「島抜け」吉村昭

 日本での特志解剖第一号となった遊女みきを題材に近代日本医学の解剖史を紐解いた「梅の刺青」、江戸時代末期に実際にあった“島抜け”(遠島刑の囚人が流刑地から逃げ出すこと)を作者自身が実地に赴いて調査し書き起こした表題作「島抜け」、創作ながら江戸時代の飢饉に苦しむ百姓を描き、放浪者に食を施す寺社の横暴を現代に知らしめた「欠けた茶碗」の3篇。
 吉村昭ならではの鋭角的な視点で歴史の闇を突いた、いずれもレベルの高い短編小説集。

 いずれもよかったですが、特に印象に残ったのは「梅の刺青」。
 重症の梅毒患者で死に瀕した元遊女の美幾の腕には、好きな男の名前を彫った梅の小枝の刺青があったそうです。
 これは作者が彼女の解剖を見学した医学者の子孫から当時の日記を見せてもらって判明したことです。
 毎夜多くの男に身を売る遊女も、惚れた男には心中立てとしてその男に真情を示すため刺青をすることがありました。
 心ならずも家が貧しいために体を売らなくてはならなかった美幾の人生を思い、思わず涙しました。
 「島抜け」も、あとがきによってこれが事実を元にした作品であると知ったとき、まったく味わいが違ってきた作品でした。こんな映画みたいな世界が今から150年も前に起こったのだと思うと、社会や環境こそ違えど人間の考えることは同じだなあと思いましたし、日本人の行政能力の高さは性質だなと改めて気付かされましたね。これが他の国で起こったことだったら逃げ切れたと思いますよ。「欠けた茶碗」はほか2つとは色が違う小説ですが、当時の百姓の苦しい暮らしぶりは真に迫っていますし、やたら偉そうに食べ物を施す寺にはほんと腹が立ちました。ほんとくそ坊主はいつの世でもくそ坊主ですよね。要らないね。

「島抜け」
 天保15年(1844)、54歳の大阪の講釈師瑞龍事富三郎は読んだ講釈が公儀の機嫌を損ねて遠島刑に処せられた。大阪夏の陣で徳川方を翻弄する真田幸村の活躍を読んだためである。遠島先は、種子島。薩摩藩領とはいえ、当時は絶海の孤島である。遠島刑に処せられた者は、郷里に帰ることも許されず島で野良犬のように辛うじて生き、やがて死を迎え、島の土に還る以外にない。ほかの十数名の囚人と一緒に送られた瑞龍は、しかし、島での生活が海岸で貝が拾えるなど比較的自由であることを知る。やがて仲間3人と海岸に釣りに来た瑞龍は、漁師が置き去りにした丸木舟を見つけ、他に人気がないことに背を押されてそのまま潮に乗って種子島を脱出する。そして、15日間の漂流の後、日本語の通じないおそらく台湾近辺と思われる島にたどり着き、そのまま島伝いに旅を重ねて、唐の国に入った。唐の国は日本と交易があったので、彼らは交易船に乗せてもらい、長崎から日本の入国しようと諮る。もちろん重罪人であったことがばれないように、それぞれ偽の出自をこしらえた上でだ。だがしかし・・・

「欠けた茶碗」
 甲州の村落を大飢饉が襲った。由蔵、4年前に15歳で嫁にきたかよ、2歳になるひとり息子の岩吉の3人に一家はたちまち食うに困り、山林の草花も食い尽くし、村内では人肉食の噂も広がり、ついに岩吉が餓死するに及んで夫婦ふたりで海を目指して村抜けする。行く道々では、寺社が蓄えこんだ食料で炊き出しを施しており、それで食いつなぎながらの旅だったのだが・・・

「梅の刺青」
 明治2年。医学校に併設された梅毒患者を無料で診療する黴毒院で、死に瀕した重症の元遊女・美幾が医師に翻意されて了解した献体が、日本における特志解剖の第一号となった。解剖された後、手厚く葬ってくれることが彼女が首肯した理由だった。普通は遊女が死んだら穴に放り込まれるだけなのだ。人体解剖は大宝律令以来かたく禁じられており、宝暦4年(1754)に京都で初めて解剖が行われたが、旧幕時代は、解剖の対象は刑死人だけだった。それも明治政府になって囚人の処遇にも西洋列強先進国を意識しなくてはならなくなり、医学校が申し込んでも刑死人の払い下げが滞っていた。ゆえに美幾は犯罪とは無関係の民間人がはじめて剖検された例であった。執刀は、町医者ながら31歳で医学校に入学し解剖について熱心に研究していた田口和美が務めた。後に彼は東大医学部初代解剖学教授に任ぜられる。
 この後、美幾が手厚く葬られ、遺族にも少なからぬ謝礼が贈られたことを見ていた他の患者から献体の申し出が続き、我が国の医学の発展に大きく寄与することになる。

