「ちいさな国で」ガエル・ファイユ

 この地の人々は、この大地に似ている。
 一見穏やかだけれど、ほほえみと威勢のいい前向きな言葉で飾られたうわべの陰では、仄暗い地下の力が間断なく働き、暴力と破壊の企てを温めている。そしてそれらの企ては、凶事をもたらす風となって繰り返し吹き荒れる。1965年、1972年、1988年。おぞましい亡霊が何年かごとに姿をあらわして、平和は戦争と戦争のあいだ小休止にすぎないことを人びとに思い出させるのだ。あの毒を秘めた溶岩が、あのどろりとした血の波が、ふたたび地表にまで上がり出ようとしていた。
 ぼくらはまだ、それを知らない。
 けれど、熾火(おきび)はすでに熱く燃えていて、夜がハイエナとリカオンの群れを解き放とうとしていた。


 世界史上未曾有の大殺戮となったアフリカのフツ族とツチ族の抗争をテーマとした半自伝的小説。
 作者は父をフランス人、母をツチ族のルワンダ難民に持つフランスで有名なラッパー。
 少年時代を、この小説の主人公ガブリエルと同じアフリカのブルンジで過ごしました。
 そしてブルンジで内戦勃発後の1995年に、妹とフランスに渡っています。
 ということは、両親はどうなったのだろう?
 まさか小説と似たようなことにはなっていないとは思いますが・・・心配ですね。
 ガブリエルの話はほぼフィクションでしょうから。
 でもこの小説を読んでいて感じるのは、フィクションとはいえ自分が見聞きしたりことやプライベートにも内容が食い込んでいるような、ちくりと心が痛むようなことがよく書けたなということです。
 だからフランス最高峰であるゴンクール賞の候補にまでなったのでしょうけどね。
 ブジュンブラ(ブルンジの首都)の不良に「おまえの母親は白人に身を売った売女だ」と言われる場面がありましたが、事実と違うとはいえ作者の母はルワンダ内戦からブルンジに逃れてきた黒人の難民で白人の男と結婚したわけですからね。
 よく書けたよ、ほんと。読んでる方が悲しくなったわ。
 実際のところ、作者のアイデンティティーはどこにあるのでしょう。
 ガブリエルは最後までそれが定まらなかったように思う。同じ白人と黒人のハーフとはいえキンヤルワンダ(ルワンダ語)が喋れる親友のジノとは違って、ガブリエルは子どもという理由で父から政治の話題を遠ざけられ、母からもルワンダ語を教わることはなかったわけですから。国籍はフランスになるわけですけどね、行ったことないし。肌は白と黒の間のキャラメル色です。しかも両親が別居してしまった。父は違う女のもとに通い、親戚の無事を確かめにルワンダに行って甥や姪の惨殺体を見て帰ってきた母は、あんなに綺麗だったのに頭がおかしくなってしまいました。
 友達がいるブジュンブラの袋道に愛着はあったでしょうが、彼には寄るべき故郷というものが最後までなかったのです。
 もちろん、フツ族とツチ族の抗争の因縁などまったく知るよしもありません。彼は部外者であったのです。
 あのままいたら、妹のアナと一緒に殺されていたかもしれませんね。
 自分が何者かもわからないまま、敵か味方かに強引に区別されて殺されることほど悲劇はありません。
 物語の最後では、33歳になってなお自身の帰属があやふやなガブリエルが、フランスから20年ぶりにブジュンブラの袋道を訪ねるのですが、その変わってしまった風景は記憶にさえも人は帰属できないことを諭されたようで、いかにも物悲しいです。
 
 地理的にも遠く、ましてやジェノサイドなどが考えられない社会で暮らしている我々なので、本作から勉強できる部分は非常に多かったと思います。あらためて世界で当たり前のことが当たり前ではない日本という国独特の幸せを感じました。
 想像したこともありませんでしたが、在日の方の心持ちを考えたりもできました。
 1994年4月から、わずか100日間で80万人もの人間が殺されたというルワンダのジェノサイド。
 その話は以前に読んだ「ジェノサイドの丘」という本に詳しく載っています。隣国とはいえ本作の背景もこれに直結しています。隣人が突然殺人者に変わるというね・・・正直、戦争よりもひどいことが起こったのです。
 フツ族とツチ族の憎しみ合いは、かつての宗主国であったフランスやベルギーによる分裂統治政策に端を発するようです。治めやすいように対立構図を作ったのですね。
 ほんと過去に白人がしたことはヒドいですよ。今は価値観がマシになっているとはいえ、本作にも登場したドイツ系のフォン・ゲッツェンみたいに筋金入りの人種差別主義者なんて、まだまだ掃いて捨てるほどいっぱいいますからねえ。嫌韓とはまったくレベルが違うです。有色人種のことを人間と思っていませんから。
 地球の社会が成熟したといえるのは、まだまだなようですね。


