「帝国陸軍に於ける学習・序」富士正晴

 わたしは一兵卒として戦場に送られることになった。
 一期検閲すら受けていないで戦場へ向けられるとは何という軍の焦りであろう。
 征っては忽ち困るような家庭の奴に限って送られる。子沢山の炭坑夫、水呑百姓、小商人・・・
 ボロ中のボロ、兵隊としての不届者、役立たずを、第一線に送って何になるのだろう。
 生活に余裕のある者は、軍隊のあちこちに縁を作って、物質で丸め込むことができるのである。
 こんなもんじゃよ、世の中はなあ、と気にせず炭坑夫がいう。
 困っている者が損なくじを引くんじゃ、それが運命というもんじゃなあ。
 こりゃあ、日本は敗けたなとわたしは思った。


 竹林の隠者と呼ばれた富士正晴が自身の戦争体験を綴った戦争文学集。
 彼は中等学校卒業生以上が志願できる幹部候補生の道を断って、ただの一兵卒として召集されました。
 しかも30歳を過ぎてから、老初年兵として、20歳を過ぎたばかりの下士官兵に小突き回されながら。
 彼は、戦場の俯瞰者に徹することで、理不尽な戦地生活に耐えました。
 中国戦線の最前線へ送られるにあたり、彼が抱いた戦地生活信条は次のようなものでした。
 戦時強姦はしない。悲しいにつけ、よく食う。苦しいにつけ、よく食う。嬉しいにつけ、よく食う。
 彼は銃の手入れさえ満足に出来ない、兵隊としてはまったくの落第者でした。
 使えないことはすぐにバレ、配属された機関銃中隊の弾薬手の任務はたちまち解かれ、駄馬隊の馭兵を命じられました。主な仕事は、朝食の用意、携行食の用意、水くみ、馬の餌付けでした。
 メシを焦がして足蹴にされ、気に食わないからと10歳も若い上司にビンタされる毎日。
 戦場最下層の任務に甘んじながら、インテリのルンペン兵は、部隊が殺人強盗強姦空巣放火人さらいする様を、軍隊に染まらぬまま空気のような存在で俯瞰し、居眠りし、考え、記憶し、生きて還り、戦争文学に昇華させました。
 現在の我々では想像することさえできない“思考”がここにあります。

 召集されるまでの出来事を描いた表題作「帝国陸軍に於ける学習・序」ほか8篇。
 「崔長英」は徴発した苦力(くーりー)について。民間の支那人に荷物運びを無理やりやらせるのです。
 「南雄の美女」は、戦時強姦の罪で南京の軍刑務所に服役したために二等兵からやり直しさせられている古兵の話。中隊秩序外的存在である彼は、中隊の宿舎に女を連れ込みます・
 「素直な奴」は、風紀の厳しい南支軍の管轄から苦力を徴用したのですが、こいつが馬鹿正直なやつで・・・
 「傍観者」は、敗戦の翌年、武装解除されて兵隊は「日本徒手官兵」というのになりました。作者は堅物の上等兵の助手として鳥小屋の番人をやらされます。
 「足の裏」は、眠ること、食うこと、廃屋で見つけた三文本を眺めることだけが楽しみだったという作者。
 「死ぬ奴」は、同じ30歳を過ぎて召集された同年兵との会話。最後の文章の意味は、松田は戦死したということで、なお松田が生前気にしていた大阪の遺族の安否を作者が気にかけているというブラックな印象を残しています。
 「童貞」は、分隊長だった紅顔の美少年・増原伍長の話。まさに戦争文学というべき文学性の高い作品。

 印象に残ったのは、暇だったので支那人の捕虜に空気注射をして死ぬかどうか試した軍医の話、母牛から引き離した子牛を調理のためにしのびなく殺す話。なんともいえない怖いというか、切ないというか。
 やはり戦争はしてはいかんと改めて思うとともに、人間の質が荒い時代性も感じました。
 人間が現代と違って荒っぽいというか程度が低かったから戦争というものが起きたのだろうと。
 そして、戦争が人を変えたというのもあるでしょうが、こういう人が多かったからこそ戦時強姦が起きたのだろうと。
 作者は戦地に赴くにあたって戦時強姦はしないと誓いますが、ということは内地においてもそういう話は聞いていたということでしょう。もちろん当たり前だから仕方ないことではなく、治安区と呼ばれる地域では現地人の毛糸一本盗んでも厳しい処罰が待っていました。行儀の悪いのもたくさんいましたが、それでも日本兵は支那兵やロシア兵に比べては格段に人間的レベルが高かったと思います。
 これを読むと、読んだ人にしかわからないでしょうが、慰安婦問題というのは今の日本人に問うても意味がないと思いましたし、そういう問題を提起すること自体が、実際の戦争を知らない現代の人間が金が欲しい及び日本が憎いためだけにやっている嘘ではないかと思いました。


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