。店主は白髪の目立つかなりの高齢だが背筋はしゃっきりとしている。客が理容椅子に座ると、前に大きな鏡があってそこに海がいっぱいに広がっている。店主は理髪しながら、客に自分のこれまでの人生を語りかける。
 本書に収められたすべての物語に云えることですが、ラストが秀逸。これ以上の終わり方はないという仕舞い方。
 短編になくてはならない切れ味のおかげで読後感がスッキリとしています。


「いつか来た道」
 16年ぶりに故郷の実家を訪れた杏子を待っていたのは、72歳になる母の「ああ、あなた。何しにきたの」という言葉だった。母は画家で、杏子も才能がないのに厳しすぎる英才教育を受けてきた。家を出たときには、二度とこの人には会わないと胸に誓っていたのであるが、しかし・・・
 私は猫が好きだからでしょうか、母親の描いていた絵の構図に、白い点でマユちゃんが出てきたときには、ちょっと泣きました。人の内見も外見もどちらも描写が素晴らしい。たとえば認知症の母親の挙動とその老いてしまった脳が一生懸命考えようとしている様子とか。

「遠くから来た手紙」
 残業続きの夫。頻繁に顔を出す義母。東京での結婚生活に嫌気が差して、幼い娘を連れて実家に帰ってきた祥子だが、梨農家をしている実家には、弟夫婦が同居しており、すでに祥子の居場所などない。祥子は6年前に亡くなった祖母の部屋に落ち着くが、そこで祖母が残した手紙を発見する。
 メールのやりとりで始まる冒頭が斬新。初めて読んだので、こういうファンタジックな展開は予想していませんでしたから、ちょっと驚きました。そうだよね、戦時中の引き離された夫婦の気持ちを思えば、生ぬるい夫婦喧嘩などしている場合ではないですね。残ってないかな? とこっそり机の中をあら探ししたくなる作品でした。

「空は今日もスカイ」
 両親が離婚し、叔父夫婦が跡を継いでいる田舎の母の実家にやってきた8歳の茜。最初は優しかった叔父夫婦だが、母の仕事が決まらずに居候生活が長くなると、とたんに愛想が悪くなった。英語を教えてくれていた従姉も、相手にしてくれなくなった。夏休み、茜は冒険という名のプチ家出を実行する。好きな海を見るために・・・
 ちょっと毛色の違う作品です。あくまでも子供視点というのが徹底されていて、ホームレスの男の描写など面白いですが、茜と森島陽太君の今後のことを思うと、この物語だけはハッピーエンドとはいえないね。中途半端だね。

「時のない時計」
 定年を3年後に控えながら、会社を退職してしまった主人公。失業中。2ヶ月前に亡くなった父親の形見分けで、壊れた古い時計をもらった。スイス製だ。修理してもらうために、商店街にある古い時計屋を訪れるのだが、年老いた職人肌の店主ひとりが切り盛りするその店内には、様々な時計がその“時”を止めていた。その理由とは・・・
 一番色々と考えられるのは、この作品でしょうか。店主の腹の中とか、なんで1万8千円もしたのか、とか。
 1万8千円は、修理代というより時計の値打ちそのものだったのではないですか。イコール見栄っ張りの父の真の姿。
 店主は時計に囲まれて暮らしながら、時そのものは止まっていた。しかし主人公は昔の父親の本当の姿を垣間見たことにより、先を進む、つまり時計の針を進めることができたということでしょう。


「成人式」
 15歳の一人娘が交通事故で亡くなったのは5年前。以来、49歳の父親と45歳の母親は、昔撮った娘のビデオを見返したり、娘が事故をした朝、どうして「学校に遅れるぞ、急げ」などと言ったのかと繰り返し後悔している毎日だ。心の痛みは時間が解決するというが、それは何年先のことだろう。永久に来ないかもしれない。ふたりは実年齢以上に老いてしまっていた。
 しかし、娘が死んだことなど知らぬ、名簿から自動的に送られる成人式用のレンタル衣装のカタログがポストに届いたことをきっかけに、ふたりは底なし沼からの起死回生の奇策を考えたのだった。
 この作品の情感は飛び抜けていると言っていいでしょう。娘を亡くした親の気持ちがここまで切実に語られている小説は読んだことがありません。涙なしでは読めないですね。笑いというのは、人生で一番必要かと思います。どうしようもない暗からの、ほんのちょっぴり光がさした瞬間を切り取った良作でしたね。

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この記事へのコメント

- siro - 2017年07月21日 18:01:43

この本は良い本でした。これまで読んだこの作者の作品とは少々異なる雰囲気を持った本でしたので、驚きもありました。

特に焼酎太郎さん同様に、私も表題作のラストには泣かされましたね。

他の「いつか来た道」は身につまされましたし、「時のない時計」「成人式」などにはこの作者のうまさに感心しきりとなってしまいました。

ただ、「空は今日もスカイ」はちょっと分かりませんでした。結局、作者は何を言わんとしているのでしょう。

話は変わりますが、青山文平の『遠縁の女』は相変わらず素晴らしいですね。もしかしたら一番いいかも、とすら感じてしまいました。

Re - 焼酎太郎 - 2017年07月22日 07:18:28

siro様

荻原浩さんは恥ずかしながら初めて読みました。著名な方であるのに。
読書は奥が深いといいますか、残念ながら一生で読める本の量は限りなく少ないですねえ。

青山文平の「遠縁の女」は知りませんでした。
読んでみます。
今、青山文平だと手元には「青山入り」という文庫本があります。

コメントありがとうございました。

- siro - 2017年07月23日 09:18:02

荻原浩は、どこか私の好みとずれているのか、直木賞にからまなければ新たには読んでいなかったと思います。
面白いのは面白いんですけどね。
おっしゃるように読める本の量は有限ですから。

荻原浩からは、話題が移ってしまい申し訳ないですが、青山文平の「青山入り」は以前は「約定」というタイトルで出されていた作品ですね。
「半席」という作品集の表題作「半席」が収められている作品集だと覚えています。

Re - 焼酎太郎 - 2017年07月23日 18:16:32

そうなんですよ、パラパラと「青山入り」の中を見てたら、
「半席」がありました。
「あれ、これ読んだよなあ」と思ったんです。半席。
でも、「約定」は読んだ覚えがないんですよ。
私の勘違いかもしれませんが、確かsiroさんのブログで
似たような? ことを書いていたように思い出した次第です。

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