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「キャロル」P・ハイスミス

 サスペンスの巨匠・パトリシア・ハイスミスが1952年に別名義で出版した異色の恋愛小説。
 私は非常に楽しめたのですが、これは読む人によって大きく感想が変わると思います。
 映画になりました。去年かな。
 キャロル役には、ケイト・ブランシェット。うーん。
 小説を読んだ感じでは、今のケイト・ブランシェットよりキャロルはだいぶ若いイメージです。
 ただ上品さという意味では、なるほど彼女にピッタリとも思える。
 テレーズのほうは、私は映画には詳しくないので女優の名前は知りませんが、こっちはバッチリ、イメージと合っていましたね。夢を持って、貧しくとも前を向いて生きている可愛い女性のイメージです。ちょっと垢抜けないとこも。
 予告編のトレーラーを観ただけなんですけどね。
 是非とも、これを読んだかぎりでは、映画を観てみたいと思いました。

 さて、どうしよう、少しあらすじ。触りだけ。
 舞台はニューヨーク。時代は1950年代初めでいいと思います。
 父を早くに亡くし、母には放っておかれ、宗教学校で育ったテレーズ・べリヴェットが主人公。
 ニューヨークに来て3年。彼女はまだ19歳。舞台美術家の卵です。
 夢を持ってニューヨークに来たものの、生活することで一杯のテレーズは、デパートでアルバイトをしています。
 そして、そのことは起こりました。クリスマス前。
 人形売り場に立っているテレーズに、ミンクの毛皮のコートを着た美しい貴婦人が近づいてきたのです。
 後でわかりますが、この貴婦人の名前はキャロル。彼女の年齢は最後までわかりません。
 ただ、ひとり娘のリンディが幼いこと、夫は37歳ですが資産家であることから、30歳前後かもしれません。
 テレーズいわく、「キャロルと目が合った瞬間に、すべてが始まった」。
 この不思議な間隔はまたたく間に熱病となってテレーズの心を支配し、彼女はダメ元で、配送先伝票に記載されたキャロルの住所にクリスマスカードを送りました。
 すると、なんとキャロルから返事が来たのです。(キャロルはカードを送ってきたのはデパートの男性店員かと思ったと言っていたが、これは嘘だと思います。彼女はわかっていたはずです)
 待ち合わせて会うことになったふたりは、加速度的に親密になっていきます。
 そして、テレーズのほうは付き合っているリチャードが制止するにもかかわらず、キャロルのほうは夫と離婚協議中であるにもかかわらず、ふたりは、ニューヨークから西部へ車でアメリカ横断のロングドライブの旅行に出発するのです。
 しかし、そこでふたりを思わぬ罠が待ち受けていたのでした・・・

 どうしてこれが面白かったかというと、真に迫っていたからです。
 作者自身のあとがきやら、訳者の解説を読んで、納得。
 この物語は、まったくの仮想ではなくて、ある部分(冒頭と背景)までは真実であったことがわかりました。
 作者のハイスミスは駆け出しの作家であったときに、ニューヨークのデパートでアルバイトをしていました。
 そこで実際に、キャロルのような貴婦人を目にして雷に打たれたのです。
 つまり、テレーズとは、作者自身の分身であったわけです。ハイスミスがレズビアンであることは公然の秘密でした。
 ちなみに、キャロルのほうにも実在のモデルがいて、名前もわかっています。
 それが1948年のこと。そして、得た着想を膨らませて、1952年にクレア・モーガン名義で出版されました。
 こういう小説ですからね、ミステリー路線で売り込んでましたから、名前を出せなかったのですね。
 結果、またたく間に、全米で100万部を売り上げるベストセラーになりました。
 道理で、難しい同性愛の機微が、巧みに描かれていたわけです。
 ちなみに、この頃はアメリカでも同性愛というと、キワモノの変質者扱いでした。
 それをクレア・モーガンことハイスミスが、この小説で、壁を破ったわけですね、思わぬハッピーエンドで。
 私から言わせてもらえれば、翻訳者までがこの作品をレズビアン小説と書いていましたが、別にそういう視点で見なくとも、ひとつの非常に美しい恋愛物語でした。単なる同性愛小説ではありません。そういう評価では心外ですね。
 いい小説だったと思います。