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「会津執権の栄誉」佐藤巖太郎

 今年第157回直木賞の候補にもなった新感覚の歴史小説です。
 舞台を同じくした6篇の連作で構成されているのですが、それぞれの短編の発表時期はおよそ1年に1回ほど。
 冒頭の話が2013年、最後の書き下ろしは2017年ですから、なんと足掛け5年ですわ。
 珍しいですよねえ。
 歴史小説としての題材も珍しいというか、変わっているというか、会津の戦国武将・芦名氏に脚光を当てています。
 マイナーですわな。渋すぎます。信長の野望でもやっていなければなかなか思いつかないでしょ。
 芦名氏は会津守護として400年近く続いた名跡でして、第16代芦名盛氏のときに最大の版図を築き上げ、東北において伊達家と比肩する勢力を保ちましたが、家中掌握に苦労し、第18代盛隆は家臣に暗殺され、跡を継いだ幼い隆氏が病没するに及んで、男系の血が絶えてしまうのです。それで、残っていた第17代盛興の娘に婿養子を迎えるのですが、このとき佐竹か伊達のどちらから新たな当主を迎えるかで家臣団は紛糾しました。結局、家臣筆頭で会津執権の呼び名も高い金上盛備の一声で佐竹義重の次男義広が選ばれたのですが、重臣の猪苗代盛国などは露骨に反対していたそうです。
 まとまりのない家中は、新当主の義広が佐竹家から大縄義辰などの家臣を連れてきたことから、ますます関係が悪化し、北方の国境を接する伊達家の度重なる謀略を受けたあげく、天正18年(1589)摺上原の戦いで伊達軍に大敗し、芦名家は滅亡することになります。
 本作の最初の5篇はついに滅亡にまで至った紛糾相次ぐ芦名家家中を舞台に、最後の作品は芦名家を滅ぼして会津黒川城に入城していた伊達政宗の小田原遅参を題材にしています。
 筆致が鋭くて掘り下げが深いのが特徴で、確かに新機軸の歴史小説かとは思いますが、それほど面白いというわけではありません。歴史小説というより時代小説といいますか、時代小説の虚構エッセンスが強い短編もあります。
 金上盛備の大将補佐である白川芳正は実在した人物かもしれませんが、その下の沼崎喜左衛門は架空でしょう。
 少なくとも帯に喧伝されていた「怒りですべてを燃やし尽くす。これが戦国武将の正体だ」というような迫力はありません。
 ただ、本作の小田原での伊達政宗と豊臣秀吉のやり取りは、今までに読んだ歴史小説や大河ドラマの同じシーンよりも味わい深いものがありましたし、印象に残るものとなりました。
 次回は、長編でやってもらいたいですね。