 
 
 
 
 
 
 

「失われた時のカフェで」パトリック・モディアノ

 2014年度ノーベル文学賞を受賞し、現代フランス文学最高峰との呼び声も高いパトリック・モディアノの代表作。
 エンターテインメントではありませんが、ミステリーのエッセンスがある文学作品です。
 140ページくらい読んで、さあ、これからだ乗ってきた、というところでプッツリ終わりました。
 その後、翻訳者による、やたら長い解説があったのですが、巻末の解説が50ページを超すような本を、初めて読みましたよ。ふつう、紙の本ですから、読みながら後どれくらい残っているか、わかりながら読んでますよね。ですから、まだだいぶページ数が残ってるな、これからクライマックスかなと思った途端に、あっさり終わって解説(といっても作者の紹介)が始まりましたよ。
 そりゃねえだろ、と思いましたね。
 あまりネタばらしはしたくありませんが、けっこう謎は謎のままで残っただけにね。

 ヨーロッパでは有名な方なのでしょうが、日本での知名度は低いと思います。
 ちなみに、本作は2011年に日本で刊行されており、作者のノーベル文学賞受賞という快挙を受けて、増刷されたものが、私の読んだものです。ですから、なお作者の紹介というものが、出版社的に必要だったのでしょう。
 増刷にあたって翻訳も少し直されたようですが、結局、海外作品は翻訳というフィルターを通しますから。
 私にフランス語がわかるはずもなく、これ以外の作品を読んでいないだけに、平中悠一という方の翻訳が、上手なのか奇をてらっているのかまったく判断材料がありませんが、一度通して読んだだけではこの作品は理解しがたく、二度目にさらっと読み直してみて妙に読みやすく思いましたね。ちょっと癖があったのかな。
 行間を読むといいますか、はっきりと起こった出来事が書かれているわけではありません。
 そのへんは詩的で日本の文学作品でも同じなのですが、まあ、少し具体的なことを云うと、ある女性の追跡なのですね、この物語のテーマは。ある女性が、4月に結婚して10月にパリセーヌ川左岸のカフェに現れて、2月に夫のもとに帰らなくなって11月に☆んでしまうまでに、この女性に何があったのかということを、物語の語り手たちが追憶するのです。
 ですけども、出来事がはっきりと書かれているわけではないので、ある程度というかけっこうな程度、読み手の判断に委ねられるわけです。どれが真実であったのか、答えはありません。ラストだってそうですよ。まあ、私はジャネットが一緒にいたということは、“雪”をやって落ちたのだと思いますけどね。
 結局は、新しい世界を求めて逃げ続けていた彼女(ルキ)が、やっとこさ定点(レ・ポワン・フイクセ)=ロランを見つけたと思ったとたんに、人生から飛び出してしまったと。なんたる皮肉。まあ、こういうことなんでしょう。
 切るべきはジャネット・ゴールでしたね。ドクロというニックネーム通りだったということです。
 カフェ・ル・コンデのあった時代は1960年代ということですが、それでもおそらくヘロインと思われる“雪”を持っていたジャネット・ゴールという人間は、毒がありすぎたということです。ルキにとって不快な記憶があったというモセリーニたちのいたカフェ・ル・コンテールの面々と、ルキやジャネットが何をしていたのかはご想像にお任せしますけども。
 