「湖の武将」
 家臣筆頭である金上盛備の命を受け、新君主義広が連れてきた大縄、刎石らと譜代の重臣である猪苗代盛国の仲を取り持とうとする、富田隆実。猪苗代氏は、猪苗代湖の漁業や水運を司ってきた有力な家臣であったが、ゆえに気難しく誇りが高い。しかし隆実の心配をよそに当主の猪苗代盛国は佐竹家家臣の内政参加を許諾する姿勢を見せた。しかし、その裏には・・・
「報復の仕来り」
 旧来の芦名家家臣と新来の佐竹家家臣の内紛は収まらず、大縄義辰のお気に入りの家臣が何者かに斬られた。探索方を命じられた桑原新次郎は、組頭格松尾玄蕃を下手人と目星をつけるが、証拠がない。困っているところに、野村銀之助と名乗る浪人が事件を目撃したとやってくる。
「芦名の陣立て」
 ついに佐竹家の後詰を得た芦名家と伊達家の戦いが始まった。金上家大将補佐である白川芳正は、最前線にある伊達方の城・大平城の探索に赴いた折、大縄義辰主従の姿を発見し、戦陣での抜け駆けを警戒する。大縄は、由緒ある芦名家の陣立てなどハナから相手にしていない。傍若無人であった。白川が主人の金上盛備に注進したところ、盛備も対応に苦慮している。そんなとき、思いもかけないことに猪苗代盛国の伊達家への寝返りが報ぜられた。黒川城から五里しか離れていない猪苗代城に片倉景綱ら伊達軍2万3千が入城したという。
「退路の果ての橋」
 芦名と伊達の大一番。1年ぶりに足軽として徴用された小源太は、仙蔵とともに最前線の偵察に向かうが、待ち伏せにあい、仙蔵は怪我をする。味方とはぐれたふたりはやがて敵の伊達の小荷駄隊に遭遇、正体を隠してこれに紛れ込んだ。話を聞くうちに、この隊は日橋川の橋を打ち壊して芦名軍の退路を断つことが目的であることを知る。その橋は、かつて小源太も普請に参加したことのある橋だった。小源太は機会を見つけて脱走し、いち早くこの敵の計画を味方に報せようとするのだが・・・
「会津執権の栄誉」
 攻守は逆転し、芦名軍は伊達軍の前に総崩れとなった。四百年近く続く芦名の名跡、その芦名の執権という名聞。芦名中興の祖・第16代盛氏の頃から仕え、家中をまとめてきた金上盛備にも死が目前に迫っている。関白秀吉の惣無事令も眼中になく、奥州席巻への野望に突き進む乱世の奸雄・伊達政宗に、著しく家中のまとまりを欠いた芦名は敗れた。一瞬、奇跡のように空いた伊達本陣への道。盛備は側近の白川芳正に「わしの討ち死にを殿に伝えよ」と言い残し、政宗の首を取るべく伊達本陣に突撃する。
「政宗の代償」
 芦名を滅ぼして、会津黒川城に入城していた伊達政宗。しかし、惣無事令を無視された関白秀吉は怒っていた。小田原城攻めに遅参ながらも馳せ参じた政宗は、軟禁に近い形で沙汰を待つことになった。徳川家康や結城秀康から伝え聞くところでは、政宗の処遇は芳しい結果とはならないらしい。いざ対面となったとき政宗は、死を決意した白装束でその場に臨む。懐には2本の短刀を忍ばせていたが・・・


 
 
 
 

「虎の夢見し」津本陽

 肥後54万石を領した豊臣秀吉麾下の豪傑・加藤虎之助清正の伝記小説。
 後半からエピソードが増えて面白くなりましたが、最初のほうは歴史の教科書を読んでいるみたいに退屈でした。
 逆にマイナーな播磨の三木城攻めや鳥取城攻めが、これでもかと詳しく書かれていたのは戦国好きにとってはかゆいところに手が届いたかもしれないですなあ。細川藤孝の水軍なんて知らなかったし。私はちょっと眠たかったけども。
 まあ、こういうのがこの作者のやり方でしょうね。
 面白いんだけど嘘ばっかりの歴史小説もやや冷めるところがありますからねえ。
 本作みたいに徹頭徹尾、清正が尾張弁を貫き通しているのは作者ならではのリアリティの見せ方なのでしょう。
 正直、慣れるまでは何を言っているのかわからないのですが(笑) これもまたよし。
 ただ、同じように秀吉恩顧の猛将であり、ドラマなど観ていると清正とペアで登場する印象のある福島正則を、エロキチガイのサイコパスのように描いてあるのですが、これは本当なのでしょうか。

 本書から抜粋した加藤清正の略譜を。
 幼少時夜叉若と呼ばれた清正ですが、母親は秀吉の母なかのいとこで実家は近所同士だったそうです。
 15歳くらいで、長浜12万石を領し信長麾下で目覚ましい出世を遂げつつあった秀吉の配下となります。
 まあ、縁故採用だわね。当時は当たり前です。この頃から身長はずば抜けて大きかったそうで、秀吉も親戚として将来が頼もしかったのではないでしょうか。ちなみに、福島正則も秀吉の親戚になります。
 天正8年(1580)に三木城陥落の功により千石を賜り、秀吉の中国大返しのとき20歳でした。
 清正は普段は温和で弱者に優しいのですが、いざ合戦になると命知らずの攻撃を敢行したそうです。
 宝蔵院流の槍の名手で、身長は6尺5寸(195センチ)あったそうですから、相当強かったでしょうね。
 秀吉が柴田勝家を倒した賤ヶ岳の戦いで、清正の身代は5千石になり、近習から物頭に昇進、与力二十騎に鉄砲五百挺を差配しました。
 そしてここから前例のない大抜擢なのですが、隈本城を要する肥後北部25万石の領主になります。
 これなぜかというと、その前に佐々成政が肥後54万石に封されていたのですが、地元の豪族と悶着を起こし、秀吉に解任される事態になりました。このとき、検分する横目役として肥後に滞在し、佐々成政の治政を見ていたのが清正だったのです。清正は肥後の実情を知り、佐々成政の失敗のありようを見ていたために、秀吉に「自分を肥後の太守に」と売り込んだわけです。
 結果、南肥後24万石は小西行長の領地になりましたが、北半分は清正の拝領するところとなりました。
 まだ30歳にもなっていないのに、5千石から25万石ですよ。まさに異例ですな。
 ちなみに、領地を接することになった小西行長との確執で中央官僚の石田三成がことごとく小西よりの判定をしたために、清正は大の石田嫌いになりました。このことは関ヶ原での清正の行動に直結します。
 朝鮮の役では、明・朝鮮連合軍から「鬼上官」と恐れられ、今の北朝鮮と中国の国境を北上して漢民族とは異なる騎馬民族と交戦したという記録も残る清正ですが、残念ながらそのことについては本作では触れられていません。
 秀吉死後、関ヶ原では九州を離れず、東軍が勝ったという情報を得てから、南肥後の小西領に攻め込みました。
 有名な熊本城築城は1601年から。人足の負担を軽くするために、6年の年月をかけてゆっくり築城されました。
 清正は言わずと知れた築城の名手で、江戸城の普請もしていますが、石垣に特別の工夫があります。熊本城はおそらく日本一の名城であり、それから約300年経った西南戦争のときに、西郷軍が熊本城を抜けませんでした。
 桐野利秋が「こんな城、ササラ棒で落ちるわ!」と調子に乗って自分が命を落とすことになったのは、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で有名な話です。
 どこで清正は土木の技術を身に着けたのでしょうか。まあ、天性のものがあったのでしょうけども、ひょっとしたら秀吉の麾下でいたときに、蜂須賀や前野などの川並衆から教えてもらった部分もあったのかもしれません。
 あるいは、水攻めなど戦闘に土木技術を多く用いた秀吉の下で、勉強するうちに目が出たのかもしれないですね。
 おそらく清正は、熊本城に秀頼を招いて、徳川と一戦を交えようとしていたのではないでしょうか。
 大軍を向こうにしての籠城戦は、朝鮮の役でみっちりと体験していますからね。
 家康にとっては、秀頼を擁護する清正はなにより厄介な存在だったことでしょう。
 清正は1611年に熊本城内で50歳の若さで亡くなっていますが、徳川による毒殺説も根強く提唱されており、本作も毒殺を匂わす下りがありました。

 もうちょっとエンタメで読みたかったのが本音ですが、読み終わってみれば、意外にこれもまた良かったかもと思っています。私はずっと清正は猪突猛進の典型的な武闘派だと思っており、それがどうやって築城の名人と結びつくのか謎だったのですが、本作を読んで少し納得した気がします。清正は外見こそ体軀長大でしたが、心は優しく頭が良かったに間違いありません。だからこそ合戦場では何も考えないようにして突き進むのが、はたから見れば危険な攻撃行動に見えたのではないでしょうか。
 

 
 

「比ぶ者なき」馳星周

 なんだこれ、つまらん。
 上古時代、藤原氏繁栄の基礎をつくった藤原不比等を主人公にした馳星周の歴史小説なんですが・・・
 なんの盛り上がりもないままに終わるんですよ、ボリュームが500ページ近くあるのに。
 まるで、日本史の教科書を読んだ気分。小説じゃないわ、これは。
 つまんねえ。バカじゃねえの。
 もう馳星周はノアールしかできないんだからさ、「はんかくせえ」って鉄砲撃ってやりゃいいんだよ田舎ヤクザが。
 何をトチ狂って歴史小説なんか書いたのかな。利口ぶったのかな。熱でもあったのかな。
 私はまた、藤原不比等の時代がそのままノアール化して馳ワールドになるのかと思って、楽しみでドキドキしながら読み始めたのに、ちっともそういうふうにならない、巻末の参考文献を抜書きにした棒読みの、ただの古代史概論じゃん。
 勉強したら、誰でも書けるわこんなの。
 まあ確かに、あまり馴染みのないマイナーな日本史の勉強にはなりましたが、それでもねえ。
 私は官報でも広告の隅でも知らない学校の卒業アルバムでもなんでも読む活字中毒なので、最後まで文字をひたすら追うことができましたが、これは途中で挫折する方が続出するだろうね。
 はなはだ期待はずれでした。