 物語に頻繁に登場する単語であるカルティエは、quartier(地域、界隈)であって、ジュエリーブランドのcartierではありません。界隈(カルティエ)の他にも、定点(レ・ポワン・フイクセ)、目印(ポワン・ド・ルペール)や交差点(カルフール)なんていう、場所を意味する言葉がこの物語ではキーになっているようです。
 セーヌ川を挟んでル・コンテとル・コンセールがあったことも、境界線のメタファーでしょうね。
 あるいは、ルキが短い結婚生活を営んでいたヌイイはパリ近郊の街でしたし、そこから彼女は脱出するのです。
 しかし、カフェ・ル・コンテがいつの間にか潰れて皮革店になっていたように、時が過ぎ去ると、境界線の意味などなくなってしまいます。時は動くのです。時にかかれば、カルティエなどあっという間に姿を変えてしまうのです。
 それでも形を変えないもの、それは人の記憶のなかの存在。なくなってしまって変わりようがないもの。
 それがルキなのです。
 国立高等鉱業学校の学生だった目立たない語り手の彼、私立探偵のピエール・ケスレィ(彼の場合は写真だけど)、そしてバックスキンのジャケットの男(ロランという名前が偽名であったのは謎のひとつ)らにとって、ルキが魅せた、すっと伸びた上半身(ビユスト)、優美で穏やかな所作(ジユスト)、そしてかすかな微笑み・・・は永遠に忘れることができない過去の定点なのでしょう。

 久しぶりにフランスの小説を読みました。
 フランス人というのは、世界で異質の存在であり、なくてはならないキャラクターだと、私は思っています。
 以前にベトナムやカンボジアでウロウロしていたとき、そのパンの旨さにビックリしました。
 私がいたときはバイクに乗りながら機関銃を撃っているような奴がいる時代だったので、パンを食べるのも命がけでしたが、わずか1000リエルの素朴なバケットが、本当に美味しかったことを覚えています。
 どうしてかというと、ベトナムやカンボジアはフランスの植民地だったので、パン作りの伝統が残っているのです。
 かつて日本人は占領した土地に橋や鉄道などを建設し、そのインフラの遺構などは数多く残っていますが、昔日本の植民地だったために旨いにぎり寿司の伝統が残っている、なんて土地はありません。
 フランスは、パンだけ残した。これはある意味、さすがというべきでしょう。橋や鉄道より、残るものですから。


 
 
 

「プラトーノフ作品集」原卓也訳

 プラトーノフというロシア人作家は有名ではありません。
 ドストエフスキーやツルゲーネフ、トルストイという有名どころと比べると、マイナーです。
 しかし、巻末の解説に書かれた“20世紀世界文学の重要な作家のひとり”という言葉は誇張ではありません。
 それは、プラトーノフの最高傑作である「ジャン」を読めば、誰もが納得することでしょう。
 すごいですよ、ジャンは。
 これほどまでに、この物語に書かれた、極限まで追い詰められた生命を、私は知りません。
 これは社会主義礼賛小説なのでしょうか。いや、そんなちっぽけなイデオロギーは関係ないでしょう。
 ロシア文学というのは、やはりレベルが高いです。マイナーなプラトーノフですら、これです。
 なぜだか、わかりません。ロシアは寒くて、暗くて、寂しくて、オッサンがウォッカばかり飲んでるイメージしかありません。私は一度だけ、だいぶ前にハバロフスクに行ったことがあります。関空からXF(ウラジオストック航空)がまだ飛んでいるときで、ウラジオまで行ってから、一式陸攻みたいなプロペラ機に乗り換えてハバロに着きましたが、今までの私の旅の歴史においてベスト3に入る最悪のトランジットでした。まあ、ここでは関係ないので詳しく書きませんが、いろんな面がある国ですね、ロシアは。いい面悪い面。親切なとこ不親切なとこ。幅が広いという言い方もありでしょう。
 特に、広大な国土と、多くの民族を持っています。その2つの点は、本作に収められている作品にも大きく関係しています。私とそっくりな顔をしたロシア人だってたくさんいます。日本という国とはまったく異質な社会なのですね。ましてや、この小説が書かれたころは赤軍の時代ですから。
 優れた文学者を生み出すには、複雑な社会環境と、未だ幸せを知らない無垢な魂が必要なのでしょう。

「粘土砂漠」
 トルクメニスタンとイランの国境の渓谷を、トルクメンの騎馬隊と捕らえられたペルシャ人の捕虜が歩いてる。
 捕虜の中には女もたくさんいた。14歳のサリン・タージは、クルド人の夫の子を宿して2ヶ月だったが、連れ去られてトルクメン人のアタフ・ババの何人目かの妻になった。そして、ラクダと山羊の乳をしぼり、牡羊の数を数え、井戸の水を革袋で一日に百杯、二百杯と汲んでくる、襲撃と砂漠の貧困に疲弊する遊牧民としての生活が始まった。
 何一つ考えることも感じることもなくなる奴隷の生活。やがてサリン・タージは、ジュエリという女の子を産む。
 
「ジャン」
 ジャン。それは、魂という意味。トルクメニスタン北部の地獄の底、サムカルシュ盆地に住む少数民族の名前である。なぜジャン(魂)かというと、彼らは、己の体しか財産がないからだ。世界でもっとも貧しい民族である。
 粘土の土の小舎に暮らし、中に2枚の芦のむしろがあれば、1枚は掛ふとんで、もう1枚の上に寝る。
 そのほかにあるのは、煮炊き用の鋳物の鍋と、焼き物の水挿しくらいで、あとはボロ布くらいしかない。
 河の小魚を獲って食べたり、砂漠の雑草を摘んでスープにする。湿った砂を口に含んで水分を取る。
 彼らは砂漠の乞食である。自分の心さえとうの昔に感情によってではなく、習慣によって鼓動している。
 完全な生者とはいえない。死なずに、夢うつつに寿命を生き長らえているだけの亡者である。
 百数十人いた彼らはいま、40人強しかいない。うち子供はたった3人。たったそれだけの民族が、暗い峡谷、青白い塩土、砂質粘土、どすぐろい屍灰の砂漠の底で、世界から孤独なまま逼塞し疲弊しきっていた。
 モスクワ経済大学を卒業したばかりの、ナザール・チャガターエフは、ジャン民族出身だった。
 15年前、彼は母親に砂漠に捨てられ、羊飼いに拾われ、ソビエト政権に助けられたのだ。
 結婚生活も束の間、党に命じられたチャガターエフは、世界で最も悲惨なジャン民族を救うべく、故郷に向かう。

「三男」
 ある州都で、老婆が死んだ。老いた夫は、6人の息子たちへ母の死を知らせる。
 やがて息子たちが帰ってきた。物理学者の三男は、6歳の娘を連れて帰ってきた。

「フロー」
 フローシャは20歳。科学者である愛する夫が、極東のシベリアに単身赴任になり、二度と戻ってこないのではないかと不安におびえている。一緒に暮らしている男やもめの父ネヒュードは、一度退職しながらも仕事への渇望がつのり、老齢ながらも臨時の鉄道機関士をしていた。
 ロシアは大きく、広い。モスクワからシベリアまで、どれだけ離れていることか。
 愛する夫からは、最初の電報以外、何の便りもない。夫が旅立った駅に行っては臨時で仕事をしたり、夫からの便りを待つあまりに郵便配達夫の職を得たり、機関車以外に興味のない小うるさい父に八つ当たりしたりしているうち、ついにフローシャは究極のイタズラを思いつき実行する。

「帰還」
 もう一度読みたかったのですが、今は時間がありません。
 ここに以前読んだぶんの感想があります。それでプラトーノフを知り、本書を読むきっかけとなりました。
 「百年文庫 月」(カテゴリー・文学アンソロジー参照)

プラトーノフ作品集 (岩波文庫)
Posted with Amakuri at 2017.11.8
プラトーノフ
岩波書店

 
 
 
 