 それでも勉強になったのは確か。
 知らないことだらけでしたから。
 逆にエンタメ化しないで歴史に忠実であってくれたからこそ、学んだ実は大きいとも云えます。
 小説としてはまったく面白くないですが、歴史の参考書としてはいい。
 続編があったら読みますよ。結局、長屋王は自死するんだよね。そこまでの過程は興味ありますから。
 聖徳太子(厩戸皇子)は実は蘇我馬子の業績を分散させるために英雄化された人物だというのも本当なんでしょうね。
 当時の政争の具として実在の歴史を捏造したのが日本書紀であるというのも、それにずっと携わってきたのが藤原不比等であったならば頷けますなあ。持統天皇が、天照皇大神?
 それくらい、朝飯前でやるでしょ。藤原不比等ならば・・・

 不比等(ふひと)という名前は、比べる者がいないほど傑出したという意味だそうです。
 元は、「史」で「ふひと」だったんですが、文武天皇(軽皇子)が即位に尽力してくれた彼に名を贈ったのです。
 不比等は、中大兄(天智天皇)の右腕であった藤原鎌足の子ですが、天武天皇に疎まれ、31歳になるまで朝堂に出仕できませんでした。その間、ひたすら燃えたぎる怒りと野心をたぎらせていたのです。、天武天皇が崩御し、持統天皇の子息である草壁皇子の舎人をしていたことから「なんとしても草壁皇子を天皇に」ということで持統天皇と結託して頼りにされ、草壁皇子が帝位に就くことなく亡くなってしまってからは、草壁皇子の子息で持統天皇の孫になる軽皇子を帝位に就けることに辣腕を奮ったのです。当時の大王(おおきみ)は、父から子への踏襲が当たり前ではありませんでしたから、日本書紀を編纂することによって天皇は万世一系の世襲であったとする建国神話を創造し、天皇の世襲に根拠を与えようとしました。
 さらに彼は、天皇を生ける神として政(まつりごと)から遠ざけ、実際の国家運営は重臣の合議制とする太政官制度を敷くことによって、己及び藤原氏の栄華繁栄を図ったのです。
 つまり、朝堂の権力者として天皇を補佐しながら、実は己こそがこの国を統べていたのです。
 また父である鎌足が中大兄なきあと一代で失速したため、不比等は自分が亡くなった後も藤原氏が衰退しないように工夫しました。藤原氏は皇族でありませんが、天皇に女子を嫁がせて子供を産ませ、その子供が天皇になればまた藤原氏から女子を嫁がせることを繰り返して、事実上皇統を乗っ取ろうとしました。謀反を起こさずにこの国を盗むのです。その裏では暗殺や政略結婚など様々な権謀術数を駆使したのです。本作はそれがテーマです。藤原不比等一代記ですな。
 天皇でいえば、持統天皇、文武天皇、元明天皇、天正天皇と4代に仕えました。
 天正天皇(氷高皇女)だけには嫌われましたが、それでも表立って排斥されることはありませんでした。天皇が嫌いながらも粗略にできないほどの存在にまで達していたのです。

 まあしかし、昔は女性の天皇が多かったのですねえ。
 元明天皇から天正天皇は、母から娘への踏襲ですよ。今なら信じられない成り行きだなあ。
 それほど時代が荒れていた、定まっていなかったということなんでしょうけども。


 
 
 
 
 

「狗賓童子の島」飯嶋和一

 第19回(2015年度)司馬遼太郎賞受賞作です。
 飯星和一は、作品数こそ少ないですが、「出せば傑作」という、知る人ぞ知る有名作家。
 私は恥ずかしながら、知りませんでした。本作が初めてです。
 普段は気にしないamazonのレビューが異様に高く、逆に心配になりましたが、読んでみれば納得。
 ハードカバー550ページに文字がみっちり。大河小説とでもいうべき、濃密な物語でしたね。
 読み終えて、充実感がハンパないです。
 一片の手抜きもなく、渾身で書き上げられた、結晶のような完成品でした。