「老人と海」ヘミングウェイ

 1950年9月。キューバの漁村。
 やせて骨ばった老漁師がひとり、掘っ立て小屋に住んでいる。
 生活はとても貧しい。食べるものにも事欠く有り様だ。
 それもそのはず、老人はひとり小舟に乗ってメキシコ湾流に漁に出るが、84日間一匹も釣れない不漁が続いている。
 5歳のときに漁を教えこんだ少年が、心配して世話を焼いてくれるので、なんとか生きていられるのだ。
 しかし、老人の海の色と変わらないその目だけは、いまだに元気な負け知らずの目である。
 老人はその若き日、アフリカ航路で働いていた。
 夕暮れの砂浜で見たライオンを、今でも夢に見る。
 不屈のライオン。
 老人は、少年が奢ってくれた一杯のコーヒーだけを腹に流し込み、85日目の漁に出る。
 そして、長い漁師生活でも初めてというくらいの、大物のカジキマグロを延縄で引っ掛ける。
 それは1500ポンド(約675キログラム)、鼻から尻尾まで18フィート(約550センチ)あった!
 これをものにすると、冬を越せるだけの稼ぎになるだろう。
 水の壜しか持ってきていなかった老人は、途中でシイラやマグロを釣って生で食べながら巨大な相手と戦う。
 ロープを背中に回して全身で踏ん張りながら、左手が強張って攣ってしまっても、巨大な釣果を逃さない。
 そして2昼夜の死闘の末、力尽きて浮き上がった巨大なカジキマグロを仕留めたのだが・・・
 血の臭いをたどって襲いかかってきたデントゥーソ(アオザメ)やガラノ(シュモクザメ)との、新たな壮絶すぎる戦いが始まるのだった・・・
 
 世界的な名作でありアーネスト・ヘミングウェイの代表作でもある「老人と海」の光文社新訳版。
 新たな翻訳者は東工大教授の小川高義氏。既訳本への対抗心はメラメラ。
 というのも、私も中学生の頃読みましたが新潮文庫のヘミングウェイの顔が表紙になってるほう、あっちの訳でおかしいところがあると、小川教授は本書のあとがきで明言されています。
 どこかというと、老人がずっと海上でひとりごとを喋っている部分。このときの原文基本形「he said aloud」のaloudは、古い時代の英語では「大声で」という意味だったそうですが、現在では「ささやくのではない普通の声で」と解されるのだそうです。新潮のほうは老人のひとりごとを「大声」「どなる」「叫ぶ」と訳していますが、それは感じが違うとで。
 そういや、私も記憶は定かではないですが、好きな本でしたので覚えているかぎりでは、海の上の老人はやかましかったような気がします。孤独に巨大魚と戦っている自分を、大声で鼓舞するようなひとりごとといいますか。
 しかし、本書では、このひとりごとがつぶやくような、落ち着いたものになっていました。
 「あの子がいればなあ」も、諦め調子。
 どっちがいいかと聞かれたなら、断然本書でしょうね。読んだらわかりますが、こっちのほうが文学的です。

 さて、久しぶりに読んだ「老人と海」で今だからこそ気づいたことと、素直な感想を。
 まず気づいたこと。
 舞台であるキューバは野球が人気なので、メジャーリーグ(MLB)の選手の名前が何人か出てきますが、なかでもディック・シスラーという名前があったのは軽い驚きでした。ディック・シスラーは、イチローが2004年に記録を破るまで、年間最多安打の記録を何十年も保持していたジョージ・シスラーの息子です。これを読んでいてピンときたのは、今だからこそですね。2004年以前に読んでいれば多くの日本人の目には素通りだったろうと思います。
 もうひとつ、けっこう最初のほうですが、ウミガメがクラゲを食べるという記述があること。私は最近、テレビのドキュメンタリー番組を観てこのことを知ってびっくりしました。サンチャゴはかつて亀とりの船に乗っていたことになっているので、こうした記述があったのだろうと思いますが、他にも当時のメキシコ湾における漁に関しての話題というか実際が豊富だなあ、という印象です。もちろんヘミングウェイは釣りが好きなんでしょうが、やはりちゃんとしたモデルがいるのでしょう。これに関して、今をもってはっきりしたことはわかっていないようですけどね。
 で、感想。
 これは昔に読んだときとそう変わらないと思いますが、「老人と海」から教えられることは、人間は死ぬ瞬間まで負けていない、死んでいないんだから頑張らなきゃならない、ということに尽きます。
 明日があるかぎり無限の可能性があるのです。ダメだったら諦めてまた頑張ればいい。
 そして、いつも夢が見られる人間でいること。これが大事。
 さらに、メシが食えないくらいでガタガタ言うな、というのも追加。飽食は厳禁。コーヒー一杯でも有り難いもの。
 死にたい死にたいというのが口癖になってるような最近のダメ人間は、本作を読むべきでしょう。
 ヘミングウェイ自身が自殺したというのは、おいといて。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
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