 舞台は、江戸幕末、隠岐の島。
 隠岐の島は、神々の住むという出雲から北東へ海上二十里も離れた島々で、大小180余からなる島の総称である。
 人の住む島は4つで、西ノ島・中ノ島・知夫里の三島周辺を「島前」、最も大きく、人々が多く住む島は「島後」と言われている。我々が普通に呼ぶところの“隠岐の島”は、島後のことである。
 古来より、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流されたことをはじめ、罪人の流刑島として知られてきた。
 弘化3年陰暦5月の終わり、島後最大の港である西郷港に、数え15歳の小柄な少年が流人として送られてくる。
 少年の名は、西村常太郎。河内の出身。
 彼は、9年前の大塩平八郎の乱で蜂起した大塩四高弟のひとりである、河内の豪農・西村履三郎の息子だった。
 生きて再挙兵を図っているという父・西村履三郎の行方はしれないが、河内随一の豪農庄屋だった一家は離散のうえ家屋敷から田畑、財産のすべてが没収された。心労から祖母が死に、父の逃亡を助けた伯母夫婦までが牢死した。
 父の罪に連座し、常太郎は隠岐島後に、弟の謙三郎は数え15になるのを待って五島列島に流された。
 しかし、流人として上陸した常太郎は、島民による予想外の暖かいもてなしを受けて驚く。
 悪政を続ける幕府役人とそれに取り入って巨利を貪る奸商を断罪すべく、島原の乱以来200年ぶりに幕府に対して公然と反旗を翻した大塩平八郎とその高弟徒党の乱は、大坂市中の5分の1を焼失するという甚大な被害を招きながらも、全国津々浦々の幕府の苛政に苦しむ貧民百姓たちに多大な勇気を与え、畏敬の念をもって見られていたのだ。
 もとより、大塩平八郎は大阪奉行所の役人であり、大庄屋である西村履三郎も為政者側の人間だった。
 黙って暮らしていれば何不自由ない立場の彼らが、民百姓の苦しみを捨て置けず、なにもかもうっちゃって蜂起した。
 その遺産は、9年経ってなお、絶海の孤島である隠岐四郡にまで浸透していた。
 常太郎が島民から暖かく迎えられたのは、それが理由だった。
 やがて彼は医学を志し、隠岐にも波及した幕末の動乱を島民と共に迎え、苦難を乗り越えていく。

 知らなかったわ、大塩平八郎の乱がこれほどの義挙だったとは。
 どちらかというと、ネガティブな印象を持っていました。肖像画もすっとぼけた顔だし。
 こんなに、凄いことだったとはねえ。
 まあ、反権力の背景を強く感じる小説なので、作者の意図もある程度は踏まえているかもしれませんが、それにしても、もう一度大塩平八郎の乱を見返してみなくちゃなりません。

 作者のインタビュー記事をどこかで見かけましたが、天保13年(1842)に野洲川流域で発生した江州湖辺大一揆の百姓総代である杉本惣太郎を常太郎に影響を与える隠岐流人として登場させたのはある程度ファンタジーですが、後はほぼ史実なんでしょうね。
 幕末の隠岐の島に、これほどのドラマがあったとはなあ。
 出雲松江藩はほんと悪党のカスだね。あれ、殺人じゃん。
 書き忘れるところでしたが、タイトルにある狗賓童子とは、隠岐の島の御山に住むと言われる妖精のようなものです。もうひとつの意味として島の自警団の若い衆を指す言葉でもありました。流人が悪さをすれば自らで処罰する影の組織があったのです。
 この島の、クズ役人ばかりの松江藩からなんとか自治を取り戻そうとする強硬な姿勢には、そんな島の文化的背景もあったのでしょう。
 幕末の農民史としても、興味深い本だったと思います。

 「刻下の急務は、数万の農民を塗炭の苦から救うという、ただこの一事にかかっている。このためには、重罪に問われ、世間の嘲笑を浴びることもいとわない。後世において、この是非曲直は明らかにされる。庄屋たるものの職分は、百姓衆を護ることにある。身を挺して、百姓衆の難に赴くのは、この職分に忠実なるゆえんである。
 自分は独り、義に斃れることを栄誉と信じ、誓って奸吏を退ける」



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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